スマホ水没。たけのこニョッキで朝を迎える。 in バンコク
二〇一六年四月中旬。
三月の頭から、インドネシアとミャンマーを約一ヶ月掛けて周遊した後に辿り着いた、タイ・バンコク。
私は、そのバンコクでスマートフォンを水没した。
それは、このバンコクに数日間滞在した後、これからまた約一ヶ月掛けて、カンボジアとラオスとベトナムを周ろうと思っていたタイミングだった。
バンコクに立ち寄った目的は、”ソンクラーン”に参加することだった。
ソンクラーンとは、世界的にも有名な、タイ全土をあげて旧正月を祝う”水掛け祭り”のことである。本来は、水を掛けてお清めをするといった意味があるとのこと。
私がソンクラーンを過ごす場所に選んだのは、激戦地・カオサンロード。本国タイ人のみならず、いかついバズーカ砲(水圧の強い大きな水鉄砲)を所持した陽気な外国人旅行者がひしめく”バックパッカーの聖地”だ。
ちなみに、宿泊しているゲストハウスから一歩出るやいなや、屋台のおばちゃんにバケツでいきなり水を掛けられる。それに私も水鉄砲で応戦すると、今度は周りにいた人々からも集中砲撃に合い、とどめに別のおばちゃんにバケツで水をぶっ掛けられ、外出して一分も経たないうちに全身びしょ濡れなのである。
ピーク時には身動きが取れないほどの人でごった返し、爆音でクラブミュージックが流れるあちこちのパブの前には踊り狂う人だかりができていて、売り子のお姉ちゃんたちが高いところで”BEER”などの大きなカードを持って水に滴りながら踊っていたり、その売り子のお姉ちゃんたちから振る舞いのウイスキーをご馳走になったり、すれ違いざまに見知らぬ人に「ジャパン?チアーズ!」と声を掛けられて缶ビールで乾杯したり。
マットが敷かれたセブンイレブンの床は水浸しで、割れたビール瓶やゴミが出入り口の辺りに散乱していたり。
小便臭い路地裏、あちこちからあがっている奇声や歓声、人が多過ぎて気絶してしまう女性に大喧嘩やいざこざを起こす男性、数人で縦列を作って進んでいくノリノリの現地の少年少女、人目をはばからずキスをする男と女、はたまた彼女に指輪を差し出してプロポーズしている彼氏。
それから、すれ違いざまに”ディンソーポン(白い粉を水に溶いた泥状のもの)”を顔に塗ってくるタイ人の女の子たち。
そのような収拾のつかないカオスな状況の中で、三六〇度から容赦なく、そして止めどなく水が飛んでくるのだ。朝から夜中の二時頃まで。ぶっとおしで。
前夜祭を除けば、国籍や言語や文化を超越したクレイジー過ぎるこのお祭り騒ぎは、三日間に渡って行われた。
この約二年前、ソンクラーンではない時期に私はカオサンロードを訪れたのだが、間違いなく、タイという国が全く違う表情を魅せる三日間だと思った。
ソンクラーン二日目。
”習うより慣れろ”ということで、前夜祭からソンクラーンに参戦していた私は、その雰囲気であり楽しみ方をだいたい掴んできていた。
その日、ラストまでの生き残りを目論む私は夜の十九時頃から外に繰り出し、リオビールやらチャーンビールの瓶やら缶を何本も空けて、完全に羽目を外していた。
そして、相変わらず水浸しになりながら一人でカオサンロードを歩いていると、途中に爆音でクラブミュージックが流れているブースがあり、その前で楽しそうに踊っている人だかりを見つけた。
完全に酔っ払いの私は、すぐさまその人だかりに混じって踊り始める。その間、ホースの水が勢いよく飛んできて、終いにはブースの上から大きなバケツに入れられた大量の水を「ザバババババババババーンッ」とやられてしまう。
辺りからは、悲鳴や歓声がする。びしょ濡れで笑顔を浮かべながら踊っている人だかりのボルテージが、さらに上がったのがわかる。近くの人と自然にアイコンタクトをして、お互いにまた笑顔を浮かべる。
肌を伝って地面へと落ちていく無数の水滴を感じながら、私もテンションを引き上げて、また自分の世界へと入っていく。
踊り疲れたので、そのずぶ濡れハイテンション集団から抜け出して、私はまた一人でカオサンロードを徘徊し始めた。
着ていたタンクトップと履いていたデニムのハーフパンツは大量の水を吸い、冷たく不快に肌に張り付いている。頭に被っていたバケットハットからも、ポタポタと大粒の水滴が落下する。
いつもビールを買う馴染みのセブンイレブンの前に辿り着いたので、人が溜まっている出入り口の前で少し休憩することにした。
そして、時間を確認するために、首に掛けてタンクトップの内側に忍ばせてあった防水用のスマホカバーを取り出した。
すると、その時である。
私は、その防水用のスマホカバーの口がしっかり閉まっていないことに気づく。
酔っ払いながら何回か動画や写真を撮るためにスマホを取り出していた際、閉めるのを忘れてしまったのだろうか。カバーの中は曇っていて、底の部分に少し水が溜まっている。
慌ててカバー内のi phone 6を取り出す。
しかし、まだ充電が残っていたはずにも関わらず、画面はどのボタンを押しても暗いままで、電源ボタンを長押ししても目の前のi phone 6は、うんともすんとも言ってくれない。
旅を続けてきて約一ヶ月。
凄まじきソンクラーンの洗礼に自らの不注意も相まって、ここに来てのまさかのスマホ水没。
……しかも、まだこの旅はあと一ヶ月続くというのに。
これでいよいよ本当に、日本の家族や友人たちと「お互いに何かあったら、その時はごめんなさい」となった。
同時にそのことを自覚すると、急激に不安にも襲われた。
このスマホを水没したショックを誰にも打ち明けられないまま、結局今が何時なのかもよくわからないまま、さっきまでのテンションの高さが嘘だったかのように、私は肩を落としてトボトボとあてもないまま再び歩き始めた。
しかし、その時だった。
「オ!!オーーー!!!」
「おーーー!!!」
何と、前夜祭の時に水鉄砲の激しい撃ち合いの末に仲良くなった、タイ人の”フォン”と中国人の”ミウ”の女子大生コンビと、まさかの再会を果たす。
その思いがけない出来事に、スマホを水没したショックが紛れる。
彼女たちは、一昨日と同じパブの前に立って、一昨日と同じように行き交う人々に水鉄砲を撃っていた。なので、私もそこからは一昨日と同じように、彼女たちと一緒にパブの前に並んで水鉄砲を撃つことにした。
フォンは日本人らしい人が目の前を通ると、「ニホンジン!ニホンジン!」と言いながらその人に水鉄砲を撃った。一昨日、私に対してもそうやって水鉄砲を撃っていたことを、フォンは教えてくれた。
また、フォンは[花より男子]が好きらしく、「マキノツクシ!ドウミョウジ!」と、登場人物の名前を挙げていた。それから、「アリガトウ」も知っていた。
ミウは、フォンと同じタイの大学に通っていて、ソンクラーンにはもう何度も参加したことがあると言っていた。口数は多い方ではないけれど、かといって凄くおとなしいタイプというわけでもない。ミウはいつもニコニコしていて、フォンとはバランスの取れた良いコンビだと思った。
「(身振り手振りも交えて)トゥデイ イズ マイ テレフォン ブローク……ウォーター……ザバーーンッ」(今日さ、携帯電話を水没しちゃったんだよね)
私は、スマホカバーから水没したi phone 6を取り出して見せながら、とうとう自分だけでは抱え切れなかったこのショックを、フォンとミウに打ち明けた。
すると二人は、「わー、それは悲しいね。元気出して」と、同調してくれた。
異国の地で私は、それだけでも気持ちが少し晴れた。
「よし!起きたことはもう仕方ないし、ソンクラーンを思いっきりエンジョイしよう!!」
まだ半ば空元気ではあったが、私は気を取り直して、また目の前を通っていく人々に水鉄砲を撃ち始めた。
「待って!それなら良い方法がある!」
突然そう言い始めたのは、フォンだった。
「ライスにスマホを突っ込めばいいよ!!そうすれば、ライスの蒸気で内側の水が乾いて、スマホが直るかもしれない!!」
そう言い放ったフォンは、至って真顔だった。その表情から、どうやら人をからかっている雰囲気ではなさそうだ。
確かに原理としては、理にかなっていなくもない気がする。
しかし、だからと言って、この明らかに一か八かの荒治療が果たしてタイでは常識なのかどうか、にわかには信じ難い。
それでも、フォンの瞳は、やはりまっすぐだった。
その時、ミウは目の前を通りがかる人々との水鉄砲の撃ち合いに夢中で、この会話を聞いていない。
しかし私は、ミウに「フォンの言ってること、タイではあたり前なの?」などと、わざわざ聞くまでもないと思った。
まぁ何というか、実際にご飯にスマホを突っ込むか突っ込まないかはさておき、私は、フォンがそれを真剣に話しながら親身になってくれたことを微笑ましく思った。
それだけで、また幾分か気持ちが軽くなったのだ。
その後、新たに二十代半ばぐらいの韓国人の男の子二人組も加わって、カオサンロードが静けさを取り戻す夜中の二時頃まで、私たちはソンクラーンを満喫した。
そしてその後は、フォンとミウの提案で、五人で深夜営業をしている近くのレストランに行くことになった。
フォンに「おすすめのタイ料理は?」と聞くと、トムヤムクンを筆頭に手際良く何品かのタイ料理を注文してくれた。
ソンクラーンを終えてお腹を空かせた私たち五人は、料理を食べながら談笑し、引き続き楽しい時間を過ごした。
韓国人の男の子二人は、ソンクラーンに参加するために休暇を取ってタイに来ていた。また、大阪に最近行ったことがあると教えてくれ、二人とも「スミマセン」などの日本語をいくつか知っていた。ちゃんとボケとツッコミが成立していてユーモアもあり、何より息がピッタリな感じのいい二人だった。
話がひと段落すると、今度は手を使ってできる簡単なゲームを、みんなですることになった。
ゲームの内容は、例えば、「ワン、ツー、◯◯」(※◯◯には数字が入る)の掛け声で全員一斉に手を重ねるように出して、重ねた順番がその◯◯と同じ数字の人が全員から手を叩かれる(一発目は両手で挟まれるように叩かれ、二発目は片手で強めに引っ叩かれる)といったゲームや、日本でもお馴染みの、全員が立てる親指の総数を当てるゲームなどをやった。
罰ゲームは、お決まりのシッペやデコピン、それから、朝方に私たちの席に少しやってきた、ツーリストの青年の水鉄砲。
「日本では、どんなゲームをやるの?」
「んー、そうだなー。……あ!たけのこニョッキっていうゲームがあるよ!!」
興味津々といった感じで聞いてきた四人に、私は咄嗟にそう答えた。
即座に頭に浮かんだのが、たけのこニョッキだった。このメンバーでやれば、面白くなりそうだと思った。
たけのこニョッキ、国境を超える。
「初めて聞いた!どんなゲームなの!?」
私は、身振り手振りとニュアンスに頼りっぱなしのつたない英語で、たけのこニョッキのルールについて四人に説明した。
それにしても、まさか二十八歳になって、しかも異国の地でオールナイトをしながらこんなグローバルに、たけのこニョッキをすることになるとは。
人生、何が起こるかわからないものだ。
「タケノコ、タケノコ、ニョッキッキ!」
「ワンニョッキ!」
「ツーニョッキ!」「ツーニョッキ!」
「セーム!ミウ、フォン、セーム!!」
「ノー!!(笑)」
「さぁ、シッペかデコピン、どっちか選びなさい(笑)」
結局、私たち五人は朝六時頃まで、たけのこニョッキで白熱した。
ようやくお会計を済ませてレストランの外に出ると、空はすっかり明るくなっていた。
私は、最後に四人と握手をして別れた。何かこう、また来週ぐらいに会えそうな錯覚を起こしながら。さっきまであんなに楽しかったのに、呆気なく。
泊まっていたゲストハウスまでの帰り道、私はセブンイレブンでパックご飯を買ってレンジで温めてもらった。
そして寝る前、その湯気が立っているパックご飯に、水没したi phone 6の下半分を埋めた。
百歩譲って水没した直後ならともかく、水没から半日近く経ってしまった、このタイミングで。
同時に、その藁にもすがる思いで「起きた時に直っているかもしれない」などと、どこかでまだ諦めきれていない自分が酷く滑稽に思えてきた。
ちなみに昼過ぎに起きてみても、案の定、奇跡などは起こるはずもなかった。
私は、無意味にまたパックご飯にi phone 6の下半分を埋めた。
そして、もう一度ベッドに仰向けに寝転び、ゲストハウスの部屋の天井をぼんやりと見つめ、溜め息をついた。
その夜、これまた人がごった返す中、今朝までたけのこニョッキをした例の四人とまたもや再会を果たし、ソンクラーン最後の夜を一緒に過ごした。
「ライスにスマホを突っ込んでみた!?」
フォンが、目を輝かせながら私に聞いてきた。
「突っ込んみたけど、直らなかったよ(笑)」
私がそう答えると、フォンはまた少し真剣な顔つきになって、「もう一回突っ込めば、今度こそ直るかもしれない!!」と言った。
私は、フォンの相変わらずのその純粋さに、また何だかほっこりした気持ちになってしまった。
そして今度は、スマホをご飯に突っ込む方ではなく、あと残り一ヶ月は、”この不便さえも楽しみながら旅を続けていく”方の背中を押してもらった気がした。
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