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【読書感想文】暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて/アーシュラ・K・ル=グウィン(怒りについて)

ゲド戦記も読んだ事がないのに、この方のエッセイを読んでみました。アメリカの普通の人(もちろんこの方は普通の人ではありませんが、政治家でも経済学者でもないような人)が考えている事を知りたくて読んでみました。

グウィンさんの本から発見は「怒りについて」という章からです。
このフェミニズムについての文章で

怒りは有用だ。不当な扱いへの抵抗をかきたてるのに不可欠な道具かもしれない。だが、私は怒りは武器だと思う-戦闘と自己防衛においてのみ有用な道具だ。

と書いてあってびっくりしました。私は怒りが有用だと感じた事が今までに無かったので。
何かを訴えたい場合、怒る事は聞いてもらえなくなる第一歩。とにかく冷静に語らなくてはならない、と思っていました。怒ったが為に相手に上手く伝わらない、という経験も何度かしました。
グウィンさんも怒りによってこの戦闘に勝ったとは言っていません。けれども結果的に多くを得た、と書いています。

アメリカのフェミニストが怒っていた時代に、私達は酒井順子さんによれば「それセクハラですよ(笑)」と訴えていました。「それセクハラですよ(怒)」ではなく。あの時私達は怒るべきだったのでしょうか。
(先日読んだ「駄目な世代」からの引用です)

確かに怒った本人は負けるかもしれませんが、社会を変える時には怒る事は有用である。でもあの時の私は負ける事が怖くて負け戦に参戦する事ができませんでした。というかこれは社会の問題ではなく個人の問題だと思っていた。

私が若い頃、女性である為に受ける理不尽な行為への反応は個人的なものでした。若い私は波風を立てない事が一番と思っていた。我慢できる程度ならスルーし我慢できない場合は策を講じる。この策ですら面と向かってではなく根回しをして波風立てず。。。
しかし今思えばあれは私個人の問題ではなく社会的な問題。私一人が我慢すれば後の世代にも響く問題だったと今更気付きました。


日常であまり腹を立てるという事がない私ですが、昔の本当に耐えられなくなってブチ切れた経験を思い出しました。確かにあの時は相手の考え方を少し変える事ができた。

怒りについて考えていて、本当に心の底から沸き上がった怒りは相手を変える力がある、と思いました。少しでも怒りによって相手を変えてやろうという気持ちがあれば、それは怒りではなく恫喝です。若い私は心の底からは怒っていなかった、とも言える。慣らされていた、とも言える。。。

確かに怒りは有用です。しかし私は怒る事に慣れていないし上手くない。


アメリカの人々が「怒りは道具だ」と考えているのであればBlackLivesMatterを始めとする様々な抗議行動への納得がいきます。それまではどうしてあそこまで暴力的なのか、と思っていました。

日本では何に対しても怒る事は推奨されていませんね。いつからこうなったのでしょう。
平塚らいてうさんの時代は何となく怒っていたような気もするのですが。日本人はいつからか怒らないように上手く調教されてしまったのか。腹の底から怒るほどの不具合がないのか。

この文章を書いていて、やっぱり怒りによって何かを変えようとするのは違うのではないか、というモヤモヤした気持ちもあります。私が甘いのでしょうか。弱者が何かを訴え社会を変えるには怒りしかないのか。
手っ取り早い方法である事は間違いないとは思いますが。

もう少し考えてみたいテーマとなりました。



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