見出し画像

子どもが成長するということ Vol.4

シリーズで書いています。



親の引いたレール


Vol1に、子どもとは縦の関係ではなく

横の関係でいたいと思っていたと書いた。

もう一つ理想と思っていた事がある。

子どもには好きな事を見つけて欲しい

という事だった。

はやく「自分のやりたいことはこれだ!」

と見つけて欲しくて

やたらと息子には習い事をさせた。

私は自分が13歳で自分の進む道を見つけて

それを貫く事が出来たとってもラッキーな人間なので

息子にもできる限りのチャンスは与えようと思ったのだった。


でもそのチャンスの与え方は、やっぱり親の嗜好が入っていた。

これは当たり前といえば当たり前なのだけど。。。

Vol.3では思春期になりそれまでやってきた事を

次々に辞めた話も書いた。

その中の一つで、一番思い入れがあったのが野球。

3歳の頃から夫が好きだったし

私も高校野球の大ファンだったので

家の中でボールを投げてやり、子供用バットで打たせたり

ピッチャーもやらせて、夫や私がバッター役になったりした。

これがなかなか、ハンドアイコーディネーションが良い息子だったので

行けるかもと親は思ってしまった。

当然のように1年生になった時には

地元の野球チームに入り

中学になった時には学校のチームに入り

ずーっと15歳まで頑張った。

そう、頑張ったのだった。

ある時から、それ程野球には興味がないのはみて取れた

ピッチャーやりたいのに練習しない

抜群にできるわけではないから、練習しないと登板できない!

大リーグのテレビ中継も見ようとしない。

夫がシーズン中ヤンキースをいつも観ていたというのに。


でも、彼は「やめるという選択肢」があるとは思わなかったのだろう。

一度も「やめたいと」とは言わなかった。

なぜなら、そこにはレールが敷いてあったから。

親の敷いたレール。

自然と乗ってしまった。

いや、乗せられてしまった。

降りれるんだとは考えもしなかった

ある時点までは。


15歳のもうすぐ野球のシーズンだという時に

息子は私に言った

「野球もうやめようと思う」


すでに学びが進んでいた私は

正直、とっても悲しかったけれど

無理に止めることはしなかった。

続ける事が彼の幸せでないなら

それを報酬と罰を使ってコントロールはしたくない。

(大きなライフサイクル講座での学び)

自分探しの中で気がついたことは大切にしたい。


自分で決められるということ

そして何よりも、私は知っていた。

彼の興味は違う方向に向いていることを。

でも主人は違った。

彼にとって息子が野球を続けることは

彼の夢の延長だった。

「どうしてだ?」とかなり深追いしてしまっていた。

私は、こっそりと「やりたいことをやればいいよ」と伝えた。

これで、親も共に進んできた全てが終わった。

補習校、チェス、ボーイスカウト、野球と。


そして、彼が自ら選んだやりたいと思ったこと

それは囲碁だった。

日本で考えれば、始めるのは遅すぎる。

アメリカではマイナーで

プロも数人しかいないし

それで食べて行けるとは誰も思っていない。

でも、息子は没頭した。

好きだったWiiやオンラインのゲームを全て辞めて

囲碁の勉強を自分で探してオンラインで対戦相手を

探し始めたのだった。

本も自分で探してオーダーし

勉強以外の時間を全て囲碁の勉強に費やした。

正直驚いた。

チェスも、野球も、ボーイスカウトも

どれも、自分から進んで練習しようとしなかったから。

自律心!!

自分でやると決め、ちゃんと出来る子なんだ!


これも学んだ事だった

内側から好きと思えることをやる!と自分で決めると

こんなに違いがあるんだ!!

外からどんなに言っても動かなかったというのに!!

言ってしまえば、「今までの私の苦労はなんだったの???」

という考えが頭を巡った。

でも、これほど嬉しいことない。

自律心がちゃんと育ってた!

それが、一般的な周りから(アメリカでの)

スポーツのように見て取れるようなものではないけれど

自分の好きな事を見つけられた。

そしてコロナ。。。。そして大学進学

そうこうしているうちにコロナのパンデミックが始まった。

そこからまた少し紆余曲折な時期はあった。

ロックダウンになったおかげで

友達とのゲーム漬けの日々が始まり

一日中一緒に家の中でそれを目の当たりにすることの

ストレスは半端なかった。

でも、ぐっと抑えて見守り続けた。

自分で決めないとダメだと分かっていたから。

そして大学進学を考える時になり

日本とは違って一斉入試がなく

日頃の成績、課外活動、レポートが物を言う世界。

口出ししたくなる要素は盛り沢山。

そこも、ぐっと我慢した。

課題の分離という概念をいつも頭に置くようにした。

彼には彼の課題があるのだから

私の人生ではないのだからと。

息子は人とは違う道を行こうとしているのは目に見えた。

一般的なアメリカ人の進む道ではない。

(元々日本人家庭なので違いのですけどね💦)

自分は、こういうところで勝負したい!というものがあるようだった。


結果は望んだようには行かなかったけれど

それも学びかと思う。

もし、私が口出しをしたら

「お母さんがあの時こう言ったから」

と言われたに違いない。


今、彼は自分の進みたい道を見つけ

自分で将来も見据えながら

自分が何をしたいかを考えている。

最近は囲碁が将棋に変わり

チェスー囲碁ー将棋と戦略を考えることが好きな点は変わらない

コロナ禍で復活したオンラインゲームもまたやらなくなり

大学の学業の合間に

将棋の勉強に没頭しているようだ。

将来への直接の道筋ではないかもしれないけれど

自分のワクワクすることをやっている事は

必ず何かにつながると私は信じている。


この先変わるかもしれない。

昭和の子育て世代の夫に言わせると

「一度やると決めたことは辞めてはいけない。」

だけど、これからの時代は違う。

テクノロジーのおかげでどんどん変化していく世の中だ。


自分で何をしたいか知っているということはとっても大切なこと。

それがある限り、将来どうなっても乗り越えていけるはず。


いつでも帰ってきていい安全な場所

そんな気持ちを育むにはまず自分が安心安全と思える

ベースがあることが大切だ。

今はもう息子は家にはいなくなり

年に数回帰ってくるだけ。

アメリカでは一度大学に出てしまうと

まず一緒に家で住む事はない。

卒業して何処かへ就職し

パートナーを見つけるだろう。

もう私は彼のストーリーの中の

メインキャラクターではなくなってしまった(大泣き)。

私は自分が空の巣症候群にはなる訳がない!

と思っていたけれど、これがなかなか手強かった。

でも親子であることは変わらないし

うちは安全な場所であることに違いない。

この先場所は変わったとしても、親がいるところはそうだと思って欲しい。


夫との二人暮らしが18年ぶりに戻ってきて

息子のいない生活。

前とは随分違っている。

着実に変化がある。

家族の形はこんな風に変わって行くのだろう。

それでも、いつでも心の拠り所になっていたいと思う。


家族の形は変わりゆくもの、

それを気づけかせてもらえた学びに感謝をしたい。




私の学びはここから。まるで家族のような仲間が沢山いる。


ここから私も自分を見つけた。
チャレンジしながら成長し、自律へと向かう!










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?