“勉強が身につく”ということが全く分からない

わたし=幼少期から、出来ることと出来ないことの差がものすごく激しい人間だ。

出来ることはすんなり出来て、出来ないことは懇切丁寧に教えてもらっても全く分からない。

学校は苦痛だった。学校で出来るようになったことは、良い子にすることが上手になったことくらい。

分かる勉強はテストも成績表も良い評価、出来ない勉強は、どうして??真面目なのにと先生絶句、だって分からないんですとわたし。

「分からないことは分からないままにせず、先生にお聞きしなさい!」と、小学生の時に親に言われていたので、その通り先生にお聞きしたらものすごく怒られてしまった。

「わたしが授業中に言ったことを聞いてなかったのか!」ということを、大きな声と、方言故にさらにきつく聞こえる言葉で怒られた。

授業は聞いていたけれど、先生が一体何を言っているか全く理解できなかった……そう正直に言ったら、わたしはおうちに生きて帰れないかもしれないと本気で思ったのでそれ以降、先生に何かを聞くことはやめた。

まだ時代的になのか、発達障害という言葉はあまり聞こえてこなかったけれど、わたしはわたしの頭の回路は何かがおかしいと思い続けていた。

ある時、図書館で本を探して、LD(学習障害)なんじゃないかなと結論づけて親に言った。


ただ怒られただけだった。

勉強意外にもハサミを使うのが下手、折り紙を折れない、わたしにはおかしいところが山ほどあって、親は親でこの子はどうなっているんだろう?と色々調べていたように思う。

ただ本人が「わたしは学習障害なのかも」と言うのは納得いかなかったみたいだ。それは甘えだと思われたのだろう。

中学3年の冬休み直前。数学の出来なさ、わたしの頭のヤバさがとうとう担任の先生にバレて、「他は心配してない!かわいそうだけど数学がんばってくれ!」とお願いされた。

勉強が出来ないのに、わたしは塾には行っていなかった。学生時代当たり前のように勉強が出来た上で大人になった母が、こうなったら仕方がないと、仕事が休みの土日、年末年始に数学の勉強に付き合ってくれた。

しかしそんか母も図形の単元でどう説明しても覚えないわたしに根を上げた。気づいたら勉強開始から4時間ほど経っていて、母は疲れ切っていた。わたしは分からないなりに、学校よりは少し分かって楽しくて時間を忘れていた。

「お願い、もう答え言うから書いて……あなたのここまでの努力は認めるから」疲れ切った切なげな声で母が言った。

「ダメダメ!答えを聞いて書いても勉強になりません!って昔お母さんも言ったでしょ?先生も言ってたよ?もうちょっと頑張って!わたし分かるようになるかもしれないし!」

「あなた本当に真面目ね…わたし頭痛い」
「奇遇だね、わたしも頭痛い」

そこからの記憶はないけれど、図形は結局分からないまま、数学は最初の6問くらいの計算以外できないままだったけれど、色々なものをねじ伏せてわたしは高校生になった。


ちなみに塾に行かなかったのは、学校だけでこんなに辛いのに、これ以上どこかに怒られに行くのは嫌だ!怒る人を家に呼ぶなら家出する!と、小学校高学年の時に、塾も家庭教師もお断り宣言をしてあったからだ。

母からは「大きくなって勉強が出来ないからって、親が塾に行かせてくれなかったせい、家庭教師をつけてくれなかったせいって言わないでね?あなたの人生をわたしは背負えないから」と言われた。

言うわけないじゃないと思ったし、今も学校以外に怒られにいったり、怒る人を呼ばずにいてくれて本当に感謝している。

奇跡的な良い出会いでもあれば、もちろん変わったかもしれないけれど、そうじゃなければ塾や家庭教師は苦痛でしかない。

怒られても分からないものは分からない。それにうまく人に伝えられないけれど、成績や評価のいい勉強は、教科書を読んだ瞬間自分の中に答えがあってそれが正解だった。だから学校で習って出来るようになった勉強というものが、そもそも思いつかない。

学校で勉強を教えてもらった記憶がない。
出来る勉強、教科の先生のお話は、補足として、役にたつ雑談として楽しんだ。それだけなんだ。

勉強は出来た方がいい。選択肢が、視野が広がるから。

それに出来ないと「こんなことも分からないの?」と馬鹿にされてしまう。馬鹿にされるのは幾つになっても嬉しくはないし慣れない。

けれど過去に戻りたいとは思わない。
学生時代に比べたら多少マシになったとはいえ、生きることが下手なわたしが過去に何度戻ったところで、今よりも良い未来に出来る自信がない。

今、どうにかこうにか生きている。
そのことにまずは感謝しよう。

最近、またひとつ出来ないことが露呈して、それについて母に聞こうとしたら「聞かないで!言わないで!やめて!」と言われてしまった。

本人よりきっと親の方が辛いんだよなと心の中で申し訳なさに落ち込んだけれど、「ごめんね、小学生の頃からずぅっと分からなくて聞いてみたかったの」と笑って話を切り上げて、あとでちょっと泣いた。

過去に何度戻っても分かるようになるとは思えないから、今から少しでも分かるようになりたいなと思った。

思うだけにならないようにしないと。

がんばれわたし!!
がんばるわたし!!

しかしまぁ、お暑うございます。

もしサポートをいただいたら……いただくことがあったら……どうしましょう??どうしたらいいのでしょう??その時に考えまずでも良いですか?