昼プーの末路

昼プー(名)

 午前中の部活動を終えて帰宅し、母が作ってくれた素麺などを無愛想に食べ終えた頃にちょうど始まる[キッズ・ウォー]を観るという、平穏な夏の午後に飽き足らない気の緩みがナビゲートする心の逃避行の着地点。

 また、長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せてブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていくことや、箱アイスでスイカバーにするのかメロンバーにするのか悩んでしまうことと、隙あらば肩を並べようとしている夏の風物詩のダークフォースでもある。

 何より、涼みながらスリルも味わえるという一石二鳥、そして、もれなく夏らしい思い出を手っ取り早く獲得できてしまう至れり尽くせり。

 そのアンダーグラウンドな臭いにも誘われて、くすぶっていた好奇心や冒険心は遂に燃え上がり、ほんの一瞬だけ魔が差してしまった出来心に、まさか自分がへたをこくわけがないと誰もがはじめは思っていた。

 また、人知れず描きがちな「成長した自分が当時の忘れ物を取りに行く」的なベタな筋書きと、そこから派生したような懐古的な趣向及び優越感、過去の自分への一種のカウンター的な思考の矛先として、主に母校のプールが標的となる。

 昼プールの略。

 

 対義語 闇プー・夜プー

 類義語 青二才・若気の至り・不法侵入 など

 それは忘れもしない、夏休みに入って間もなくの七月下旬。夏の東三河中学校総合体育大会の前日のことだった。

 当時、私は中学二年生で部活動は剣道をやっており、私たちN中学は毎年、この東三河の総体の前日は午後から試合会場の準備を手伝い、そのまま会場で練習するというのが恒例となっていた。よって、その日は昼過ぎに学校に集合して会場に移動することになっており、珍しく午前中は時間があった。

 夏休みに入ってからは、総体の前ということもあって午前と午後の二部練習がずっと続いていたので、部活に情熱を注ぎながらもやっぱり遊びたい盛りでもあった私は、持たせてもらったばかりの携帯電話で、近所の団地に住んでいてよく遊んでいた同級生の”M”と連絡を取り合い、この真昼間から母校のU小学校のプールに忍び込む段取りをつけていた。

 というのも、Mのこの夏のマイブームはどうやら”闇プー”のようであり、夏休みに入ってから既に二回ほど、U小で闇プーをした話を聞かされていたのだ。

 

 このMという男は、プリクラを撮る時に、サングラスを掛ける時もあればタオルをマスクのようにして顔を隠すこともあり、それから、わざわざタバコをポケットから取り出して咥え、落書きペンで”ラリ坊”と書くことを好むような奴だった。

 また、そのMが乗っていた、日章旗のステッカーが貼られた改造自転車のハンドルは、鬼ハンだかカマハンだか執拗に内側に曲げられ、荷台の後ろの部分も美しい曲線を描いていた。中一の時には”嘩武鬼(かぶき)”というチームを結成し、Mは確か副総長か何かに就任していた。しかし、その嘩武鬼は三年生の恐い先輩に目をつけられたか何かで、特に目立った他の中学校と抗争らしきものも起こることなく、数ヶ月で解散に追い込まれた。

 ちなみに、その嘩武鬼のメンバーに友達が多かったこともあって籍だけ置いていた私は、近所の神社で密かに行われた解散式にも一応参加している。確か、みんなで 嘩武鬼とデカデカと書かれた旗を持って、写真を撮ったはずだ。

 それから、Mは典型的なイタズラ小僧だった。

 例えば、奴が家に泊まりに来た時、寝ている隙に私の携帯を使って悪事を働かれたことがある。

 初犯は、同級生の友達の携帯の留守電に「ハロー!僕ミッキー!鼻が臭いよ!」などという、意味不明なメッセージを残すというものだった(後日、その友達が爆笑しながら「何これ?」と言ってきたことによって発覚した)。

 また、違う日に泊まりに来た時は、またもや私が寝ている隙に同級生の女子に卑猥なメールを勝手に送られていたこともあった。

 勿論、抜かりなく送信履歴は削除されていたので、「この前、夜中にあんたからオナニーっていうメールが来ただけど」と、その女子に直接告げられてようやく私は「あの野郎、またやりやがったな」と全てを悟ったのだ。

 ちなみに、この一例は、Mのイタズラの序の口であり氷山の一角にしか過ぎない。

 もし、彼をよく知る同級生を何人か集めて、Mの当時の悪事について証言してもらえばどんどん出てくるだろうし、Mは、そういうイタズラや人をおちょくることに関して言えば特筆したセンスの持ち主であり、また幾度となくそういう類いのパイオニアにもなった。そんな調子だったので、その度を超えたイタズラと、それに追い打ちをかけた、わざと耳障りに聞こえるように計算された独特な笑い方が気に障ることも珍しくはなく、Mとはしょっちゅう喧嘩にもなった。

 そんな私たちを見て母が、「あんたたち、何で仲が良いのかね?」と、よく不思議がっていたものだ。

 そう、Mと私は誰がどう見ても根本的な性格の部分で既に”スタイルウォーズ”だった。

 中学に入学してすぐ、当時この界隈では随一の不良中学を自転車で偵察に行った時などは、Mは改造自転車に黒のワークジャケットか何かでバシッとキメていたのに対し、ただの興味本意で着いて行っただけの私は、近所の伊勢屋という婦人服屋で間に合わせで買った、野暮ったい蛍光グリーンのいかにも作業着と言わんばかりのトップスに、手首には一〇〇均の白のリストバンドを付けて、五段階ぐらいの変速が付いている、中学に入学してまず初めに買ってもらうロールモデル的な銀色の自転車に跨がっていったことが、それをよく物語っている。

 しかし、Mとよく遊んでいたというからには、何もかも馬が合わなかったということではない。

 既に書いたように、Mとは家が近所だったため、よく私の家に泊まりに来たり、向こうの家に泊まりに行ったりしていた。

 そして、私たちは”モッフィー愛乱怒”というユニットを組み、夜中にDA PUMPの[if…]のCDのカラオケに乗せて、NHK教育の[バナナ イン パジャマ]に登場するエミリーとモーガンについて、あることないこと歌った自作の曲をラジカセでカセットテープに録音したり、無事にそのレコーディングが終了すると、「じゃあ、そろそろ”チキりますか”!?」などとほくそ笑みながらチキンラーメンを作って食べたり、伊勢屋で購入した無地の白のTシャツに、チーム名や背番号などをマーカーで手描きした自作ユニフォームを着て、朝っぱらから近所の公園でピッチング練習をしたりしてよく遊んでいたのだ。

 確かにMと私は、性格的にスタイルウォーズで些細なことでよく喧嘩もしたが、そういうシュールな部分と野球が好きという点では話が合ったし、逆に言えばスタイルウォーズ的な部分からも、私に持っていないものを持っていることから、刺激を受けていることといつも紙一重だったということにもなる。

 そして、実は私にも潜んでいるダークサイドを上手く引き出していたのが、Mという奴だったのだ。

 

 また、この日にもう一人召集が掛かったのが、同級生の”U”だった。

 Uは、中一の途中にMと同じクラスに転校してきた。

 私は、中一と中二ともにUとは同じクラスではなかったが(ちなみに、Mとも中一と中二ともに同じクラスではなかった)、中一の時に既にMから紹介されていたこともあって存在は知っていたし、今までに何度かMと一緒にいた時に遊んだこともあった。

 私の印象では、Uはパッと見はむしろおとなしそうだったが、話してみると面白いタイプだった。

 そして、UはMによって、やはりダークサイドの部分を引きずり出されていた。確か転校してきてすぐぐらいに、私の家の前のアパートの駐車場で真っ昼間からMたちに派手に自転車を壊され、Uはそのアパートの駐輪場に停めてあった鍵の掛かってない自転車を普通にパクっていたのが衝撃的だった。

 

 私は、着替え用のトランクス一丁とバスタオルがわりのスポーツタオルを服の内側に忍ばせると、「ちょっと部活まで、Mの家に遊びに行って来るわ」と母に嘘をつき、家を出た。

 そして、Mが住んでいる団地の公園で二人と合流し、歩いてU小へと向かった。U小までは歩いて一五分ぐらいだ。

 しかし、昼前ぐらいにU小に到着すると、夏休みの平日ということもあって、運動場ではサッカー部の生徒たちが練習をしていた。

 「うわー。部活やってんじゃん。これは、やめておいた方が良さそうだな」

 以外にも、一番イケイケのはずのMが、少し残念そうに冷静でまっとうな一言を漏らす。いや、数々の悪巧みをしてきたMだからこそ、何か危険な匂いを真っ先に感じ取っていたのかもしれない。

 Uも、Mと同意見だった。そりゃ、そうだ。だって、真っ昼間だぜ。それに、夏休みは始まったばかりだし、今日わざわざ無理に危険を冒さなくても、まだチャンスはいくらでもあると彼らは思っていたのかもしれない。

 しかし、そんな撤退ムードに納得いかないのが、まさかのこの私だった。

 「えー。せっかくここまで来たなら、入ろうよ。プールの裏から入れば、大丈夫じゃない!?」

 

 これだから、いったん火のついちまった無鉄砲な初心者は面倒臭い。何の根拠もない、単なる勢い任せのビギナーズラック頼み。悪い意味で怖いもの知らず。夏の解放感にも背中を押されて、これはこれはお久しぶりですね、もう一人の調子に乗った僕。

 

 「そうだな。プールの裏側に回ってみるか」

 もともと言い出しっぺのMと、調和とイタズラ心の両方を兼ね備えているUを説得することは、それほど難しいことではなかった。

 私たち三人は、プールの裏側に回ると高さ二メートル程のコンクリート製の塀をよじ登り、プールの敷地内に侵入した。

 私は、いけないことをしていることと、まさかまた足を踏み入れるとは思ってもみなかったU小のプールに足を踏み入れたことによって、懐かしさの入り混じった興奮を覚え、完全にテンションがブチ上がっていた。きっと、Mも夜じゃなくて昼ということでまた新鮮な気持ちだっただろうし、Uもきっと転校してくる前の何かしらの夏の思い出に重ねていたか、悪ノリのスイッチが入っていたかで、同じような気持ちだったと思う。

 私たち三人は、プールサイドに服を脱ぎ捨ててトランクス一丁になると、堪えきれない笑みを浮かべて、おのおの何か叫びながら高学年用の少し深い方のプールに飛び込んだ。

 ところどころからザブーンという音が響くとともに、高々と水しぶきが上がる。少し夏の日差しの熱を含んで表面がキラキラとしているプールの水は、冷た過ぎず心地が良い。その一部始終だけを見れば、それは、まるでウォーターボーイズのワンシーンのようだったかもしれない。

 そして私たちは、笑い合いながら水を掛け合ったり、「あいつを捕まえろ!」と水中鬼ごっこをしたり、「俺の飛び込みを見ろ!」と調子に乗って何度も飛び込んだりして騒いでいた。

 さらに、完全に羽目を外しまくっていた私は、「はい注目!今から平泳ぎを教えます!」と得意げに言い放っていた。

 しかし、「平泳ぎというのは……」と、プールのど真ん中で熱弁し始めた、まさにその時だった。

 ちょうど目線の先のプールの入り口に突如現れた人影と目が合った瞬間、私は「終わった」と思った。

 「おい!!!そこで何やってんだ!!!」

 その人影は、怒鳴り込みながら早足でプールサイドに入ってきた。

 MとUは、ちょうどプールの壁に張り付くようにして死角となっていたため、とっさのことでまだ何が起こっているのか状況が飲み込めていないらしく、引きつった笑みを浮かべながら私を見ていた。その怒鳴り込んできた中年の男は、初対面だったがU小の先生だというのはすぐにわかった。私たちが卒業した後に、赴任した先生なのだろう。

 「お前たち、どこの学校だ!?」

 「すみませんでした!!もう二度とやらないんで、今回だけは見逃してください!!!」

 反射的に部活動のことが脳裏をよぎった私は、学校名を名乗ることなく、何とか見逃してもらおうと真っ先に素直に謝った。

 なぜなら、剣道部の顧問のN先生は、剣道の名門である東京のK大学出身で剣道の段位は七段であり、しかも曲がったことが大嫌いで、常日頃の生活面から体育会系特有の威厳を醸し出していたので、この不祥事をきっかけに余裕で剣道部を退部させられても何らおかしくなかったからだ。

 先輩の白の面タオルが血の海に染まった”後頭部流血事件”や、美容院で眉毛を剃られ過ぎた後輩が胴の部分に蹴りを入れられて真後ろに三メートルぐらい吹っ飛ぶなど、その他にも恐ろしい事例多数。

 しかも冒頭から書いているとおり、明日には一学年上の先輩たちの最後の夏の総体を控えており、私はその団体のメンバーにも入っていた。また、この夏に三年生が引退した後の新チームで、私は主将になることも決まっていた。

 私にとって、このような時に反射的に頭によぎるほど、小学生の時から打ち込んできた剣道は、中学生活の中心を担っていたと言っても決して過言ではなく、この期に及んで自分勝手ではあるが、その剣道が中学生活から失われることに初めて恐怖を覚えたのだ。

 

 しかし、現実はそんなに甘いものではなかった。

 「謝って済むなら、警察はいらないだろ!!!名乗らないんだったら、不法侵入として警察を呼ぶぞ!!!」

 

 私は、その先生から発せられた”警察”と”不法侵入”いうワードから、ようやく自分がしでかしてしまった事の重大さに気づき、一気に後悔の念に襲われた。

 そして、もうどのみち逃げられるわけでもないので、正直にその先生に中学校名と自分たちの名前を告げると、すぐに着替えて職員室に来るように言われたので、私たちは服を着て職員室に向かった。

 久々に入った職員室では、ちょうど小六の時の担任だった女の先生が待ち構えていたかのような鬼の形相で睨みつけてきて、小さな声で一言「バカ」とだけ吐き捨ててきたが、今の私にはまさにその屈辱的な一言が的確でお似合いだった。

 ちなみに、その二階にある職員室に行った時に、ここから思っていた以上にプールが丸見えだということに改めて気づいたのが、全て後の祭りだったことは言うまでもない。

 それにしても、よくもまぁそんな状況で、しかもこんな真っ昼間にプールに侵入して無事に帰れると思ったな。ったく、誰だよ。プールの裏側から入れば大丈夫とか言った奴はよ。てめぇの、そのめでたいおつむには呆れ返っちまうよ……って、はい、そうです、僕でした。

 肉を切らせて骨を断てず。無念。

 

 私たち三人は、さっきの男の先生に職員室の横の会議室に連れて行かれ、「もうN中学校には連絡したから、今から学校に行きなさい」と告げられた。先生は、私たちが思いの外素直だったため、さっきよりも穏やかな表情と口調になっていた。

 「プールに入りたかったなら、先生たちに聞いてからじゃないと駄目じゃないか」と、その先生は最後に優しく言ってくれたのだが、私にはそれが「そんな聞くまでもないことをお前たちはやったんだ」と言われているように聞こえ、その一言が一番心苦しく、何より恥ずかしかった。

 

 U小を出ると、私は恐る恐る携帯電話で母に電話をし、ここまでの事情と今から学校に行くことを説明した。

 「はぁーーー!?!?!?あんた、Mの家に遊びに行くっていったよね!?!?!?嘘ついたのか!!!バカ!!!しかもトランクス一丁で入っただ!?!?!?はぁーーー!?!?!?みっともない!!!バカ!!!部活は!?!?バカ!!!もう知らない!!!」

 ……ブチッ。プゥプゥプゥ……

 当時は、反抗期の脂がのっている時期ではあったが、さすがに今回は母に言い返す戦意を喪失させられていた。

 

 重い足取りで中学校に向かうと、正門には既に腕を組んで待ち構えている私の担任のカズ先生の姿があった。

 私たちは、U小からそのままN中学に向かったため、服装は私服だった。Mにいたっては、派手な水色のアロハシャツを着ていた。

 カズ先生は、私たちの服装を見るや「何だその格好は!?着替えて来い!!!着替えて五分で戻って来い!!!」と、怒号を飛ばしてきた。

 ちなみに、それぞれの自宅から中学までは通常だと片道で十五分ぐらい掛かるのだが、今の私たちは「五分とか距離的に考えて無理ですし、僕らは世界の盗塁王・福本豊ですか!?違いますよね!?それでも五分で戻って来いと言うなら、至急、どこでもドアを七泊八日でレンタルさせてくださいませんか!?」などと、反抗期を売りにした屁理屈をこねられるような立場ではないのだ。

 ようは、すっとこどっこい、とっとと戻って来いということである。

 私たちは、急いで帰宅して中学のジャージに着替え(学校生活は制服ではなくジャージが主だった)、学校に戻った。

 学校に戻った時、私は部活動の集合時間が迫っていたことが気にかかった。

 私たち三人は、普段入ることのない職員室の横の狭い会議室に連れて行かれた。

 こういう時って、会議室がお決まりなんですかね。会議室って、どこか厳かですからね。

 「剣道部のN先生には連絡しておいたから。今日と明日は自宅待機。試合には来なくていいそうだ」

 会議室に入る時、カズ先生が私にそう言った。当然の報いだった。

 また、会議室には、学年主任のI生、Mの担任のT先生、Uの担任のS先生という、よりによって学年の口うるさくて厄介で恐い部類に入る男の先生が勢揃いだった。

 何でこう、いい具合に三人の担任があなたたちなのだ。

 整ってますね、舞台は。

 「お前たちは、本当にとんでもないことをしてくれた」

 

 「お前たちは、自分たちがどんなことをしたのか、わかってるのか!?」

 「パンツ一丁で母校のプールに入るなんて何事だ!!恥ずかしいと思わないのか!!!」

 「これは、不法侵入なんだぞ!!!わかってるのか!!!」

 「今回が初めてか!?本当か!?本当に初めてだな!?」

 「お前たちは、N中学の名前に泥を塗ったんだぞ!!!」

 冷房の効いていない真夏の会議室で立たされながら、事情聴取と説教が延々と続く。

 先生たちは交代で、同じようなことをボキャブラリー豊富に休みなく繰り返し、時々私たちが何かを答えた。先生に反抗するなんてこともなく、当時の私たちはそれなりに落ち込み、反省していた。同時に、暑さがさらに集中力を奪い、狭い会議室の圧迫感と張り詰めた空気に慣れることはなく、ずっと変な神経を使いっぱなしだった。

 一向に終わりが見えないことに気が遠くなりそうになる一方で(サクッと終わるはずがないこともわかってはいたが)、これからの中学生活がどうなってしまうのかという不安が募っていく。

 身体中からは、ずっと汗が噴き出し続けているのだが、いつも部活の時にかく清々しい汗とは違い、身体中に絡みつくような嫌な汗だった。

 まだ当時は、体罰も余裕の時代だったが、胸ぐらを掴まれたり、殴られたり蹴られたり、コブラツイストはもちろん邪王炎殺黒龍波を喰らわされたりすることもなかった。

 もう十五年も前のことなので、立たされている間、先生たちに何を言われ、自分たちが何を答えたのかは事細かに覚えていないが、会議室に蔓延するシリアスな雰囲気から、改めて事の重大さを思い知ったのは今でもよく覚えている。

 

 バタン!!!

 立ちっぱなしの説教が始まってからとっくに一時間は過ぎていた頃、切れるギリギリまで張られていた糸が遂に切れてしまったかのように、何の前触れもなく会議室に凄い音が響いた。

 驚いて反射的に音がした方を見てみると、Mが意識を失って目の前の長机目掛けて勢いよく倒れていた。

 一転、顔色を変えて駆け寄る先生たち。幸いMはすぐに意識を取り戻し、椅子に座らされた。

 しかし、倒れた時に顔面を机に強打したため、前歯の一部が折れていた。

 会議室には、さっきとは別ジャンルのシリアスな雰囲気が漂い始めていた。

 それをきっかけに先生たちの怒る集中力も切れ、また、さすがに怒る部分がそろそろ尽きてきた頃だった。

 つまりは、説教を終える潮時だった(口が裂けてもお前が言える立場ではない)。

 最終的に、夏休みの間、学校の掃除をすることで学校側との話は収まった。

 

 その後、学校からも改めて連絡が入ったのだろう、母が学校まで迎えに来た。

 母は、帰りの車内で怒りを爆発させながら「何のために今まで練習してきただ!今から大会の会場まで行って、N先生とI先生(もう一人の剣道部の顧問の女の先生)に謝りに行くぞ!」とまっとうなことを言っていたが、「それだけは絶対に嫌だ!」と私は強く拒んだ。先生はもちろん、先輩や同期や後輩の部員たちに、どのような顔をして会えばいいのか、今の私にはわからなかった。

 そう、ひとまず学校側との話はひと区切りがついたが、ずっと懸念していた部活動との話がまだ残っているのだ。

 しかし私は、その問題を一度保留にして現実から逃げるかのように、家に帰るとダラダラと高校野球の愛知大会の決勝をテレビで観て、母がまた仕事に出かけると、さらに現実逃避をするかのようにそのまま寝てしまっていた。

 夕方、仕事から帰って来た母に「何を寝とるだ!!!」と怒鳴りつけられて目を覚ますと、呑気に寝ていた罪悪感と保留にしておいた部活動の問題が一気に頭をもたげてきた。

 体はだるくて重く、外も少し暗くなっていて憂鬱な気持ちになった。

 「今からN先生の家に電話しろ!!!」

 ここはさすがに電話しないといけないと思った私は、その夜にN先生の自宅に電話を掛けた。しかし、電話に出たのは三男の息子で、N先生は不在だった。ただ問題が先延ばしになっただけなのだが、内心、私はホッとした。

 

 翌日の総体はもちろん行っていないし、午前中は、MとUと学校に行って掃除をしていたはずだ。

 母は密かに総体の応援に行き、先輩たちに見つかって「あいつ、何やったんですか!?」と、問い詰められたらしい。どうやら、N先生は私が謹慎になった理由までは、この時まだ、部員たちに話していないようだった。

 その日の夕方、先生と部員が大会から帰ってくる頃、私は日中に書いた反省文を持って中学の武道場へと向かった。

 校門をくぐって武道場へ歩いていると、ちょうど職員室へと向かうN先生とばったり会った。私は、不測の事態に緊張を走らせながら反射的に「すみませんでした」と、N先生に謝った。

 「I先生が心配してたから、すぐに武道場に行きなさい」

 話すら聞いてもらえないか、ある程度の体罰、そして退部を宣告されることを覚悟していた私は、決して胸を撫で下ろすことはなかったが、正直N先生のその反応に驚いてしまった。

 引き続き緊張しながら武道場に入っていくと、荷物整理をしている部員たちの目が私に向けられた。私は、教官室の前に立っていたI先生のもとにいき、反省文を差し出して「すみませんでした」と謝った。その時、I先生とどのような話をしたのか鮮明に覚えていないが、怒られるというよりかは、N先生が言っていたとおり本当に心配を掛けてしまっていたようだった。ある一人の先輩が、私が大会で身につけるはずだった夏の総体用の綿袴を綺麗に畳んでくれたことを聞かせてもらったのは、今でも覚えている。

 その後、副キャプテンの先輩とは部室で二人きりで話をし、「精進しろよ」と声を掛けてもらった。三年生最後の団体戦は予選リーグで敗退してしまったらしく、「お前がいなかったから」と声を掛けてくれる先輩もいて、大事な大会の前に気の抜けた行動をしたことを改めて申し訳なく思った。

 そして、N先生は「口では何とでも言える。これから行動で示しなさい」とおっしゃり、言葉数は少ないながらも、その言葉の意味を重く受け止めなくてはならないと、中二のあんぽんたんなりに感じていたつもりだ。

 

 ちなみに、その後の夏休みの間に、中一の時に私のクラスの担任だったK先生と学校内ですれ違うことがあった。

 K先生は、N中に赴任してくる前の中学でバリバリに剣道を教えていたこともあって、よく剣道部員の私のことを気にかけてくれていた。そしてK先生は、私たちが中二になってからは生活指導の先生になったので、私がU小のプールに入ったことは、絶対にK先生の耳に入っているはずだ。

 私は、怒られる覚悟でいつもどおり挨拶をした。

 しかし、K先生はいたっていつもどおりに「おう!」といった感じで、プールの件については一切触れることはなく、逆に私はそれを不気味に思った。

 絶対に耳に入ってないわけがないのだから、何かしら言ってこないとなると、どうもこう、不自然で逆に落ち着かないものだ。もしも耳にも入っていないのなら、この学校の体制を見つめ直す必要があるはずだ(相変わらず、お前が言える立場ではない)。

 

 しかし、そんな勘ぐりから学校の体制に警鐘を鳴らそうとする必要などは、一切なかった。

 

 「この夏休みに、母校のプールに入ったバカ者がおる!!!」

 

 体育館で行われた二学期の始業式の時、壇上で夏休みの総括の話をしていたK先生が、その話の最後に、全校生徒を前に語気を強めてこうシャウトした。

 名前こそ言われなかったものの、私は、顔がカッと熱くなって体育座りをしながら俯くことしかできなかった。

 ちなみに、事情を知っている剣道部の先輩たちは、笑いを堪えるのに必死だったらしい。

 

 それにしても、柄でもないようなことや慣れないことは、やっぱり柄でもないことであり、慣れないことである。

 だからこそ、時としてどうしようもなく惹きつけられてしまうのかもしれないし、夏休みの解放感が、それに拍車をかけてしまうものなのかもしれないが、せめて真っ昼間から許可なく母校のプールに入ることだけはやめておいた方がいい(勿論、闇プーを推奨しているわけではない)。

 

 蝉の鳴き声が盛んになってきた頃、今でも夏の高校野球の愛知大会の決勝をテレビで観る機会があると、苦くも懐かしい何とも複雑な気持ちが蘇ってくるが、まっすぐな瞳と土にまみれたユニフォーム姿で躍動する高校球児たちに、まさか罪などあるわけがない。

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