カフェとコーヒーに見る「オーストラリアン・アイデンティティ」

 はじめまして! 人と医療の研究室(ひとけん)の小松サラ(シドニー大学理学部・法学部3年生)と申します。

 両親ともに日本育ちの日本人ですが、私自身はオーストラリアのシドニーで育った日本人&オーストラリア人です。日本人というアイデンティティを持ちながらも日本に住んだことがないことに疑問を持ったことと、医学研究への興味を追求するために、2018年後期に京都大学薬学部に”逆”留学しました。

 さて、ひとけんでは「人間とはなにか」を考える上で、人間にとって「食べること」が持つ意味や飲食文化にも注目しています。本稿では【オーストラリアン・アイデンティティ】と【コーヒー文化】について考えてみたいと思います。移民大国であるオーストラリアで移民によって培われた文化の一つである『コーヒー』を通して、私のふるさとの新たな一面に魅力を感じてもらえると嬉しいです。(注釈1)

※本記事は2020年11月に執筆されたものです。


オーストラリアン・コーヒー

 “オーストラリアン・コーヒー”と言われても、ピンと来ない方が多いのではないでしょうか。
 以前、旅行ブログを見ていたら「オーストラリア人はとにかくコーヒーにうるさい。話を聞いてみるとオーストラリアでは皆に行きつけのカフェがあって、いつも指名するバリスタがいて、モカの淹れ方にまで好みが一人ひとりあるんだ!」[1]と書かれていることがありました。コーヒーを好まない人もたくさんいるのでいささか大げさですが、少なくとも2008年にオーストラリア国内にあったスターバックスの全店舗のうち2/3を閉店に追い込むくらいには[2](私を含め)コーヒーに強いこだわりを持っている人たちがオーストラリアに多くいることは確かのようです。

 そのこだわりはメニューから感じ取れると思います。

画像1

 例に私がよく利用するシドニーのカフェ、Bloodhound Espressoのメニュー[3]を見てみると、コーヒーだけでも少なくとも16種類から頼むことができます。表に一覧をまとめてみましたので(注釈2)、コーヒー好きの方・興味のある方はぜひ読んでみてください。

 そこで、2019-20年度のオーストラリアと日本におけるカフェ業界のマーケットレポート[4]を比べて見てみると興味深い現象が伺えます。

名称未設定

 まず、『オーストラリア人はコーヒーへのこだわりが強いので、チェーン店などの量産されたコーヒーではなく独立経営のカフェを好む』と報告されています。しかし、実際独立経営のカフェやコーヒーショップの店舗数の割合を調べてみると、日本とオーストラリアでは大きな差はありませんでした(豪州=91.15%, 日本=91.78% )。さらに2014-20年度のチェーン店・独立経営店舗数の変動をそれぞれ比較してみると、オーストラリアではチェーン店が近年で大幅に減少している(-17.5%)と同時に独立経営店が増加しており(+9.9%)、反対に日本ではチェーン店の増加(+6.4%)とともに独立経営店の減少が報告されています(-2.8%)。

 一つ注意しておきたいのは、上記の現象は『オーストラリア人のコーヒーへのこだわりの強さ』だけが原因ではない可能性が高いと言うことです。オーストラリアは労働運動の歴史が長く、休暇や最低賃金などの労働者の権利が多く確立されている上に近年では都市部の不動産市場が大きくインフレしているため、人件費も賃料も高いのです(注釈3)[5]。また、オーストラリアは人口も少なく、長距離移動に抵抗がない人が多いため、チェーンやフランチャイズと行った経営手法は差別化を図るのが難しく特に競争率の高い都市部では合わないのだろうと考察できます。オーストラリアに住む人々のこだわりに合うバラエティ豊かで柔軟なメニューを提供するためには独立経営店の方が向いているのも確かですが、独立経営店舗の方が駅前など立地の良い場所にあり利便性が高い可能性や、価格設定の自由度が高い事実も否定できないのです。このため、スターバックスを始めとする多くのチェーン店がオーストラリアへの参入後、撤退しています。

 しかし、コーヒーを飲むことはオーストラリアの都市部に住む多くの人にとって習慣化しており、シドニーに住んでいると『コーヒーが美味しいお店』『コーヒーが美味しくないお店』の情報はよく耳にします。実に、オーストラリアのカフェの収益の64%はコーヒーからなるもので[5]、日本語で言うところの『お茶しよう』は “Let’s catch up over coffee” (コーヒーを飲みながら久しぶりに話そう)なのです。


オーストラリアの街における『サードプレイス』としてのカフェ

 オーストラリアに限らず、カフェとは色々な人が一日を通してそれぞれの目的で訪れる場所です。時には目覚ましのコーヒーを飲みに、新聞を読みに、空腹を満たしに、勉強をしに、取引先とミーティングをしに、友人と話に、気になる人とデートをしに、休憩をしに。あらゆる人を迎える場所であるがために多様な機能を持っていて、それだけにカフェはあらゆるところににあります。

 つまり、オーストラリアの社会においてカフェという場所は重要な社会空間であり、自宅と職場から隔離された創造的な交流が生まれる第3の居場所を担っているのです。社会学者レイ・オールデンバークはこのような場所を『サードプレイス』と形容しました[6]。

 オールデンバーグ(1989)は自身の著書”The Great Good Place”の中で、サードプレイスの特徴を8つ挙げています(筆者訳):
① 中立領域である
② 平等な場所である
③ 会話が主な活動である
④ 敷居が低く、訪れる者を受け入れることができる
⑤ 常連がいる
⑥ 街に溶けこんでいる
⑦ 遊び心があり、楽しい雰囲気である
⑧ ホーム・アウェイ・フロム・ホーム(第2の家)である

 ここからは、オールデンバーグの挙げた『サードプレイス』の特徴を踏まえた上で、オーストラリア社会にとってのカフェ、そしてコーヒーがどのような存在なのかを考察してみます。

 地域やカフェごとに少しずつ違うものの、口当たりが柔らかく甘みと爽やかさのある『浅めのローストのコーヒー豆を使用したエスプレッソ』が特徴の“オーストラリアン・コーヒー”。日本でもたまに都心のカフェで見かける『フラット・ホワイト』もオーストラリア発祥のものと言われています。(注釈4)

 オーストラリアなのにエスプレッソなの?と疑問に思うかもしれませんが、コーヒーが最初にオーストラリアで流行ったのは1940年代後期第二次世界大戦後、イタリアからの移民の影響だったそうです[7]。紅茶の国・イギリスから1901年に独立したばかりだったため当時のオーストラリア人にとってコーヒーを好むことはある種の反抗であり、自己のアイデンティティの確立を求める社会の表れだと私は考えています。

 当時のカフェはイタリアをはじめとするコーヒー文化のあるヨーロッパ圏から移民してきた大多数の人にとってはまさに『ホーム・アウェイ・フロム・ホーム』(⑧) であり、イギリスにルーツを持つ多くの人々にとってもまた、アイデンティティを耕すことはまさに『第2の家』の創造だったのではないでしょうか。当時は戦後まもなかったこともあり英国以外からの移民を受け入れることに反対している人が多かったようですが[7]、コーヒーを通して文化圏の共有(①・②)がなされたことやカフェで起こるオープンな交流(③・④)が、のちに『多文化社会』と呼ばれるオーストラリアの始まりだったのかもしれません。

 また、オーストラリアはその歴史的背景から『平等主義(egalitarianism)』(②) を大事にする国民性を持っています。と言うのも、オーストラリアはもともと18世紀後半、産業革命時に溢れた囚人の流刑地としてイギリスの植民地として開発された場所です。1828年にはニューサウスウェールズ州(シドニーのある州)のおよそ75%が囚人あるいは元囚人だったものの、元囚人は公の職に就くことが禁じられていました。長らく格差社会が続いたことから囚人の出である人々の間では強い仲間意識が生まれ、階級やヒエラルキーへの反抗として『平等主義』を掲げたそうなのです[8]。

 このような背景があり、”マナーや階級などを気にせず、平等に接すること” にオーストラリア人はプライドを持っています。有名な例を挙げると、クリケット選手のデニス・リリーが1981年にイギリスのバッキンガム宮殿を訪れた際、エリザベス2世女王に対して発した一言目が
”G’day, how ya goin’?” (やあ、調子はどうだい?)
であったといわれています。[9]

 様々な背景を持った人々が訪れるオーストラリアのカフェ。隣の席にたまたま座った人と楽しく会話を交わしたり、通勤前の常連の人や濃いめのコーヒーを淹れるバリスタと仲良くなったり。年齢も民族も職種も関係ないカフェという空間で、コーヒーを通して生まれる”偶然”の交流はまさにオーストラリア人の『平等主義』を体現しているものだと私は感じています。


 アジアンフュージョンとZ世代にとっての現代のカフェ

 ここ2ー3年でシドニーやメルボルンで、アジアン・フュージョンをテーマとする新たなスタイルのカフェを多く見るようになりました。これらのカフェはオーストラリアン・コーヒーに加え、キムチとチーズを乗せた「キムチーズ・ワッフル」や味噌とガーリックにエビを使った「スパイシー・オムライス」など、異なる食文化を融合しアレンジすることで美味しくておしゃれな創作料理を提供することで差別化を図ると共に、新たな客層へリーチをしているのです。

 オーストラリア政府のデータによると、現在オーストラリアの人口およそ2,500万人のうち750万人以上[10]、つまり約30%は1945年以降に移住してきた人ということになります。私と両親も例に漏れず、1990年代の移民政策を利用してオーストラリアに移住することになった家族です。

 同時期に中国や韓国などのアジアの国々から多くの人がオーストラリアに移住したため、私の周囲はほとんどがアジア系移民の子どもです。私はいわゆる進学校に通っていたこともありハイスクールでは教育に熱心な親を持つアジア系の学生が多く、1学年120人中アジア系ではない生徒は10人もいませんでした。

 そして近年、新たにオーストラリアの都市部にアジア系の若者が多く見られるようになりました。そう、留学生です。実に、教育はオーストラリアの最大の輸出産業です。2018-19年度の経済効果はAU$403億(≒4兆円)[11]であり、また同年度の留学生のうち約30%が中国人であると報告されています[12]。

 アジア系移民2世も、留学生も、どちらも1990年代後半から2000年代初期に生まれたZ世代。1999年に生まれた子どもは、今年21歳になります。今、社会人になりつつあるZ世代は、可処分所得がだんだんと増えてコーヒーのような低価格の嗜好品を買い求め始める層なのです。

 また、”Second-generation”(移民2世)のアジア系オーストラリア人コミュニティにおいても少しずつ変化が訪れています。『アジア系移民の2世』が個別で多様なアイデンティティとして形成されつつあるのです。例として、2018年に立ち上がったオーストラリアに住む『アジア系移民の2世』の集合体験を、自虐も含めたジョークやあるあるネタとして共有する”Subtle Asian Traits”と言うFacebookグループは現在180万人をも超える世界中の『アジア系移民の2世』の若者が集まるオンラインコミュニティとなっています。国境を超えて「移民として苦労した両親のもと、”家”と”外”の文化が違う中で育った経験」を共有できるスペースは私にとっても、私の友人たちにとっても心地のよい場所なのです。

 つまり、美味しいオーストラリアン・コーヒーを出し、アジアン・フュージョンを提供するカフェは、私たちのような2世にとってはすなわち『アジア文化のホーム』(第1の場所)と『オーストラリア文化の職場・学校』(第2の場所)を繋ぐ『サードプレイス』なのではないかと私は考えます。”アジアン・フュージョン”は一時的なブームに過ぎないかもしれないですし、私たち第二世代が大人になっていくにつれて求める『サードブレイス』はきっと変わるだろうと思います。カフェは、そうして時代やそこを居場所とする人々によって変化してゆくものなのではないでしょうか。

私たちはこれからも、『サードプレイス』であるカフェを訪れ、
仲間と一つの空間を共有しながら、”偶然”の出会いと創造を繰り返して己のアイデンティティを自らの手で刻んでゆくのだと思います。

・・・

 11月上旬、街全体が千本鳥居の朱色に染まる京都。
 あまり多くの人に知られていないようなのですが、伏見稲荷大社の裏手にはエスプレッソコーヒーの美味しいカフェがあります。

 来客が溢れ返るほど多いため地元に住む人は社や寺と行った類の場所には近づきませんが、千本を優に超える鳥居をくぐり終えた客人にとって、ひっそりとした構えの”Vermillion”[13]はほっと一息つける空間のようでした。

 また、留学して3ヶ月目を過ぎた頃ホームシックになり始めていた私にとって、久しぶりのフラット・ホワイトを口にして気がついたことがありました。
 エスプレッソコーヒーは私にとって『故郷』の味だったのです。


 読者のみなさまが『際を超えて』オーストラリアへお越しの際は、海や自然を楽しむ中でカフェを止まり木にしてもらえたらと思います。ぜひフラット・ホワイトを味わいながら、この国に住う人々の暮らしや温かみを感じてみてください。

                         Student Group 小松サラ

注釈:
1 - 今回の記事は、オーストラリアとコーヒー文化に焦点をあてたものであり、医療に関連する内容は扱っていません。

2 - Bloodhound Espressoで頼める16種類+α一覧。Bloodhound Espressoのコーヒーはとても美味しくておすすめなのだが、メニューの豊富さはシドニーではスタンダード。

名称未設定

3 - 2020年7月に発表された最低賃金はAU$19.87(≒1500円)だが、豪州労働法は職種によって最低賃金が異なる(場合がある)ので、カフェに欠かせないバリスタの時給を計算すると、AU$20.82(≒1600円)であることがわかった。また、週末や祝日・深夜にはさらに時給が上乗せされる。祝日にもなるとバリスタは一人時給AU$46.85(≒3600円)に跳ね上がるので、侮れない。(不動産インフレに関して)余談だが、筆者の家賃は1LDKで週AU$450(≒月13万8千円)である。高い。

4 - ニュージーランド発祥だ、という情報もあるので諸説あり。 フラット・ホワイト(flat white, flattieとも呼ばれる)とはエスプレッソにスチームミルクを注いだもの。ただし、カプチーノやラテに比べてフォームの量が少なくエスプレッソの風味が濃く感じられる。

参考文献

[1] Schimke, P. (2016) ‘The Unique Coffee Culture in Australia’ TripZilla, weblog post, [URL: https://www.tripzilla.com/coffee-culture-australia/50885] [Accessed 28 August, 2020]

[2] Emerson, D. & Tibbitts, A. (2008) ‘Starbucks closes 61 shops, cuts 700 jobs’ The Sydney Morning Herald [URL: https://www.smh.com.au/business/starbucks-closes-61-shops-cuts-700-jobs-20080729-3mt1.html] [Accessed 28 August, 2020]

[3] Bloodhound Espresso [URL: http://www.bloodhoundesp.com/#menu-section ] [Accessed: 28 August, 2020]

[4] Euromonitor International (2020) ‘Passport Cafes/bars in Australia’

[5] Berry, M. (2020) ‘Cafes and Coffee Shops in Australia’ IBISWorld.

[6] Oldenburg, R. (1989) ‘The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community’ De Capo Press, United States.

[7] Tjora, A. & Scambler, G. (2013) ‘Cafe Society’, Palgrave Macmillan, New York.

[8] Hirst, J. (2009) ‘Sense and Nonsense in Australian History’, Schwartz Publishing, UK.

[9] Clarke, T. & Schneiders B. (2010) ‘Bowled over: the friendlier Lillee’ The Sydney Morning Herald [URL: https://www.smh.com.au/national/bowled-over-the-friendlier-lillee-20100125-muks.html] [Accessed 28 August, 2020]

[10] Australian Bureau of Statistics (2020) ‘Australia’s population: over 7.5 million born overseas’ , media release, [URL: https://www.abs.gov.au/ausstats/abs@.nsf/lookup/3412.0Media%20Release12018-19] [Accessed 28 August, 2020]

[11] Australian Government Department of Education, Skills and Employment (2020) ‘Research Snapshot: Education export income by country 2019’ [URL: https://internationaleducation.gov.au/research/Research-Snapshots/Documents/RS%20Education%20export%202019.pdf] [Accessed 28 August 2020)

[12] Australian Government Department of Education, Skills and Employment (2019) ‘International Student Data 2019’ [URL: https://internationaleducation.gov.au/research/International-Student-Data/Pages/InternationalStudentData2019.aspx] [Accessed 28 August 2020]

[13] Vermillion - cafe. [URL: https://www.vermillioncafe.com/]

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?