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寒い雨の日に、本を読みながら思い出すことなど(10月19日)

●10月19日(月)

雨。雨です。寒いです。土日に疲れた心身を癒す月曜には、もってこいの天気です。ちょっと薄暗くて寂しくて、でも部屋の中はあたたかくて。

旅行記が読みたいなと『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(若林正恭)を読み始めました。だれかの旅行をなぞるつもりだたのに、いつのまにか、これまでの自分の海外でのあれこれを、ぽつぽつと思い出す数時間になっていました。

機体が東京から離れれば離れるほど、頭の中のつまらない煩い事も離れていく。自分と頭痛の種の距離は、物理的な距離と比例する。だから、ぼくは旅行が好きだ。(『表参道のセレブ兼とカバーニャ要塞の野良犬』より)

これはまさに、私自身もいつからか国際線の離陸時に感じるようになっていたことでした。仕事でもプライべートでも、国際線での出発時の離陸後数分くらいの、肩の荷が下りていくような、もういいんだと思えるような、そんな解放感を思い出します。

1995年の夏、私はロンドンに4週間ほどホームステイしました。全然英語が聞き取れなくて、たとえば、初めて見に行ったミュージカル『レ・ミゼラブル』では、第1部最後のものすごい盛り上がりとその後皆さんが劇場外などに出ている様子から、ミュージカルが終わったと思って帰宅したこともありました。ホストファミリーに、ミュージカルを見たのにしては帰りが早いと指摘されて、初めて第2部があったことに気づいたり。

でもまあそれなりに楽しく過ごしていて、そんな折、どこかの公園に行ったところ、たくさんの人たちが、白と水色のストライプ柄のビーチチェアに寝そべっているのを見ました。程よい気候のロンドンの公園で、私もねっころがりたい。適当に空いているデッキチェアにねっころがって空を眺めたりしていると、突然、大きな声でなにかを訴えるお兄さんがやってきました。どうやら、チェアにはお金がかかるので料金を払いなさい、と言っているよう。払うと、何もなかったように立ち去って行ったお兄さん。

なーんてすっかり忘れていたことも、昨日のことのようにぶわーっと思い出しました。1995年って、25年前ですね。四半世紀……びっくり。

この本では、最終の1つ前の章で、ん? と思い、最終章で一気にぐわーっと、からりと見せていた著者のウエットな部分にやられてしまったのですが、この最終章を読みながら改めて気づいたのは、私も、海外で見たような、人と人との血の通っている感じ、白々しくない感じ、をいつも求めているなあっていうことでした。

カナダのとある地下鉄で、通路を挟んだ席に座った2人が、楽しそうにいろいろと話しているのを見かけたことがあります。5,6分話した後、とある駅に着くと、片方の人が「じゃあ、楽しかったよ。いい1日を!」と言って去っていきました。あんなに仲良さそうだったのに、初対面だったんだーとびっくり。

そういうシーンが、とても好きです。私もあんなふうに爽やかに楽しく会話したいけど、英語力が追いつかないなあ、と思ったりしています。

日本では、っていうかそういうことを気にし出したのはもう私が東京に住み始めた後からなので、もしかしたら東京では、と限定されてしまうのかもしれないけど、東京では、そういうことはあまり、ない。それどころか私自身、上京した18歳のころは、そういうふうに「知らない人とフレンドリーに話をする」のはかっこ悪いことだと思っていたし、知らない人に対してはクールにふるまうのが都会風なのかと思ってきた気があります。

そうやって何年もの時間が経つと、次第にそれが普通になっていって、たとえば電車の中でちょっと気分が悪そうな人がいたとしても声をかけなかったり、見て見ぬふりをしたり、そしてそんな自分に違和感というか居心地の悪さというかを感じてきました。

でも、そんなもんだとも思っていたんですよね。

それが、海外に行くようになって、特にカナダとかでは知らない人同士がよく話をしている。そしてそれを素直に、いいなあ、って思うようになりました。

子どもが生まれてからは、子連れで外にいると、年配の女性から話しかけることが増えました。みんな子どもを見て嬉しそうで、にこにことしながら。「まあ、かわいい赤ちゃん」と初めて声をかけられたとき、どう答えていいのかどぎまぎしてしまったけれど、でも「ありがとうございます」とこちらもにこやかにお返事して、そこから二言三言お話することも増えました。

結構な高齢出産だったこともあるので、「子連れでの外出」と「おばさん化」がだいたい同時期にスタートしていて、私の中では日々おばさんとしての図々しさもすくすくと育ってきているので、ますます他の人と話すことを求めるようになっているようにも思います。

でも、このコロナ禍なので、なかなか知らない人とその場の会話を交わすことも、そもそも海外旅行も、今はままならないわけで。この本を2020年の10月に読んだ今の私は、血の通った、白々しさを感じない人とのコミュニケーションをものすごく求めているな、と気づきました。

そしてもうひとつ。本というのは、著者の意図やその本のテーマとかとは関係なく、読み手の心に何かが残ればいいよね、ということを、なんだかとてもすっきりと思わせてくれる時間でもありました。

あー、気持ちいい時間でした。




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