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違和感への考察、その引っかかりの出どころは

「醜いと感じたものほど、なぜか心に引っかかるんだ。」
これはわたしのボス、デザイナーのドリスが、結構前に何かのインタビューで言っていた言葉である。
具体的に説明すると、彼が何かのエキシビションに行った際に見たペインティングの色の組み合わせが、“彼にとって醜い”と感じたというエピソードだったと思うんだけど、ほかの人にとってその組み合わせはすごく好きなものかもしれないし、また、なにも感じない人だっているだろう。

わたしの働く会社では、春夏、秋冬と一年を2シーズンに分けて洋服のコレクションを作る。
ウィメンズとメンズがあるので、一年に合計4コレクションを発表することになる。毎回テーマを決めて制作に入るのだけど、そのテーマは“業界あるある”でいうと、好きな映画とか画家の絵とか、音楽とかになる。
30年もコレクションを作り続けていると、年4回、毎回フレッシュに自分の好きなものや興味のあるものだけアウトプットし続けるには、相当なエネルギーがいるわけで、しかもこのサイクルは約3ヶ月毎に強制的にやってくる。
正直それはドMの成せる技でもあると思う。
長い経験の中で、好きなものを出し尽くしちゃった時だってあるだろう。

そんなときに言っていたのが、
「醜いと感じるものほど引っかかる。」
好きなものは当然すんなり自分に入ってくる。
でも、この“引っかかり”の理由に、何故?と問いかけることで、自分が本当に好きなものに誘導されることがある。ドリスの話で言えば、彼は自分が醜いと感じた色の組み合わせをもとに、ではどんな色だったら美しいと感じるか、と新しい探求が始まる。
引っかかり=違和感 は、自分の”好き“を別方向から確認するチャンスである。


先日noteで目にした、おまるたろうさんのコラムで、こんな文章が書かれていた。

「認めようと認めまいと尊敬している人/忌み嫌い軽蔑している人ってのは、深層意識にある価値観の反射なのだ。」
「あなたの嫌っている人が、あなたの得意を知っている。」
「その人があなたにつきまとうのは、“あなたの得意”を知っているからなんだよ!」

むむむ!!
嫌いとか、醜いとか、そういう違和感。
そこにある答えは、自分が本当に必要としているものだったりする。
放っておいたその違和感は、こんがらがったネックレスのチェーンみたいにほどけにくくなってしまう。
相当なカロリーを消費する作業だけど、夏休みの宿題みたいに、その都度やっておけばあとあと楽になるだろう。

違和感=人生の課題。
大人になってからも宿題は山積みだ。

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