見出し画像

あの頃のフィギュアスケートを見よう。(2003-04シーズン女子)

花粉も盛大に飛びまくっているし、さまざまなこともあるしで、なかなか気軽に外出もできないような日々ですが、それならぜひ過去のスケートについて思いを馳せちゃいましょう。

ということで、すっかり頓挫していた、2003-04シーズンについての思い出の続きです。男子について書いたとき、このnoteのようにながーくなってしまって、そのままになってしまっていました。

てことで、女子です。

上記noteで2003-04シーズンを取り上げたのにはわけがあって、五輪までの4シーズンのなかの2年目=今季と同じ位置づけだったからなのですが、このシーズンを思い出すとき最初に浮かんでくるのは、日本女子がすごかった、ということです。

当時はまだ今のようなスケートブームになる前夜で、スケートの報道も多くなく、インターネットでもそれほどには情報を得られきれず、SNSはない、という時期でした。だから、1つひとつのエピが、演技が、とっても貴重で、鮮烈だったのかもしれません。

そんなこともあり、今回は、「五輪2季前と五輪の関係」という文脈というよりは、「いい演技を、当時のエピソードとともに見ると楽しいよね!」というムードで読んでいただけると嬉しいです。

■女子シングル 主要大会は、こんな感じ。

念のため、結果のみを見てみると、こんな感じでした。(大会名 1位/2位/3位 の順。2季後のトリノ五輪のメダリストは太字

スケアメ      コーエン/カーク/荒川
スケカナ      コーエン荒川/セベスチェン
中国杯       リアシェンコ/恩田/村主
ラリック杯     コーエン荒川/セベスチェン
ロシア杯      リアシェンコ/コストナー/マニアチェンコ
NHK杯       村主/リアシェンコ/恩田
GPファイナル    村主/コーエン荒川
四大陸選手権    太田/ファヌフ/コーウィン
ヨーロッパ選手権  セベスチェン/リアシェンコ/ソコロワ
世界ジュニア選手権 安藤/マイスナー/テイラー
世界選手権     荒川コーエン/クワン

そうそう、思い出します。トップ選手たちはGPに3戦出ていました。それにしても、サーシャ・コーエンと荒川さんは随分と一緒の試合に出たんですね。懐かしい名前もいっぱいです。ソルトレイク2位でこの2年後のトリノで3位になるスルツカヤは、この前のシーズンのGPファイナルころから1年数ヶ月、お母さんの病気や自分の病気などから試合に出ずにいたのですが、2004年世界選手権のみ出場して9位でした。そう思って見てみると、トリノのメダリスト+4位(荒川/コーエン/スルツカヤ/村主)は、トリノの2季前には世界を席巻していたんですね。男子以上に女子のほうが、トリノ五輪2年前には、いろいろ見えていた感じかもしれません。もちろん、結果論です。

と考えると、やっぱり今季がんがんメダルを取っている女子選手たちというのは、2022年北京五輪のメダリストに(想像以上に)とても近い、という仮説が立てられます。2006年トリノのメダリストたちは20代でキャリアの終盤でしたが、現在トップな女子たちは10代半ばでまだまだこれから。ってことは2022年の方が今よりすごいかもしれないので、2004年当時よりより、今季活躍の選手たちの北京五輪メダリストの可能性は高いのかもしれません。とはいえ、さらに上がってくる、今ジュニアの選手もいますので、そちら方向のウオッチも重要ですね。

■このシーズンの日本選手たちの思い出(の一部)

ということで、このシーズンの日本女子選手たちのいくつかの演技を、シーズンの流れとともにご紹介します。

日本女子的には、GPファイナルでひとつの感激がやってきます。

高地コロラド・スプリングスでの大会で、男子選手たちがよろよろとするなか、女子たちは全員大変に元気に演技! 女子すごい。そして、村主さんが日本選手初のGPファイナルチャンピオンになるのです。

このコロラド・スプリングスは、村主さんの当時のコーチだった佐藤信夫先生が、1965年の世界選手権で日本人として最高位の4位になった場所でした。

結果を見ればわかりますが、GPファイナル、四大陸、世界ジュニア、世界選手権をすべて日本選手が、それも別々の選手が制しています。すごかったです。ちなみに全日本選手権は、安藤/村主/荒川の順。安藤さんがビッグハットで4回転サルコウを決めたの、目の前で見ました。来るぞ、来る、来た、おおおおお、決めたーーー! という感じで。余談ではありますが、向こう正面の関係者席でキャメル色のジャケットを着たヤグディンが感激していた姿も、きちんと確認しつつ、の観戦でした。(ヤグは、その後のMOI出演のために来日中)。

世界選手権では、初めてJスポーツが生中継! たしか、女子のフリーのみだったと思いますが、画期的でした。このシーズンの後半はまだ旧採点だったので、リアルタイムでパソコンのリザルトページを見ては、「これは、1つ転倒したかな」とか想像する、といった観戦(なのかしら?)だったので、生で見られるなんて、と大興奮! 夜中にPCとTVをつけて観戦なんて、なんて幸せなんだろう、と思ったことを覚えています。

その世界選手権、初出場の安藤さんのショートがとてもよかった。安藤さんはこのシーズン、世界ジュニアと世界選手権掛け持ちです。予選の結果でショート最終グループに入った彼女は、とってものびのびとジュニアらしい、でもシニアの中で見劣りしない演技を披露。

このショートは、明るい青色っぽいベロアっぽい感じの大変にシンプルな衣装なのですが、それが、このショパンの華やかな音楽と、シンプルな美しさに満ちた振付けと大変に合うんです。ぜひ見てみてください。(動画サイトでは「Miki Ando 2004 SP」といったワードで出てくると思います。)

また、この世界選手権の村主さんのフリーには、胸打たれました。彼女はGPファイナル後にフリーの半分くらいの曲を変えます。そうやって臨んだ世界選手権(そして多分、優勝も視野にいれていたのではないかと思います。そういう状況でしたから)の予選が、なんと8位。予選って2グループに分けているので、8位ということはつまり15-16位くらいと計算されるのです。そのためショートは13番滑走。ショートには30人残るので、後ろから3つ目のグループでした。

ショートは最終的に7位。この大会は旧採点だったので、相対評価でした。つまり、後に滑る方が印象が強く残るということで、後ろにまだ半分以上の選手がいた中での7位は、よく頑張ったな、という感覚です。

フリーは16番滑走。最終前のグループです。GPファイナルとは、曲だけでなく、後半のジャンプ構成も変えて臨んだフリー。演技後の表情が、優勝を狙って臨んだであろう試合での不本意なスタートにも試合を捨てずに最後まで力を尽くしたこと、でもとても苦しかっただろうことを物語っています。今でも、胸にぐっと来るシーンですし、その後彼女を迎えた信夫先生の「できたできた、上出来」という言葉もとてもいいなあ、と。そんな演技でした。(動画は、「Fumie Suguri World 2004 LP」とかで見つかります。)

そしてやっぱりこの大会で一番印象深かったのは、荒川さんのフリーですね。前シーズンに大ブレイクして、この大会の3週間前にタラソワのところに移り、タラソワ陣営とともに臨んだ最初の大会です。ショートも1つ前のシーズンの『白鳥の湖(といってもクラシカルなものではなくて、サイバー的な)』に戻し、フリーは彼女にとって2つ目の『トゥーランドット』。笑わない、クールビューティーと言われていた彼女が、中盤からは終始とてもいい表情で、終盤の3ルッツを決めたときにうわーっと破顔して。そうしたすべてを生中継で見られて本当に嬉しかった。(こちらも動画は探しやすいと思いますので、ぜひ。)優勝、おめでとう! って今さらですけれど、毎回そう思います。

結果は、こちらから。www.isuresults.com/results/wc2004/index.htm


そんなシーズンでした。

できればこのシーズンのペアとアイスダンスも、またnoteに書きたいです。









このnoteをいいなと思っていただけたら、「スキ」をプッシュいただけると大変嬉しいです。ストアヒガサ(スケート好きの雑貨店 https://storehigasa.stores.jp/)やTシャツ(https://suzuri.jp/storehigasa)もぜひ。