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一途の希望Episode3「ときどきドキドキとときめきを」

 この“いちず”が何かに変わりそう。Liveを見に行った電車の帰り道ぼやーっと考える…いや筆を進めなきゃ!!
私、奏はIpadを開く。日記風短編小説を書き綴って3日目になる。明後日には20歳の自分がいる。筆を進めることであったことを前向きに昇華できる。苦しさや切なさはそのためにあるんじゃないかと思えるほど、力になる。乗り越えながら自分が変わっていく。それを形に残していきたかった。今日までに今伝えたいことできる限りを綴ろう。久々昼まで予定がなかったからゆっくり過ごせたが、筆はあえて進めなかった。感情が大きく動かないうちは書かない。3日坊主にもならない私が、今も含め、3日間この習慣が続いたことは、奇跡と呼べるが、挫折が心を成長させるのと、3部作と勝手に区切ったことが成功要因であろう。
 明日は誕生日カウントダウンでライブ配信をする。明後日も当日だからライブ配信する。ピアノで10代との別れと20代の幕開けを表現するように段取っているけれど、個人的にこの悔しさは19歳のうちに昇華させたい。そのためにできる限りを尽くした。小説を今日までにほぼ完成させたいのもその一つである。まぁ、目の前の広告に「ライブ配信で1億円稼いだ話」という本がデカデカとのっている。こんな普及は10年前じゃ考えられないことなんだろうと思いながらも、そうやって人は繋がりを求めていくことを不思議に思う。それで結ばれる人達もいる(らしい→神話レベル笑)。とにかくやってる身としては、少々の不満や問題はありながらも、応援し合う時代というのは、本当に恵まれている。

 朝の話に戻ろう。今日もコンタクトをして、鏡姿の私と世界を眺める。
あっ忘れるとこだったと、本を手に取る。
「死んでもいいから生きぬいて」
 今日は夜に武瑠というアーティストの活動15周年ライブがある。Sugというバンド、sleepyheadというプロジェクトを経て武瑠名義では初のライブであり、自己ベストライブである。武瑠さんのライブを見にいく予習として、読みきれてなかった武瑠さんのセンチメンタルワールズエンドという小説を完読しなければ…恋愛の要素もありながら、延命がテーマの小説だ。屋上で自殺しようとしていた主人公のミサキは、小説家の鋭二に延命してそれを小説にするから、一年後一緒にこの場所で死のうと提案する。という内容だ。ちなみにこの小説内で鋭二が書く「rain one step」に影響されて私もまず短編小説風に挑戦しようと思った。結末まで見ると武瑠さんの人生がうまく凝縮されたような内容で、大どんでん返しがありながらも、心に希望を見出せる内容だった。
 自殺するということに否定はしないスタンスでいるのは武瑠さんの優しさが出ている。Noteの「死んでもいい」という記事には心打たれた。世の中にはいろんな考え方がある。それでも生きる目的を見出して延命していくことの大事さから、頭の中で0.01の可能性の話につなげていた。生きるのが当たり前と考えないことで、考えつくこともあるのではないか。音楽療法でのボランティア先の施設でも、行く度に命というものに対して考えさせられる。
 小6の時に卒業文集に「死にたい気持ちにもなった」と結構ガチなニュアンスで書いたら、先生がとても話を聞いてくれ訂正したのが印象的だった。それから自死を意識したことは一度もないけれど、やっぱり生きていることは決して当たり前のことではない。それだけ自分には大事なものがあって、命にしがみついているのだ。

 その中で、ふと思いついた。今日できることをしたい。ライブ前に彼女をカフェに誘ってみよう。
 彼女とは、女優をしている同い年の女の子でこの前のコンクールも見にきてくれた。その時は電話でいろいろ気持ちを聴いてくれた。せっかくだから小説を見せよう。そう思い立った。
 まぁもちろん予定が空いてるかさえわからなかったのだが、予定が空いてるということで突然のアポは成功した。一緒にいると落ち着ける彼女はきっと理解してくれる。と思いつつも、せっかくだから音でも伝えたい。わがままな部分が出てしまう。ピアノの置いてあるすてきなカフェを知っている。
「Au revoirはどうかな?」
「OK!」
ドキドキしてしまう。生きるってこういうことなのか。

 彼女は私がたまたまストリートピアノを弾いているのを聴いてくれて、声をかけてくれ、よくコンサートなどにもきてくれるようになった。自分の音を好きでいてくれて、受け入れてくれる人はこちらも好きになってしまう。そして、自分も演劇を見に行ったり、歌も聴いたりして彼女の感性にひかれていった。同志のような存在として大事にしてくれている今の関係が幸せだ。波長が合うというのもあるし、理解し合おうという気持ちがあるから対話が成り立つ関係だ。流石女優とピアニスト。どちらも対話の達人である。考えを深めあえる。違う世界が見える。

 まだ集合まで時間はあるから、弾く曲を考える。というより、武瑠さんのライブはセットリストが決まっているので朝から聴いていてSuG時代の名バラードの無条件幸福論を聴きながら、彼女の前であの甘い旋律を弾きたいと思っていたので、決まっていた。その想いが誘うことにもつながったのかもしれない。そもそも小説を書くことでさえも自分の想ってることを昇華でもありつつ、より理解して欲しかったから始めたことなのかもしれない。
 といえども無条件幸福論は少し切ない曲でもある。「あなた以上の人がいたとしても私はあなたを愛すのでしょう」一途すぎるその想いこそ切ない。PVでは結ばれたように描かれているが、”むじょうけんこうふく”という語感もあるし小説版では結局結ばれない。細かい話は忘れたけど、少し潤んだのを覚えている。この音を奏でるのが、今生きるために自分ができること。私にも少しはドキドキさせられるのだろうか。ある種の区切りとしてどうしても演奏したかった。今回はいつもと逆に0%で0.01%にもなっていないことに気がついていたから。

 今日も幸せになるため集まった。彼女の大きなクリクリした目が私を見る。ある種成海君を思い出す純粋な目。
「コンクールの時は話も聞いてくれてありがとう。だいぶ気持ちに整理がついて、心落ち着いたよ。おかげさまでその気持ちを小説にしちゃったの。」
自分で切り出したくせに少し恥ずかしそうになってしまう。
「奏すごいじゃん。音色で伝えるのと逆のこともするなんて」
10分くらいで2部とも読んでくれた。
「これで終わり?」
「うーーん。まだ未定…かな!?」
なんかここまででも素敵すぎてこれが題材になってしまうので、3部構成なことは黙っておいた。
「成海君のことも知らなかった。いい経験してるのね。」
「不思議な切なさがあるけどね」
「連絡してみてもいいんじゃない。せっかくの縁なんだから」
「そんな手もあるかぁ」
思ってたけど踏み出せなかったことを突いてきた。
「コンクールのこともうまく昇華できてるなぁって思うけど0.01%の計算がなぞ!」
「あーあれね。0.01%って1万分の1じゃん。やりきれない時も、ほんの少しだけの可能性を持つとちょうどいいよねってことで」
「えっでも夢でも恋でももはやそのくらい低いと可能性0にしないと辛いこともあるんじゃない」
初めて意見が食い違ったかもしれない。コーヒーが苦い。でも、否定はされないところは一つの救いだ。
「大切なものが叶うことがいきなりなくなるって生きるのが辛くなるじゃん。で音楽家だと例えが悪かったんだけど、恋愛だとして、多様性の時代だし多めに見積もって国民の半分+α=1億人として、1億人から選ばれるのと、1万人から選ばれるのだと、1万倍も確率が違うんだよ。隣に住んでる知らない人より、関係性があって諦めきれない相手の方がどうやっても希望はあるんだよ」
 謎の暴論でつい強がっているのだが、宝くじで言うと10万円を1発で当てるくらいが1万分の1の確率である。そんなガチャに一生を捧げるほど私は信じきれないし、でも捨てきれもできない。タチの悪い性格だ。
 まぁそんな感じで恋バナなど他愛ない話で時間は過ぎてしまう。だから毎回私のドキドキはどこか少し醒めてしまう。彼女は恋愛も順調そうだし、好きなことを仕事にしているし、嫉妬ではないけど、今年20を迎える同い年の女性として少し羨ましい。まぁでも当たり前のことかもしれないけど、彼女には彼女自身の悩みもあるんだろうなと思うし、私の音を求めてくれるということはきっと私には私の強みもあると言うことだろう。そんな羨ましさの100倍やはり彼女といるとどこか胸が暖かくなる感覚があるのが確かで、頭の中でバラードが流れる感じ…だから用意してきたんだ。
「最後のわがまま。今日はどうしても演奏したい曲があってここを選んだの。」
 ピアノの前に立つ。KAWAIのアップライトピアノだ。表情がピアノの黒色に映る。心で両手が動いて音になる。その音が相手の耳から心に伝わるのだ。1人に伝えるからこそ時がゆっくり進む。
「無条件幸福論。2人の幸せ、新たなこれからを祈って弾くね。」
 歌詞のない音色で伝えるピアノの世界。だからこそ伝わる想いと儚さあるかな。

幸せにする自信や覚悟はある。純愛がある。
世界中どれだけの人に純愛が芽生えるのか。
世界中どれだけの人が純愛を言葉、または音色や表情、行動で伝えられるのか。
世界中どれだけの人が純愛を受け入れてもらえるのか。
世界中どれだけの人の純愛が叶っていくのだろうか。

 そう想って甘いメロディを奏でるうちに終盤に差し掛かった。
2番まで愛を誓う別れの曲なのに大サビでまた新たに出会う曲だ。
物理的に歌詞を歌うことができないから、メロディで精一杯うたう。歌詞が伝えきれないのは私なりの表現と彼女の感性をかけ合わすのに逆に好都合だ。
「だからこそ瞬間を愛していこう一秒でも長く」「また新しい恋を始めよう。」
 関係とは不思議なもので二人でクレヨンで作るお絵かき帳のようなものだ。お互いの気持ちが一致する部分も、たがいあっていて生まれる何かもあるだろう。それこそ愛するものである。お互いの気持ちがわかっていき、また新たな形で結び合う。もうこの曲はしばらく弾かないだろう。
 無音になる。いつもともまた違うあたたかい拍手から受け入れてもらえたことは感じる。

「じゃあもう一曲今の気持ちで愛の夢第3番」
 何かコンクールの時とはまた違う解釈で歌えた。ハンマーのしなやかな動きを感じる。叶う恋だけが素晴らしいわけでもない。そして叶わないから全てが終わるわけでもない。右手だけのパートを弾きながら夢うつつ感じる。そのままこの音が響きつづければいいのに…愛をもって今を奏で続けて無音に向かう。
 ゆっくり拍手してこっちを笑顔で見つめる。伝えるということは自己愛に満ち溢れている、そして理解することは他己愛に満ち溢れている。だから私は私と彼女によって大きな愛に包まれた。彼女も少しは私達だから作れるドキドキを感じてくれたかな。ほんの小さくとも幸せはあるかな。本当にありがとう。
こうやってau revoirをでて、それぞれ歩いていく。

 そのまま会場のある恵比寿駅に向かう。恵比寿という言葉で思い出した。そういえば彼女に昼間の時間に合うのは2回目であった。1回目は初めて2人で会った日だった。私立恵比寿中学(エビ中)のライブがある日、ちょうど二人で会いたいと言ってくれて集合したのだ。それがないと今の関係はないかもしれない。自分も電車から綺麗な雪を見つめつつ遅れて会えない可能性もあったが、タクシーなども駆使しなんとか会えた。電話でママと話していて、「その人に会いたいと思うなら何かを犠牲にしてでもいきなさい」なんか言われて。それぞれが求め合わないと関係は深まらないのだ。写真を取り出しパンケーキ懐かしい。
 駅を歩きながらエビ中の事務所が近くにあるから真山か誰かひょこっと出てこないかなとあり得ない妄想しながら、せっかくだから「Anytime, Anywhere」を聴く。会った後のライブのラスト曲でその時の気持ちに合致してシェアしたっけ。
「ねぇここにきて笑いあって確かに感じられる 僕を望むならAnytime, Anywhere」
 全身で幸せを感じたんだ。とりあえずその日にどこか純愛が芽生えたのかな。
 すごい遠い日のよう。そして昨日でもあるよう。でももう昼に会うことはしばらくないかも。


 会場に着く。話して、音で伝えて、なんとか気持ちが昇華されていって、心晴れやかだった。朝から今日は泣くためにライブに行くんだとハンドタオルを持ち出すくらい変な意気込みがあったが、その気もあっさり消えていた。ライブの幕が開く。自分にとって初武瑠の登場。1曲目で涙している人もいる。周りのみんなも幸せになるためにきている。武瑠を知ったのは10年前だったかもしれない。まだ10歳くらいで初恋に入れてないくらいの、初恋?の時に無条件幸福論を聴いてどこか心動かされたっけ。あれから変わってない?いや純愛を私なりに伝えられるくらいには変わった。ライトに照らされる武瑠。動きが大きく自信がある。ダンスにもキレがある。小説も作詞作曲もファッションも表現者として喜怒哀楽いや特に苦しい感情を昇華して今があるのだろう。クラシック畑の人間だからヴィジュアル系だとかHIPHOPだとか疎いように思われるかもしれないけれど、自分のひたむきさや熱さはそっち畑である。アイドルもか。
 いよいよバラードセクションにきた。セットリストがわかっているというのは逆に特有のドキドキ感がある。無条件幸福論の番だ。この曲は武瑠自身バンド解散以来初だから武瑠にとっても五年ぶり。そんな日に大切な人と自分の関係にこの曲を贈ったのは何かの縁なのだろう。
「あなた以上の人がいたとしても私はあなたを愛すのでしょう」その言葉はやはり真の言葉であった。いろいろ移り変わるし、永遠なんてないけど、その瞬間その瞬間、大切な人をそのくらい想える人でいたい。やっぱダメだ。涙が溢れてたまらない。というかこの文を書いている私自身このLive体験を思い出すだけでも美しすぎる歌すぎて涙してる私なうである。青いハンドタオルは結局不可欠品になった。前の方だったから武瑠の目にも映っていたかな。本当にありがとう。
なんて思っていたら、希望の光が差すように「僕なりに言葉紡ぐから」のところでこっちを見つめてくれたような感じがした。「聞いておくれ」大サビが心に響く。
 言葉にできない。涙だけが溢れてコンタクトがずれて右が見えなくなって。こんな瞬間的に誰か想えるのは人生得しているのかもしれない。だからこそ、自分にも心を決めて「だからこそ瞬間を愛していこう一秒でも長く」まずは自分を愛せる人になりたい。出会った人を少しでも幸せにできる人になりたい。
 ライブは終わった。目的を持って生き続けることの大事さをしれた。武瑠…表現者として生き続けてくれてありがとう。最後の言葉には心打たれた。
「気づけば15年続けてきた。決まり事や約束じゃなく勝手に続く約束がしたい。」
 彼女との関係もそうだ。せっかく出会って、お互い影響与えられる良い関係なのだから、どんな形に辿り着こうと、お互いの幸せを祈りあえるそんな中でありたい。
 ピアノに対してもそうだ。そういう切ないこと、苦しいこと、些細な幸せ…どんな時も音楽が寄り添ってくれ出会いもくれた。もう音楽の妖精もついてるし、この部屋からでも良いんだ。世界中に響かせていきたい。私が動くことで世界が動く。なんか、0.01%の可能性が何かに伝染して私に力をくれそうだ。

 でも0.01%って意外と忘れてて無意識にあるくらいかもしれない。実は0.01%の可能性までいくのにかなり昇華して削ることが必要なのかも知れないし、時間が消化していくこともあるかのしれない。小説家になるということだって小学生の卒業式でなぜかピアノの夢を閉ざしていて伝えた夢だ。当時はテイルズシリーズとかゲームの原作を書いてやる!と意気込んでいたけど、無意識レベルで想い続けることで、こういう形で小さく叶ったりする。だから、些細でも可能性を持ち続けることは悪いことではない。どこかに置き忘れてしまったら全てが叶わなくなってしまう。障害の有無に本当は境目なんてないように、関係性の中の恋心や夢への気持ちは境目なんてないグラデーションだ。でも死んでもいいから生きぬいてという言葉に近い考えでいうと、可能性を閉ざすことに否定も肯定もしないことにも美学はあるかもしれない。M1グランプリも島田紳助がお笑い芸人が諦めるいいきっかけとして結成10年を参加資格で始めたというのは面白い話だ。そう思うと、彼女の0にしないと辛くない?という部分に共感できる自分もいる。

 人の夢と書いて儚いと読む。人生はやりきれないことで溢れている。まぁとりあえず自分は今みたいに全力で振り切って無理だったら、0%の重みもイメージしながらも0.01%まで昇華し続けたい!その中でまた新たな出会いが広がっているだろう。時間はかかるかもしれないけれど、悔いのないように楽しめるじゃん…幸せになるんだから。
 今日は心が軽くなったから初めて駅からバスを使わずに歩いて帰った。この鼓動を確かめながら…その時にふと聴きたくなった曲を検索する。今日シェアしたいのはこんな曲かな。武瑠さんのメッセージはやはり否定しきらないところがいい。
「ときどきすてきなこのせかいで僕ら詩を唄うんだ
思い通りにいかないことなんて今に限ったことじゃねえだろ」
 最後逆に考えてみた…数えききれないほどのときめきの途(みち)が虹のように広がっている私の世界に限りなく細い一途(ひとみち)だけでも君とのときめきが断ち切れることなく残っていれば嬉しい。私の”いちず“が”ひとみち“に変わる。一途の希望を胸の奥にとどめる。
「ときどきすてきなこのせかい」に0.01%のドキドキとときめきを…

ただあなたが幸せでいれますように…Dear

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