話題になっていたピンクリボンのポスター問題について考えてみた

ピンクリボンフェスティバルのデザイン大賞のグランプリの作品が炎上していた。

謝罪文が出て、とりあえず収まったかに思えるが、まだまだスッキリしないし、現在、治療中の人やサバイバーたちを傷つけたことはなかったことにしてもらっては困る。

その事に関して、わたしの考えを書いてみたいと思う。
いろんな思いが交差して上手く書けないのだが…。


グランプリになった作品は、抽選で乳がんが当たって、「まさか?!」というものだが、わたしには「おめでとう!」と受け取れた。

わたしは乳がんサバイバーだが、その作品を見ても、何も思わなかった。

作品の意味が分からなかったというのが大きな理由だが、作品を選んだ人たちも、当事者の気持ちが分かるはずがないのは、仕方のないことだと思っているからだ。

経験したことのない人は、当事者と同じ立場にたっての考えなんてムリだ。

だって、他人のことだから。

少し想像すれば…と思うが、「その先」を想像できない世の中になってきていると感じる。

今回もそれだろう。

だから、面白さやデザイン性のあるものを選ぶのだと思っている。


そんな分かったことを述べているわたしも、手術したばかりの頃は、なんで患者の気持ちが分からないのか!と憤っていたことが多かった。

わたしは、乳がんの告知をされた当時に勤務していた派遣先で、乳がんと分かり速攻で契約は終了となった。

派遣元も何の力にもなってはくれなかった。

その後、面接で乳がんに罹患していることを話しすると、何社か内定取り消しになった。

いろんな会社に、10月のピンクリボン月間に「ピンクリボン運動を支援しています」と書かれているのを見るとイライラした。

がんになったらクビにするくせに…と思った。

わたしは、ピンクリボン運動は乳がんに罹患した人を応援する意味合いが強いと思っていた。

それが、早期発見のための啓蒙運動の意味合いが強いと聞いて、いろいろ諦めた。
そんなのだから、イベントになってしまうのも無理はないと思った。

だから、ピンクリボン運動含め、病気に関するイベントには関わらないようになった。


検診に行って、早期発見したとしても、「そうですか。がんですか。じゃあ、あとは他に行って一人で頑張ってください」では全く意味がない。

発見し、その後が長い。

がんが寛解だと言われているのは5年だが、乳がんは10年と言われている。

しかし、10年過ぎて再発や転移する人も多い。

何年経っても不安は尽きない。

少しでも痛みを感じると「再発?」と不安になる。

マンモグラフィー検査や腫瘍マーカーの結果にドキドキして一喜一憂する。

決して、くじで当たった「まさか!?」ではない。

だけど、今のわたしには、あの作品を見て、他の人のような憤った感情はない。

わたしも他人事となっていっているのだろう。


そして、書いた人を責める思いはサラサラなく、それを選んだ人の認識の問題だ。

目につきやすく、見栄えが良いものを大々的に打ち出すと言うのも仕方がない。

でも、その前に、ピンクリボンに関する運動は、一体、誰のための何の活動なのか。

本来の目的が無くなってはいないだろうか。

それに、やはりピンクリボン運動は治療中や治療後の人たちを応援する運動でもあるはず。

いろんな思いが行きかう中、自分を責めながらも自分を奮い立たせて治療している人たちを傷つけることがあってはいけない。

でも、グランプリになった人も今回の件で傷ついているのではないかと思う。
トラウマになりませんようにと願うばかりだ。

そして、「当事者の気持ちが分からないから…」と、ピンクリボン運動に興味がなくなり、無関心な人が増えないか、ピンクリボン運動自体が否定されないか心配だ。

ひとりでも辛い思いをする人が増えないようにという思いは、活動に参加している人や、それを見守っている人たちの共通の思いであるはず。

検診に行っていても発見できないことがある。
それでも、1年に1度は自分の体の状態を見つめ直しましょう。
そして、検査で早期に発見できれば、治療も軽く済むし、生存率も高いですよと言いたい。

わたしも検診では見つからなかったが、その直後、自分で見つけて早期発見できた。

自分の身体に気を向けていなければ見つけることはできなかっただろう。

検診の予約を取るのも行くのも面倒だし、痛い思いをするのは嫌かも知れない。
でも、その後の治療のほうが、格段に辛い。

男の人も乳がんになる。
女性だけではなく、男性も含め、少しでも自分の体を見つめ直す機会になって欲しい。

そのための運動であって欲しい。

感謝いたします。