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【生活感想文】なんで理科を勉強するの?(自然の摂理)

先日子供の友人に「なんで理科なんか勉強しなきゃいけないの?」と聞かれて詰まりました。
しまった!この手の質問は答えを用意しておくべきだったのに忘れてた!
「子供に聞かれて答えられなかったらかっこ悪いじゃない?」とか適当にお茶を濁しましたが、その後気になってずっと考えていました。

で、私なりの答え
「理科は自然の摂理を習うのだ」
(ちなみに社会は「人間の摂理を習うのだ」です。)

例えば家庭科の課題で同じ材料で同じ物を作っても、人によって千差万別色々な物が出来上がりますが、水を沸騰させるのは、誰がどんな風にやっても(標高が同じなら)必ず100℃で沸騰しますよね。これってよく考えると凄くないですか?
誰がやっても同条件下なら必ず同じ結果になると確証された事しか理科では習わない。そう考えると数学も自然の摂理なのかな。
福岡伸一さんの本などを読むと科学の分野での「再現性」というのがいかに大変か、という事がわかります。「たまたまできた」じゃ駄目なのです。
今までの人類の発見の積み重ねという事でしょうか。

戦後の小学生が教科書を墨で塗らされた、なんて話を聞きますが、たぶん理科の教科書は塗らなくて良かったのではないか。一度習ったら途中で変更される事なく一生使える知識なのではないか。名称が日本語から英語になったりはしたかもしれませんが。

歴史なんかは年号が変更されたり、後日教科書が改められる事がありますよね。あり得ませんが、同条件でもう一度同じ歴史を繰り返したらきっと人々の微妙な判断が変わって、違う結果になるのではないかと私は思っています。
例えば徳川家康はたまたま生き残ったけれど、武田信玄に殺されちゃう場合もあったかもしれません。

そう考えると理科を習うのは何となくお得感がありませんか?

そして将来物を作る仕事に就くのなら、車を走らせるにしても建築家になるにしても自然の摂理は必要です。人間に関わる仕事なら人間の摂理が必要です。
物も人間も扱わない仕事って、ちょっと思いつかないので、結局どちらも必要って事ですね。

ほら、上手く説得できそうな理由を思い付けたのに、子供の友人は今更おばちゃんの熱い語りは聞いてくれません。
残念なのでここに記しておきます。

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