見出し画像

続スタイルへの考察、コンプレックスを受け入れた先には

わたしは背が低い。中学3年生から高校2年生まで拒食症だった。成長期に必要だった栄養が十分に与えられずに今に至るので、正常に(?)成長していれば、全く違うフィギュアになっていただろう。
当時はいくら痩せていても自分が“痩せている”という自覚は無いし、比べる対象はいつも鏡の中の自分だったせいで、日に日にストイック度が増していった。今日の自分より痩せなくては。。。頑固な性格が後押ししてもう逃れられない悪循環、毎日が自分との勝負。仏教の苦行とはこんなかんじか。。。?
お母さんお父さん、そんなわたしを見守ってくれて本当にありがとう。

そんなエクストリームなドM学生時代を過ごしたわたしも無事に回復し、上京した。
専門学校時代、小さいわたしは友達に小動物のように可愛がられた。
就職した会社では、身体の二倍はあろうかという段ボールを毎日力強く運んでいたので、(アパレルは力仕事が多い)、同期の子たちに、“小さい巨人”と呼ばれていた。
体型コンプレックのかたまりだったわたしは、みんなの優しさに触れて、自分をちょっとづつ認められるようになった。

ヨーロッパに渡って、改めてまわりを見渡すと、人種の多様性に驚いた。
いろいろな体型の人がいて、いろいろなファッションを楽しんでいて、みんながとても自由に見えた。
ファッション業界で働いている限りある程度、“美”とされている体型の基準があることは認めざるを得ず、ずっとその世界で生きているから、いろいろな葛藤があるのは事実だ。でも、身長175センチのブロンドのきゃしゃなかわい子ちゃんの方が、それこそアンリアリスティックというか、たぶん10000人中1人くらいしかいない、特別な体型だと思うのだ。
だからみんな、お尻が小さくても、大きくてもいいじゃない、太ももが張っていてもいいじゃない、胸が小さくても、背が低くっても、高くても。。。

わたしはここ7年くらい、ずっと10センチのチャンキーハイヒールを履いているんだけど、それは背が低いから起こる不都合を補うためにはじめた習慣だ。
たとえば、会社のデスクの通常の高さ設定が既に笑えるくらい高いとか、キッチンの戸棚に手が届かないとか、稀に出先のトイレで足が着かないとか、そういう不便を補うための手段である。
通勤で自転車に乗るときも、スーパーに買い物に行くときも、仕事中も、休日も、年間400日くらい愛用している。
そのヒールは、歩く度にコツコツと特別な音をたてるので、違う部署の同僚に仕事の確認に行く時とか、キッチンにお茶を取りに行ったりするときに会った同僚に、(足音で)ヒトミが来ると思ってた!と言われるようになった。なんなら極め付けは下の階の同僚にも、わたしが歩いているのが分かると言われたこともある。
小さいわたし+チャンキーハイヒール はいつしかわたしのスタイル = My signature (シグネチャー)となった。

誰に見せるためでもない、自分のために、自分が好きだから履き続ける。
わたしの足の筋力は、10センチのヒールがデフォルトの状態に進化した。

前回の投稿で、フランス人のビジュアルアーティスト、スプーキーキッド(spooky kid) に触れたんだけど、彼もわたしと同様カラコンとチャンキーハイヒールを愛している。
わたしの見た目は全くもって彼ほどエクストリームではなく方向性も違うけど、好きなスタイルを続けてるという同志で親近感が湧く。

画像1

今では、遠くからでも足音だけで存在を気付いてもらえる能力(?)を身に付けたわたし自身を気に入っている。
丈の長いドレスやパンツを買った時はまわりから、
「丈詰めしたら余った布でもう一着作れるね!」
というお馴染みのジョークも毎回聞かされるけど、そういう自分を表す決まり文句みたいなのがあるって、なんか、すごく愛おしいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?