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ひとりで考えているとネガティブになるのはなぜ?

ひとりでいるというのは「社会の目」から遠ざかっているということなので、おのずと「永遠」すなわち心のなかの非言語領域が表に出てきます。

そこは「社会」で活動しているあいだは心の奥に眠っています。それを表に出すと生きづらいという理由で、ひとりでに奥に隠れてしまっている。それがひとりの時間に表面化してくる。だから、ひとりで考えているとネガティブになるのです。

永遠、すなわち心の中の非言語領域は、たとえば、わたしたちの意思とは関係なしにとりとめのないことを考えます。たとえば、ユーミンの「ひこうき雲」のように。

あるいは、「なんか不安」という気持ちを呼び覚まします。ちょうど芥川龍之介が「ただぼんやりした不安」と形容した、その気持ちが湧き出てきます。

それらは自分の意思で表に出てきている感情ではありません。意思はあくまでも「そんなとりとめのない気持ちなど見たくない」といいます。しかし、意思のその思いをよそに「永遠」はどんどん湧き出てきます。

キルケゴールという思想家はそれを葛藤と名付けました。

わたしたちは葛藤のなかに生きるしかない――これがキルケゴールの慧眼の1つです。


わたしたちはつねに、永遠とべき論の葛藤のうちに生きています。「なんか不安」という気持ちと「社会的によく生きるべき」という気持ちの葛藤を生きています。

永遠は「自動的に」湧き出てくる感情であるゆえ、その葛藤はどうすることもできません。その「どうしようもなさ」を夏目漱石は『こころ』のなかで「牢屋」に閉じ込められた気分だと述べました。

そんな苦しい気分をどうすればいいのか?

永遠、すなわち心の非言語領域を、可能な限り言語化してあげることです。永遠という「ブラックボックス」に何が入っているのか、少しずつ言葉で表してあげること。

小説やうたの歌詞は、ブラックボックスを言語化しているから秀逸なのです。



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