感染症対策マニアが、新型コロナについて雑に語る③ 「ウイルスはどうして殖えたがる?」

ウイルスはどうして生物を病気にしてまで殖えたがるのか?


では早速、タイトルの結論から申し上げます。


答えは、「分からない」です。


前回、ウイルスは遺伝子だけの存在で、細胞を始めとした、その他の基本的な器官を持っていない、という話をしましたね。


ですから、ヒトなどのように脳を持っていません。


つまり、考える能力も無ければ、神経系すらありません。


では、何故、ウイルスは意志を持っているかのように増殖しようとするのかというと、そのようにプログラムされているからです。


どこにプログラムされているかって、遺伝子に、です。


遺伝子しか持たないウイルスは、その遺伝子にプログラムされた内容を、ただ実行しているだけの存在です。


そこには意志も無ければ、心もありません。


では、なぜ、そもそもウイルスに生物を病気にしてまで殖えようとするプログラムが組み込まれているのか、というところまで考えを深めていくと、その答えは「分からない」になるわけです。


それこそ、この世界を創った、神のみぞ知る、というやつです。


しかし、ヒトも随分と賢くなりまして、様々な研究結果などから、その理由を推測するぐらいのことはできます。


前回、ヒントとして挙げた、「利己的な遺伝子」というワードは、この謎だらけの「遺伝子」という存在についての、一つの仮説です。


あくまで仮説ですし、私はこの仮説は正しくないと思っているのですが、とても面白い仮説なので、とりあえず知ってみてください。


この仮説を説明する出発点はこうです。


「人間にとっての、根源的な欲望とは何か?」


んーーー、哲学ですねぇ!


たまりません←(笑)


人間には、色々な欲望がありますが、その中でも、他の全ての欲望よりも優先される、最も根源的な欲望とは、何なのでしょうか?


そう考えると、普通思い出すのは、三大欲求である、睡眠欲・食欲・性欲ですね。


しかしこれらの3つの欲望も、「生きたい」という1つの欲望に、集約することができます。


では、「生きたい」が人間の根源的な欲望なのかと考えた時、例えば、人間の中には、自分の命を犠牲にしてでも、他の命を守ろうとする個体がたくさん居ます。


人間にとって、「生きたい」が最も根源的な欲望なら、これはおかしいじゃないか、と。


「生きたい」よりも優先される欲望があるんじゃないか?


そんな発想から考え出された仮説が、この「利己的な遺伝子」です。


これはけっこうトンデモない説で、簡単に言うと、「人間が自分の欲望だと思っている全てのことは実はマヤカシで、本当は生物には、遺伝子の『殖えたい』という欲望があるだけだ。生物は、この遺伝子の『殖えたい』という欲望を叶える為に、それぞれの種で、最適な行動をするようにプログラムされているのだ」というものです。


この説を元に、先ほどの自分を犠牲にしてでも他の命を守ろうとする行動について、考えてみましょう。


例えば、父親が自分の命を捨てて、我が子の命を救ったとします。


その時、父親という個体の欲望は、叶えられなくなってしまうわけですが、遺伝子にとってみれば、父親よりも子供の方が、今後より多くの遺伝子を残せる可能性があるわけですから、父親が死んでも問題が無い、ということになるわけです。


そう考えてみると、私たちが知らず知らずの間に持っているバイアス(偏見)の説明がついてくるのです。


例えば、人の為に命をかける、と言っても、誰の為にでもかけられる、というものではありません。


見ず知らずの人の為に命は捨てられないけれども、家族の為なら捨てられる、そう思うのは、見ず知らずの人よりも家族の方が自分の遺伝子により近いからだ、と説明することができます。


また、見ず知らずの人であっても、自分一人の命で、より多くの人の命が助かるのなら、死んでも良いかな?と考えてしまうのも、そうした方がより多くのヒトの遺伝子が殖やせるからだ、と説明できます。


また、これは今の新型コロナウイルスの医療現場で実際に起こっていることですが、人工呼吸器の数が足りなくなり、80代の人と、40代の人、どちらか一人にしか人工呼吸器を付けられないという時に、人間が無意識の内に、40代の人の方に付けた方が良いのでは?と考えてしまうのも、その方が遺伝子にメリットがあるからだと、説明できてしまいます。


私たちが、他の動物よりも人間に親近感を感じること、自分が日本人であるときに、外国人よりも同じ日本人に仲間意識を感じることなども、遺伝子が近いから、で説明が付きます。


このように、家族愛や、人類愛、民族意識や、女子供を守ろうという正義感など、私たちが私たちのものだと考えてきた価値観や感情が、実は、遺伝子が「殖えたい」という欲望を叶えるために、人間にそう思わせているのだ、という、まぁめちゃくちゃな仮説なのです。


もちろんこの仮説は、例えば自殺の問題や、ペットの為に命を捨てる飼い主の例など、いくつかの逆説でもって否定することもできます。


しかし、それはヒトという生物が、ある程度の「複雑さ」を獲得したから起こり得ることであって、ウイルスのような単純な物体にとっては、この遺伝子の「殖えたい」こそが全てなのです。


ですから、ウイルスの「殖えたい」に、理由などないのです。


遺伝子が「殖えたい」から、「殖えたい」のです。


そして何もそれはウイルスに限ったことではなく、例外もありますし、それが全てとは言えないにしろ、全ての生物は、ある程度この遺伝子の「殖えたい」という欲望を叶えるために生きているのだ、というのは、おそらく事実なのです。


この「利己的な遺伝子」の話を始めて聞いた時、私はこんな妄想をしました。


「この世界は、神々のゲームボードなんじゃないか?」


この独自の神話を話す前に、当時、私はまだ信仰の道に入る前であり、中二病全開であったことだけ注記しておきますね(笑)


この世界が創造される時、それに関わった神様は無数に居て、こんなルールでゲームをした。


「みんなでそれぞれ一つずつ、生物の設計図(遺伝子)を書こう。そして、どの設計図が一番このゲームボード(地球)上に殖えるか勝負しよう」と。


ある神はヒトのような高度な知能を持つ生命を考え、ある神は植物のように、動きを犠牲にすることで低燃費に生きられるものを考え、ある神は寿命は短いけれども大量に繁殖できる虫のようなものを考え、そしてある神は、あえて全ての機能を削ぎ落すことで、ただ殖えることだけに特化したウイルスというものを考えた・・・。


そんな世界観です。


私はこれを今は微塵も正しいとは思っていませんが、もし世界が本当にそんな世界だったのだとしたら、今は本当に、ヒトとウイルスの「戦争状態」なんでしょうね。


神々の代理戦争です。


まぁでも、だとすれば、このウイルスという仕組みで勝とうとしている神は、相当策士というか、性格悪いですよね(笑)


さて、このウイルスの「殖えたい」に対して、ヒトの知恵や絆といった力は、どこまで善戦できるのでしょうか?


何とか人類全体で協力して頑張って、その戦時を、乗り切りたいですね。


今回はコロナの話から少し脱線しましたが、そんなお話でした。


次回は、「手洗いはどれくらいすれば良いの?」という話をします。


ではまた。

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