見出し画像

2020/03/22

 ポーランドでは数日前から、無用な外出が禁止になった。出られるのは、近くのスーパーへの買い物だけ。散歩も禁止。スーパーの中も50人の人数制限で、多くの人がスーパーの外で他の人たちと近づきすぎないようにして、扉が開くのを待っている。開いたら、譲り合って入店する。

 アンネ・フランクは、これ以上の緊張を強いられた環境で2年間以上潜伏生活をしていたんだと思うと、彼女の心の強さを思い知る。彼女の日記には反省はあっても泣き言のようなものはほとんど見当たらない。時には怒り、時には笑い、時には自身の心の内を冷静に分析し、いつも前を向いて粛々と日記は綴られている。それは、彼女が信仰を持っていたことも重要な理由のひとつとしてあるだろう。彼女の日記からは、本当に多くを学ぶ。

 信仰を持つひとは喜ぶべきです。みんながみんな、崇高なものを信じられる適性を授かってるわけじゃないんですから。死後に受ける罰のことを思い悩む必要もありません。煉獄とか地獄、天国といったものは、多くのひとにとって受けいれがたいものですけど、それでも、どんな信仰であれ、なにか信仰を持つひとは、正しい道を踏みあやまることはないでしょう。問題は神を恐れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです。だれもが毎晩眠りにつく前に、その日一日の出来事を思いかえし、なにが良くてなにが悪かったか、きちんと反省してみるならば、ひとはどれだけ崇高に、りっぱに生きられることでしょう。そうすれば、知らずしらずのうちに、あくる朝からさっそく自分を向上させようと努めるようになるはずです。その努力を通じて、やがて多くのものが得られるだろうこと、それは言うまでもありません。これはだれにでも実行できることです。費用もかかりませんし、じっさい、とてもためになります。まだこれを知らないひとは、ぜひとも経験によってこのことを学び、発見してほしいものです──「澄みきった良心はひとを強くする」って。


 今朝見たYouTubeで山中教授が言っていたのは、コロナウイルスはまだわかっていないことだらけだということ。インフルエンザとは全く違うタイプのウイルスで、感染の経路や広がり方も解明できていないこと。今、世界で実際にどれだけの人が感染しているのか、正確な数字はわからないということ。暖かくなれば終息に向かうのではないかという説は、気温の高いシンガポールでも流行しているところを見て、期待できないということだった。

 こういう先行き不透明で閉鎖的な状況のもとに晒され続けては、大半の人が不安になり、自分の非力を思い知る。すると、何か守るべきものや強い信仰心を持っていない限り、時が経つにつれて生きる気力が少しずつ失われていってしまう。だからこそ先週18日のドイツのメルケル首相の演説は、ドイツ人たちの心の支えになったに違いない。ドイツのどこかの医療の現場、研究の現場、その他この状況を最小限の被害で乗り越えようと頭を使ったり、体を張って毎日頑張っている人たちがいる。だから、私たちも信じて耐えぬこうと。

 日本でも「嫌われる勇気」で人気を博し、多くの人に今なお影響を与え続けている心理学者アルフレッド・アドラー[1870-1937]の思想は、最終的に共同体意識の重要性を説いたけれど、それは人の幸不幸の感じ方の核心をついていると思う。ここで言う共同体とは、狭いところでは家族、大きいところでは宇宙にまで広がっていく。共同体が「価値のあるもの」と考えていることに奉仕することによって、共同体意識が芽生え、幸福感が得られるという考え方だ。

(連帯感や共同体感覚は)それは、ニュアンスを違えたり、制限を受けたり拡大されたりしながら生涯続いていき、機会に恵まれれば家族のメンバーにだけでなはなく、一族や民族や全人類にまで広がりさえする。それはさらにそういう限界を超え、動植物や他の無生物にまで、遂にはまさに遠く宇宙まで広がることさえある」『人間知の心理学』

 「奇跡のリンゴ」の著者で知られる木村秋則さんも、妻のためにリンゴの無農薬栽培を志したところから始まって、地球環境に対する意識、更には(夢の中で)宇宙人との接触する所にまでに達してしまった人だ。あの人の笑顔は共同体感覚から得られる幸福感をそのまま体現している気がする。

 共同体に対して今の私の状況で出来ることといったら、なるべくいい本を読んだり、いいと思える作品の構想を練ったりして、静かに1人で出来ることをして過ごすこと。あとは元気をなくしている人を見かけたら「大丈夫だよ」って声をかけることくらいかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?