1月30日 13時

今日は病院の診察に
話せたことはなかなかよかった。
「人生そんなに楽しいことってないじゃないですか」
「そりゃそうですよ、どちらかというと面倒なことの方が多いしね」

という話から始まり、落とし所をどこにするのか、だから人生こんなもんかとも思うけど、思うけどやっぱりしんどいとか、そんな話を聞いてもらい。

セロトニンが足りなくなりやすいというのは、女性が抱えるハンデなのかも、という話もあった。そうすると頭が勝手に不幸を作り出す、みたいなことになってしまうからなぁ。

とはいえ、じゃあ一生薬飲んでくのか?という話になるし、薬を抜けようと思ったら、セロトニンという機能的な問題だけじゃなくて、考え方の癖とか、苦しい理由とか、そういうことを一つひとつ分析していくのも助けになるのではないかという話があった。

私が一番ひどく認知が歪んでいた頃は(15年ぐらい前かな)、私は誰からも好かれない、一生一人で生きていくんだ、何もかも人より劣ってる、すれ違う人はみんな私を馬鹿にして見てくる!と本気で信じていたので。

それを直してしまってからは、あまり自分の認知とは向き合わなくなってしまったね、まあある程度辛くなく生きられるようになってしまったから必要がなくなったんだな。

しかしここにきてやっぱり、薬がないとどんどん底の方に引っ張られていくようになり。薬飲めば元気でいられるし、いいっしょ、と考えていたのだけど、それがずっと?となると、ここらで一つ…。

具体的に辛い事や辛かった事がハッキリしていればね、これが原因かぁということで、必要なら薬も飲めばいいし、
でも私はそこまで具体的な何か辛いことがあるわけじゃなくて、強いて言うならなんかもう生きること、生活自体がなんか迫ってくるというか…。

なんか辛い、なんか嫌だ、が大きくなり過ぎて、全部が落ちてしまう、これはまずい。

セロトニンと言えばそうなんだろうけど、それだけではない自分の弱みや原因、癖を見つけることがとりあえずの目標なのかな。

日記もこういう人に見せるものと、非公開の自分だけが見られるものと、両方やらないとダメだろうな。人に読ませようとするとカッコつけるし整えるからなぁ、固有名詞書けないし。

今何が嫌?ということを常に自分に問うていきたいと思う。ほんと、なぜこうなる、お前はほんと手がかかる…。

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