「叱らない」のか「叱れない」のか

恥の多い人生でした。



私は、ただ生きてるだけなのによく怒られます。



そのせいでこんな異名も。


まあ普通に考えて、人間性に難があるんですけどね。
ただ怒られてはいるだけど

「なんで私ばっかり・・・!」

なんて悲観的にはなりません。どっちかというと、


「やっぱりかーーーーそうだよなーーーーーー怒られるのは時間の問題かなーって思ってたんだけどあーーーーーーまたかよなんで学ばないんだよお前ーーーーーーーーー」


って最大瞬間風速的にめちゃくちゃ落ち込みます。100%こっちが悪いケースはただただ申し訳ございません状態になりますよね。
なので厳密にいうと、怒られているというよりも「指摘されてる」って感じ。叱咤ですよ叱咤。
(ちなみに理不尽に怒られた際はマジで潰しに行きますし主義主張はきっちり通します。仁義なき戦い)


ちなみに私自身は、他人を「叱る」という行為が苦手です。
これまでの人生で少なからず誰かを叱らないといけない瞬間ってあったはずなのですが、どちらかというと避けてきました…優しく言ってなだめようとするタイプですね。

おそらく世間の指摘できない上司も同じようなことを思っているのかと思ったので、自分なりに叱れない理由を2つ考えました。


1. 理解不足

「指摘したいけど、どんな言い方したらいいんだろう…」

これ、二つの側面があると思います。

・起こった事象に対して、適切な答え
・その対象者に合った適切な指摘の仕方

「なぜいけないのか」を明確に言えない。
そして「どんな言い方をすれば納得してくれるのか」が想像できない=その人のキャラクターを理解していないから、指摘することを躊躇してしまっています。

2. 覚悟不足

叱るためには、かなりエネルギーを使います。そして覚悟も必要です。
覚悟に関しても二つの側面があると思います。

・嫌われてもいい覚悟
・自分も示しをつかせる覚悟

叱ったからにはその後のフォローもしなければいけないし、自分自身しっかりしなければいけないので、必然的に気にしなければいけないことが増えます。

上記2点上げましたが、根底には「相手のためを思った行動」の一つが叱るという行為なわけで、そこから目を背けるということ自体が誰のためにもなっていないことを認識した方がいいと思います。


ちなみに先ほどから意図的に「怒る」と「叱る」を文章中に混在させていますが、意味の違い説明できますか?

『怒る』は、感情の赴くまま、不満を爆発させることなので、目上の人に対しても使われ、世間の風潮など、抽象的なことに対しても使われる。
『叱る』には、「良い方向へ導こう」という指導の意味があり、指導する人と指導される人という関係がなくては成り立たない言葉であるため、「子供を叱る」「部下を叱る」のように、必ず目下の者に対して使われる。

「怒る」と「叱る」ではこんなに意味が違います。
「叱ること=相手を傷つける行為」ではなく「叱ること=相手の成長させる行為」であるのです。


その点でいうと、私が所属するfree web hopeの代表相原(@fwh_aihara)は、大胆なんですけど、めちゃくちゃ繊細なので指摘が細かい。そして言い方もきつい。
(たまに「意地悪な姑かよ」って思う瞬間ある。一瞬で劇的に凹む。でも大概は私が10000%悪いことを忘れてはいけない。)

ただ、それは理不尽に感情的に怒るのではなく、ちゃんと目的を持って正しい道に導くために叱ってくれます。


例えばこんな感じ。何らかの制作物の確認を依頼したとき。
(転職初期によく指摘されていたことで…というか未だに言われるなこれ)

「このクオリティで、お前が社長だったらGO出す?作業になってない?俺が確認するからこれでいいやって思って確認依頼出してない?それで本当にいいと思ってる?」
「これ、free web hope のクレジットが入ったものとして世の中に発信したらみんなどう思う?それを目にした人は?お前よりも優れたものを作っている社内のメンバーは?甘い。ちゃんと自分ごと化しないと成長できないよ」

字面で見ると結構辛辣。実際に口頭で言われるともっときつい。
でも正論だし、ちゃんとそのあとに改善する余地があることも伝えられているし、、といった感じで素直に猛省しました。


今のは一例ですが、生きてるとだいたい毎日こんな感じで指摘されています。ですので、毎日死ぬほど反省しますが、凹んではいません。
社会人になって指摘してくださる方の有り難みを感じるようになりました。これはどの職場でも言われてきたのですが、私が叱られている姿を見た同僚が口を揃えて「よく耐えられるね」と言ってきます。

むしろ私からしたら歴代叱ってくれた上司たちに「こんなにポンコツなのに見放さないでわかるまで言い続けてくださって本当にありがとうございます……早くビッグになりてぇ」という気持ちでいっぱいです。

マザーテレサも「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と言っているように、「こいつにももう言っても無駄」と思われてしまったらもうすべてが終わりです。一度失った信頼を取り戻すのって果てしない道のりですよ。

冒頭でお話しした「私、叱るの苦手…」っていうのは、きつく言えないからじゃなくて「愛が足りない」からなのかもしれません。


抽象度高めな内容になっていますが、ここ最近私が叱られ続けているからこんなテーマにしたわけではありません。笑

余談ですが、この雑多な文章は2年近く前の某ブログに書いた内容はリライトしてます。未だにめちゃくちゃ思うことあるか成長してないわけじゃないと思うけど、人の根本って変わらないんだなーって思いますよね。



嫌だなぁ。変わりたいんだけどなぁ。


この記事を書いたのは

知っている人も知らない人も。クロスヒトミと申します。


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