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『住所録』に見る縁

最近、パソコンを買い替えた。
で、まぁ大体は外付けHDDにコピって移設するだけだったので、そこまで問題はない。地味に愛用していたIllustStudioのダウンロード用CDがそういえばどこにいったっけなと、ちょっと冷や汗を書いているくらいだ。
クリスタはDLしなおせばまぁいけると思うんだけど……元々ネットから落としてるし、ログインに使ってるメアドとかもわかるはずだから……でも地味に使い勝手が違うから一応両方残したかったんだけどな、んん……?

まぁそれも困るんだけど、もうひとつ困ったのは住所録ソフトである。
こいつも相当昔から使っているもので、IllustStudio以上に発掘できない予感しかない。いやあんまりそういうの捨てないはずなんだけど……とはいえ探すのも骨だし。娘の相手をしながら、年末までに絵を描いてスキャンして(アナログイラスト派)、年賀状として仕上げて、印刷をかける準備を……できる……自信がないな、うん。そもそもWindows11に対応しとるんかなあれ。

で、とりあえず買ってきた。
住所録ソフト。
前使ってたシリーズの入力データファイル自体はあるので、一応それも読み込みできそうなやつを買った。


んだけど、読めなかった。


ありゃ。
前のバージョンが古すぎたのかな。
正確なところはわからないけれど、とりあえず読めないと言われてしまったからにはしょうがない。

幸い、まだ前のパソコンは処分していない。
手打ちで全住所を打ち直すことにした。

バカじゃないのって?
まぁ、割と無駄なことをしてるとは私も思う。
ただ、買ってきたソフトも無駄にしたくない。あと、なんだかんだ『長く連絡してないけど、もしかしてという気持ちと共にずっと消せずにいる人の情報』とかもある。ここぞとばかりに、整理をかけるのもありだろうと思ったわけだ。

毎年年賀状を130枚くらい出す人間なので、パソコンの中には膨大な人数のデータが入っている。
正直、年賀状だけしかやり取りをしてない人もいる。その代わり、何年も何年も、そこだけは途切れずに続いているっていう人もいる。
名前を見たら、その瞬間だけはその人のことを思い出すし、短いコメントをなんと書こうか、相手はどんな言葉を送れば口元を緩ませてくれるかと、そう考えて間接的にその人と向き合う時間、それを大切にしている。

オタク趣味絡みの友達はほとんどがHNでの付き合いなんだけど、本名を見ただけでも「これは○○ちゃん」とかパッと思い出せるから不思議なもんだなと思う。一応HNもメモとして追記したりしてるけど、そんなもん見なくとも、漢字まで含めて本名書けるわみたいな人が結構いる。
そこ、別に覚えようとはしてないのにね。不思議。

逆に、『もう二度とこの人には会いたくない、思い出したくもない』という人もいる。
あぁ、あんなに好きだったのにな。あんなに仲良くしてたはずなのにな。何かしらのキッカケで大喧嘩して、お別れとなってしまったあの人たち。
不思議なんだけど、あの時あんなに傷ついたはずの言葉や喧嘩の経緯が、もう思い出せないことが多い。向こうもそうなのかな。向こうがにせよこちらがにせよ、もう『あの時はごめん』と謝って関係を修復できることはないのだ。何を謝るべきか覚えていないのだから。
ただ、自分は大体その時自分が謝るべきと思ったことは謝ってきたつもりだし、その上で『この人は私のことを大切にしてくれないな』と感じてお別れしてきた。中には、一部の界隈では誰もが名前を知るような、有名なイラストレーターさんもいた。私もその人のことを尊敬していたし、一緒に遊んだ時の写真や、ちょっと描いてもらったイラストなんかも、まだ捨てられずにいる。きっと、勿体ないと悲鳴をあげる人もいるだろう。だけどあの人は、その時自分の都合ばかり優先して、私のことなど全く気遣ってくれなかった。こっちにも予定というものがあってですね……?
残念だけど、さよならだ。私は、私のことを大切にしてくれる人と仲良くしていくよ。

ただなんとなく、連絡を取らなくなっただけの人もいる。Twitterで全然見なくなっただけの人とか。ただ、その人とはまだ繋がっていたいと、私が願う人。ひょっこりまたお話出来るきっかけがあるなら、また仲良くしたい人。一方的ながら、すごく好きな作品を描く人。
そういう人の情報は、まだ残すことにした。何年も経ってるから、もうその住所に手紙を出しても届かないかもとすら思うけど。実験、年賀状が返ってきちゃったことも沢山ある。無駄なデータ。それでもいい。
私は、私に対する悪意がない人であればいつまでも大切にしたい。私と会話することはなくとも、ただ同じ空の下で、元気に笑っていてくれてたら嬉しい。その人の痕跡を、そっとそこに入れておきたいのだ。

それ以上に、何か郵送しても絶対に届かないと分かっていて、それでもやっぱりデータとして残したのは、亡くなったおばあちゃんの住所。
遠いし、相続云々の流れでその家も手放されてるはずだし、もう絶対に使うことはない番地名。しかも「1-5-20」みたいなそれ、写真ひとつない、ただの文字列でしかない情報。
でもねぇ、残すの、こういうのは。
そういうもんじゃない?


35年生きてきて、色んな人と関わって、別れて、付き合ってきてるんだなぁとしみじみする。
今住所録にデータ移してる人たちとは、今後も仲良くし続けられたら良いな。……移す時に打ち間違い、してませんように(量もあるから全員分のダブルチェックは無理)。

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