嫌いに紛れた好きのはなし


わたしは音楽をつくってる。

周りにいる知り合いや友人と話をする。


誤解をおそれずにいうと、算数より国語を好んでた人がおおい。(わたし調べ)


わたしは国語が大嫌いだった。(好きな人ごめん)

算数が好きだった。

テスト用紙に並ぶ、好奇心を1ミリも抱けない抜粋された文章

筆者の気持ちの間違い探し

その場限りで右から左の漢字や慣用句

当時、そこに、それ以上を求めたくなるほどの興味を抱けなかった。


国語が悪い、という話ではない。

わたしの、国語という教科が嫌いだ、という話。


いや、そういう話をしたいのではなくって、


ふと、不思議に思うことがあって、今書いてる。


今この文章は書かされている訳でもなく、書いたからといって大金がもらえる訳でもない。でも、書いてる。

考えた。

コメダ珈琲店でミルクコーヒーたっぷりサイズがなくなるまで考えた。


気づいたことが一つ。

読み書きを学ぶ国語が嫌いでも、好きな「書く」があった。


昔から大切なひとにお手紙を書くのが好きだった。


直接伝えるよりも、時間をかけて振り絞って、できるだけ本当の気持ちに近い言葉を届けたい。

すぐに解像度の高い言葉を出すことができないから、時間をかけて嘘のないように伝えたい。


時折あると思うんです。

あの時、こう言っていれば、こんな言葉使わなければ、とかそんな類い。


突発的に出てくる言葉って、口から出任せ、なんてこと少なくない。

気をつけてはいるのだけど、

自分を守るためだったり、照れ隠ししちゃったりして、本当からは少しずれた言葉を選んでしまう。



わたしは音楽をつくってる。

コメダ珈琲店で気づいたのは、自分が作りたい音楽もそういうものなのかもしれないな、ということ。


「わたしはこう思っています」

「あなたはどうですか?」

「別にお返事はあっても、なくても、大丈夫です」

というような。


それともう一つ、ミルクコーヒーたっぷりサイズを飲み干してから気づいたのだけど、

お手紙はわたしのことを知っていて、あなたのことを知っている関係だからこそ成り立つもの、だということ。

だから少しくらいヘタッピな言葉でも、言葉足らずでも、行間で読み取ってもらえたりする。


でも、音楽や、今書いているこういう文章ってそうもいかない。

わたしはあなたのこと知らないし、あなたもわたしのこときっと知らない。


音楽も、こうして書くことも、好きでたのしくてやってることだけど、伝わらないより伝わる方がうれしい。

だから、もう少しお勉強しようと思いました。


本当が、形を変えて伝わってしまうことほど悲しいことはないもんね。




----------

いつもnoteを読んでいただきありがとうございます。
ただ読んでいただけるだけでもホッとするのですが、「スキ」を押していただけると元気がでます。

サポートは「するしかねぇ!」と、高揚したらぜひお願いします。
サポートで頂いたお金は音楽の制作、もしくは本の購入、あとはこっそり、ミルクコーヒーたっぷりサイズに使わせていただきます。

noteアカウントをお持ちの方はよければフォローお願いします。

最後までお読みいただき本当にありがとうございます。


よければサポートをよろしくお願いします。