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マルセル・デュシャンを思う


 自分の気持ちや考えを文章や作品に表現し、それを人前に出すことは、時にとても勇気のいる事だ。それが私たちの社会で言われている常識と相反するものだったり、全く前例のないものであればなおさら。

 私も、そういう事をする前後はよく弱気になる。そうなった時には、私は私の後ろ(過去)に控えている、私よりも臆病で、うまく言葉を選ぶ事ができない弱い存在、そのことによって口だけは達者な人たちに抑え込まれ傷つけられてきた、小さき負傷者たちのことを思う。すると、不思議と勇気が溢れてくるのだ。「傷つくことを恐れていては私たちの表現の幅は狭くなる一方だ。だから、やってみるんだ。未来のみんなの自由と平和のために!」

 自分の思想である作品を提示し、今日までのアートの歴史を築いてきたアーティストたちも、時にはこんな気持ちで自分を奮い立たせてきたのだろうか。マルセル・デュシャンが、便器を「泉」という題の作品として展示することを決め、サインを書き入れる時、心臓の鼓動は高鳴っていただろうか。展示台に置いた後、少しも躊躇したり、その後に後悔はしなかったのだろうか。

 少なくとも少しくらいは、不安も感じただろうし躊躇しただろうと思う。けれど表現する者は、それを人前に出した後に、当人だけが感じられる、不思議な清々しさも知っている。

マルセル・デュシャンは「泉」の作品を発表したその後、「大ガラス」を1915年から1923年の8年を費やして制作し、その作品は未完に終わった。というのも、制作中に彼はチェスの魅力に引き込まれ、チェスプレイヤーに転向した。彼はアーティストという職業の型にハマることに疑問を感じていたし、チェスによって、脳内で展開される無数のチェスの手のパターンのような、数学や幾何学も駆使した、高次元な造形に対する作品分析を行おうとしたとも言われている。それを造形的理論問題の原点に帰った、というそうだ。

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 大ガラスの画像、詳細はこちらの記事を参照。その解読についてはこちらも。この作品、奥が深そうで、いつか実物を見ながら自分でも解読を試みたい。


2020年4月19日追記:

 冒頭で語った「泉」と名付けられた作品は、ドイツ人のパフォーマンス・アーティスト、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(1874-1927)が展示の会の組織委員会のメンバーであったデュシャンに出品するように頼んで渡した作品である、という説が現在では有力である。
 確かに、サインは「R MUTT 1917」と書かれており、それはエルザ夫人の母国語(Armut、ドイツ語で貧困、欠乏を意味する)の言葉遊びであり、彼女が用いていた男性の仮名「Richard Mutt」その名である。レディメイド、またこの作品が女性の視座から生まれたということは、興味深い。


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