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ゲルハルト・リヒター#2

ゲルハルト・リヒター♯1の続き。

 アルベルティヌム美術館では現在、彼のドローイング展を開催しており、順路としては彼のドローイング郡を見た後に、1floorを使った彼の本展示を見ることになる。そこでは、壁面に彼の代表作であるフォト・ペインティング、グレイ・ペインティングなどが展示されており、中央に巨大なガラスをいく層にも直立させた立体作品が置かれている。一見無機質で鑑賞の邪魔とも捉えられる巨大なこのガラスの立体物が、私には彼の芸術家としてのこだわりを示したものであり、彼は鑑賞者に、このガラスを通して彼の作品を見られることをこそ、望んでいるように感じられた。

 それは、彼が紙にドローイングを描く時に、ただ何がしかのモチーフを描くのではなく、もっと概念的で微細な何かを掴もうとしていたのと同じ感覚で、従来の壁に絵が飾られているだけの展示空間に対する違和感が、彼にこのような作品を生み出させたのではないか。

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 巨大なガラスを通して、絵は別のガラスに反射され、視界の中で反響する。それは一枚の絵画であり、映像作品のようである。ガラスを通さずに見た絵、ガラスを通して見える絵よりもむしろ、彼は映し出されだ虚像の方を重要視するかもしれない。重複して見える、ガラスの反射によって幾重にも出来上がった残像の方こそ、私の実際の作品だと。そして忘れてはならないのが、そこに鑑賞者も含まれているということだ。私の勝手な解釈ではあるが、スタイルを大きく変えて製作を続ける作家は、自分の制作の手応えよりも、その作品によって展示空間がどのような変化を見せるか、という事に重きを置いて制作をしている場合が多い。リヒターも例外ではなく、彼の作品はいつも客観的な展示空間を意識して作られている。そのため、彼にとっての鑑賞者は展示空間を作り出す重要ないち要素である。ガラスの作品を通してみると、鑑賞者さえもその中で反射し、反響する。

 彼の描いたフォト・ペイントの絵画にはモチーフとなったの写真があり、その写真は実際の何かをうつしとったものである。ここにも、うつすという構造を見て取れる。彼は、そん写す(映す)という行為を重ねた先で、私たちが美術館でその絵を見る(目に反映する)そして人にそのことを伝え、社会に何らかの影響を与える。このような現代の情報が拡散する現象さえも、作品の一部であると捉えているかもしれない。と、それは考え過ぎなのかもしれないが、彼はドローイングの中で、ガラスの作品のエスキースとも取れるものを残している。

 彼は私たちが彼のペインティングを前に受ける印象とは打って変わって、ドローイング群やガラスの作品に見られる繊細で鋭い感覚を持っており、それに気づくことができれば、私たちはより深くアートを想うことができる。

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1989年東京の生まれ。千葉の外房育ち。今は東京芸術大学大学院絵画研究科に籍を置き、ポーランドに留学中。絵やアート、その他いろんなものに触れて、感じたもの・ことに輪郭を与えるために書いています。
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