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#34《学びの共有》生きづらさの原因は人的資本力の縮小・希薄化

1.ご挨拶

こんにちは。社畜官僚のシロです。
2022年はあまりにも忙しく、生きるのに必死でしたが、なんとか乗り切れました。
2023年はなんとか健康で文化的なちょうどいい生活ができるように、自分の憲法を死守できるよう頑張ります。

2.必要なモノを手に入れるための4つの力とその特徴

増税、少子化、犯罪、隠蔽、貧困、戦争、有事、最近はこういったネガティブな情報をよく見るようになりました。
社会人になってそういう情報に触れる機会が増えただけかもしれませんが、なんとなく、徐々に、日本が生きづらい社会になっているのではないか、そんな思いが強くなってきた弱小官僚シロです。

そこで、自分なりにそんな情勢でも「ちょうどよく」生きるために何ができるのか、そして、何が原因でこのような情勢になったのか考えてみました。

せっかくなので、自分の記録用として記事にしつつ、共有したいと思います。

まず、私たちが生きるためには色んなモノやサービスが必要です。
家、衣類、食料、エネルギー、移動手段、インフラ、etc
これらが無理なく手に入れば、それは「ちょうどよく生きやすい社会」と言えるでしょう。

では、どうやってモノやサービスを私たちは手に入れているのか
この「手に入れるための力を手に入れられれば最強」ではないか。

結論から言うと力は以下の4種類。
生きづらさの原因は人的資本力の低下にあると考えています。

1.経済力(お金による交換)
2.国家権力(権力による徴税権と再分配)
3.暴力(物理的な力・情報格差を利用した強奪)
4.人的資本力(人間関係における贈与)

1.経済力(お金による交換)


一番身近に感じられるのが、この経済力です。
私たちの住む資本主義社会では、お金(貨幣)を用いれば基本的になんでも買うことができます。

労働力など、何らかの価値があるものを貨幣としていったん保存・可視化して、必要に応じて「交換」を行います。

資本主義経済においては、貨幣さえあれば、言い換えると「経済力」さえあれば、なんでも買える=交換できる便利な社会です。
しかし、弊害もあります。

それは生活必需品を含む商品、サービス、人間関係、ありとあらゆるものを「交換」の対象としてしまうことです。

短時間のうちに、ギブしたらテイクを求めあうのが交換です。
お金がある人は何でも手に入れることができ、お金がない人は何も手にすることができません。

経済力の特徴は、経済成長率も、資本成長率が大きいため、労働者はどんなに頑張っても資本家に追いつけません。
かみ砕くと、賃金の成長よりもお金がお金を生み出す成長の方が速いのです。
つまり、経済格差は拡大する運命にあります。

また、よく暴走してバブルや恐慌といった人災を引き起こします。

経済による交換は公平ではありますが、平等ではないのです。

2.国家権力(権力による徴税権と再分配)

2つめは国家権力。

これは、多数決など、何らかの方法によって、特定の人・組織に他人の財産・権利を奪う力を認める力です。

当たり前すぎて疑問に思わないかもしれませんが、税金は国民のお金を、国民の同意に関係なく奪う行為です。
税金を納めないと罰することができます。

こんな事が可能なのは、これがまさに力だからです。
多数決で決めた政治家によって定めた法律には従わなければならない。
これが国家権力
です。
(一部の国では軍事力によって国家権力を牛耳ってるところもありますが、、)

国家権力含め、権力にはある特徴があります。
それは、権力者は権力を手放そうとせず、権力を強めようと頑張る、ということです。

今まで貰えていたモノが貰えなくなるのは嫌ですよね。
そして、もっと欲しくなると思います。
年収がいくらあっても人間は満足できないらしいのです。
国も一緒。
どれだけ徴税できても満足しません。
基本的にもっと徴税しようとします。

歴史上、権力者は度々暴走し、権力を行使される側が大変な思いをして、何度も血が流れました。

簡単に言えば、権力者とは徴税権を持つもの、分配先を決めるものです。
その暴走を防ぐために作られたシステムが法律です。
だから権力を持たない私たちは法律を法律やそれをつくる政治家を監視しなくてはなりません。

しかし、日本の選挙の投票率は50%そこらですし、選挙以外では政治への関心、行政の予算の使い方に国民は関心をもっていません。

だから、どんどん行政予算や税金は膨れ上がります。
だからといって生活が楽になるとは限りません。
適切な監視がないと、権力者は自分たちの都合の良い方に物事を進めます。権力者の利益と権力を行使される者の利益は一致するは限らないのです。

国家権力において、国民は1人1票と平等の力を持ちますが、税金は人によって金額が変わるなど、公平ではありません。

3.暴力(物理的な力・情報格差を利用した強奪)

経済力、国家権力以外にも欲しいものを手に入れる方法があります。
それは暴力による強奪です。

暴力は全てを解決します(しません)。

法律で暴力は禁止されています。
しかし、物理的な力で人から物を奪ったり、脅して手に入れることは可能です。
実際、裁判沙汰になっていないだけで、力によって何かを奪われた経験がある人は少なくないでしょう。

法律や条約も完璧ではないので、今でも殺人やロシアによるウクライナ侵略などが起きます。
人類の過去と比較すると、この暴力による商品・サービスの強奪は減っていますが、形を変えて増えている暴力があります。

それは、情報の格差を利用した強奪、つまり詐欺です。

近年は情報が大きな力を持っています。
高齢者を狙ったオレオレ詐欺などの特殊詐欺や、宗教の皮を被り高額の壺や本を売りつける詐欺、投資詐欺などは増えています。

一方的に奪う、奪われる、という関係性であり、暴力によるモノやサービスの移動は、平等でも公平でもありません。

4.人的資本力(人間関係における贈与)

最後が人的資本力。
つまりは人間関係での商品やサービスの移動です。

パートナーや友人の誕生日にプレゼントをする。
上司や会社の人から出張のお土産をもらう。
結婚式の御祝儀と返礼品など、様々なパターンがあります。

人的資本力のある人は、多くの人から様々なものを貰います。

贈与は上司から部下、といったように、上の者から下の者に商品やサービスが移動するという点では国家権力に近いともいえます。

一方で、友人同士だと貰った分と同等のものを(長期的なスパンで)返さないといけない、という経済の交換に近い形態もありえます。

また、親と子のように、一方的に貰う側と受け取る側が決まっている(ある意味愛情による)強奪に近い形態ともいえる形態もとりえます。

このように、人的資本によるモノ・サービスの移動は複雑な形態をとります。

親と子の愛情、友人同士の友情、職場や地域での関係性など、人間の数だけ種類が存在します。

何をプレゼントするべきか、返すべきか、といった答えがなく、また人間関係は目で見えず変化もするため、非常に複雑です。

このような特徴から、人間関係を維持したり、広げたり、深めたりするには非常に精神的負荷がかかることが多いです。

良好な人間関係を構築するためには、忍耐、配慮、相手の知識、責任、尊重、といった高度な人間力が求められます。

公平か平等かと言われると、どちらでもあり、どちらでもありません。

【結論】生きづらさの原因は人的資本の縮小・希薄化

経済は成長しました。
優れた商品やサービスが多くの人に届くようになりました。

国家は福祉国家となり、軍事力などの力で国民を抑えつけるのではなく、民主主義的プロセスで政治が行われ、各種インフラ、医療保険、年金等、国民のための制度が作られてきました。

暴力事件も減り、夜も安心して、子どもや女性が出歩けます。

では私たちは幸せになったのでしょうか。
なぜ、生きづらくなっているように感じるのでしょうか。

それは今まで説明してきた力のうち、
唯一、急速に、社会から失われている力、
つまり「人的資本力」こそが、私たちの幸せに必要だったからです。

国家の役割は増大し、経済や技術は発展し、暴力も減ってきた中で、人的資本力だけは急速に縮小・希薄化しています。

今まで人的資本により行われていた子育て、教育、介護は経済や行政の分野に移行してきました。

今では家族は財産ではなく、大きな負担。
残酷に言えば、負債のような存在になりました。
子どもは急速に社会から姿を消し、高齢者は施設に集約されています。

今まで家族や友人からの紹介などで行われていた仕事の求人、友人や恋人を探すのも、SNSやマッチングアプリなどの経済的なサービスに置き変わりました。

そこで判断できるのは相手の内面的な魅力ではありません。
容姿、年収、年齢、学歴、趣味など、数値化・可視化できるものが重要になります。
これらの情報で選ばれるということは、比べることができるゆえ、交換可能な存在となります。

人間関係において、「共に時間をかけて関係を育む」といった概念が薄れ、仕事だけでなく、友人や恋人の関係ですら「即戦力」が求められているのです。

近所で子どもたちを見守ってくれていた人生の先輩方も、
今では高齢者や不審者と呼ばれ、監視されるべき存在になりました。

医療が発達したことで「ちょっと変」な近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんには病名がつけられ、病院や部屋が居るべき場所になりました。

行政サービス、商品、サービスも
歴史上もっとも良いものが手に入るようになった世界なのに
誰もが「自分を大切にしてくれる人」に飢えることになった。
だから、生きづらくなってしまった
のだと、私は考えます。

人的資本の増加、つまりは人間関係を豊かにするためには私たちが何ができるのか。
自分自身にとって適切な人的資本力を手にするよう何ができるのか。
ここを考え、アプローチする必要がありそうです。

【提案】必要なのは「人を愛する技術」

前述の内容をまとめつつ、提案を試みます。

<疑問>
日本が生きづらい社会になってきているのではないか。
その原因は何か。
「ちょうどよく」生きるために何ができるのか。

<仮説>
①経済力②国家権力③暴力④人的資本力のうち、④人的資本力が乏しくなり、それが生きづらさに強く影響しているのではないか。

<提案>
ちょうどよく生きるためには「自分にとって適切な人的資本を育てる技術と知識が必要」ではないか

この提案において、重要なことが書いてあったのがエーリッヒ・フロムの名著『愛するということ』です。

この著書では「人を愛するということは技術である」と言います。
愛とは行動であり、高度な技術によって成り立っているため、勝手にできるようになるものではないのだそうです。

彼の愛に関する考察をシェアします。

愛の本質は何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。

愛の基本的な要素とは「配慮」「責任」「尊重」「知」である。

この本から得た学びはまた別の機会にまとめたいと思いますが、本当に素晴らしい内容なので、非常にお勧めです。

とにかく、私たちがこれから手に入れる必要にあるのは
お金や科学技術ではなく、権力でもなく、暴力や人を騙すための知識でも、もちろんないでしょう。
身の回りの人への①配慮、②責任、③尊重、④その人を知ること
です。

そして、その関係性を育てるための忍耐力と時間も必要です。

私の憲法の2条でも触れてますが、やはり、人生の幸福度を決めるのは良好な人間関係です。

私自身も、国家も、配慮と責任、尊重、他者について知るという態度を忘れないで生きたいと思いました。

どうか、一人でも、健康で文化的なちょうどいい生活ができますように。
愛をこめて。


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