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「うつくしい人」への考察、ロシア上空に置き土産

他人の目を気にして、びくびくと生きている百合は、単純なミスがきっかけで会社をやめてしまう。発作的に旅立った離島のホテルで出会ったのはノーデリカシーなバーテン坂崎とドイツ人マティアス。ある夜、三人はホテルの図書室で写真を探すことに。片っ端から本をめくるうち、百合は自分の縮んだ心がゆっくりとほどけていくのを感じていた―。

去年の年末くらいに友人から、西加奈子さんの「うつくしい人」を借りた。題名に惹かれたのは、自分の考えるうつくしい人への定義をはっきりさせてみたかったっていうのが大きかった。読み進めてみたら、題名と裏腹。序盤はけっこう重い、なんて息がつまるんだ、、、。自分と社会との距離感や、誰にでもある他人に認められたいっていう欲求に苦しむ主人公の気持ちにずっぽりと引っ張られてしまいそうで、途中で読むのをやめてしまった。
この時点で自分の心のバロメーターがわかったりする。
本に関わらず映画だったりアートだったり、過激な表現や重々しい空気を受け入れられない時の自分は弱っている。だからわざわざ外側から自分を追い込むようなことはしないという防衛本能が働いたまでのはなしだ。
トリガーになる何かわからない物体を避けて通る、味わったことのない怖さや悲しさから、自分を守りたいのだ。

ずいぶんと経って、今日ようやく、この一冊を読み終わりたいなぁという気分になった。
日本に帰る飛行機の中で。
今日だったら読み切れるかもしれないって。
ここ二ヶ月、悲しいこと、嬉しいことがあって、物事が終わって、それだからこその新しい始まりがあって、わたしの感情は大忙しだった。

ブリュッセル空港のロビーで本を開いた時、以前読み進められなかったあのページが、わたしの目の前に対峙した。
よく覚えていないのは、あの時のわたしがそのシーンを記憶したくなかったからだ。
数ページ戻ってからもう一度読み進めることにした。ああ、今日はすらすら入ってくるな。
重々しかった主人公の感情が、去年は傷口に塩をすり込むかの如くヒリヒリとたまらなかったのに、今は乾いた肌に水分たっぷりのクリームを塗り込むように言葉たちが染み込んでいく。
ああ、わたし大丈夫かも。

誰の目を気にしているの?
誰に評価されたいの?
自分が持っているものは十分でない?
「自分のことを見ている自分の目が、何重にもありすぎて、自分が自分でいることがどういうことか、分からなくなるんです。」
主人公の百合ちゃんがずっと抱えてきた感情は、わたしの抱えているそれと似ていたような気がする。
そんな感情を抱えているからみんな苦しくって、それぞれの哲学を必死に説こうとしている。

作中の、「吸収するだけじゃなくって、“置いてくること” も必要なんだ。」という一文にぐっときた。わたしたちは、インプットがなければ文明社会に生きてる人間とは言えんとばかりに、毎日の生活のなかで、新しいなにかを吸収することに忙しい。というよりむしろ百合ちゃんとわたしは吸収することで、抱えている問題を見ないようにしていた、これも一種の防衛本能だろう。
周りに素直な感情をぶつけることほど、勇気のいる行為はない。
百合ちゃんは、感情が満タンになって訳もなく泣いて、その離島に溢れ出たそれを置いてきた。
わたしもブリュッセル空港のロビーとロシア上空あたりで、涙という形状はしていなかったけれど、何かを置いてきた感覚があった。
取りに戻らなくてもいい、置き土産。

大事な人に素直な感情をぶつける勇気がある人
それがわたしの、うつくしい人
わたしもわたしの大事な人たちにとって
うつくしい人でいられるように

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