イシナガキクエを巡る35の謎(その2)

【注意】本稿は『イシナガキクエを探しています』全4話の視聴を前提で書いています。ネタバレにご注意ください。


【補足資料】
『イシナガキクエを探しています』年表
『イシナガキクエを探しています』語集


[Q.08] 《処置》と《処理》、そして《代理人》とは何を指すのか?

[A.08]
《処置》=イシナガキクエを除霊するための一連の施術
《処理》=《処置》の完了によるキクエの無力化
《代理人》=処置に必要となるキクエの依代=女性の死体

稲垣義一から送られてきた《遺品の8mm/VHS》は、《処置》の内容を紐解くのにおいて重要なフッテージである。同映像(少なくとも番組内で公開された6本)から、以下の情報を推理できる。

①稲垣乙(延いては稲垣家)が扱う術のジャンル。
②《処置》の大まかな内容と手順。
③《処置》に参加したメンバー。

まず①について。
映像の内容から察するに、稲垣乙が使う術は陰陽道や道教の色が濃いように思える。代理人と思しき物体を巻く布に書かれた《急急如律令》という文言は、陰陽師や道士がよく用いる「呪術の効果が速やかに出ることを命じる」呪文である(※1)。しかし術者の乙が呪文を唱える際に数珠のような物を擦っている点などから、生粋の陰陽術/道術ではなく、様々な宗教や民間信仰などが習合して創られた【稲垣流】とでも呼ぶべき独自の物なのかもしれない。

次に②について。
同映像内から判ずるに、《処置》という儀式(?)は大まかに

代理人の製造 → 代理人の搬送 → 代理人の埋葬

……という3フェーズから構成されている事が見て取れる。ここで触れねばならないのが《代理人》の存在である。
《代理人》とは読んで字の如く、キクエの代わりになる依代……具体的には人間の死体を指すのだろう。それも死亡当時の稲垣クシエと同じ年頃と体形の女性に限定されると思われる。
では、代理人はキクエの代わりに何をするのか? それは恐らく【死ぬ】……延いては【殺される】ことだろう。1984年に撮影された《遺品のVHS②》の短くも非常に生々しい光景は、正しくそれを撮影している。
陰陽術や道術には【送尸】や【反魂】と呼ばれる死者蘇生の忌術が伝わっていることが知られている。それを応用し【代理人を用いてキクエを受肉させ、蘇生させた上でもう一度殺す】ことで、キクエの死という事象を現実世界に発生させ、除霊と封印に換える。そのための一連の行為を《処置》、その完了を《処理》と呼んでいるのではないかと推測する(代理人に関する考察は[Q.09]参照)。

では何故、そこまでしなくては除霊することができないのか? それは単(ひとえ)に、キクエの生前である稲垣クシエの力に起因すると思われる。フィクション……特にファンタジーの世界では、生前に優れた霊力や魔力を有していた人間がアンデッド化すると、霊体であれば【サイコゴースト】、実体を持っていれば【リッチ】などと称される存在に化生すると言われている。いずれも生前を凌ぐ強大な力を有し、並の除霊や浄化はまるで効かないという特徴を持つ。キクエもまたサイコゴーストの一種であると考えれば、《処置》という大がかりな儀式的手段を以て対抗するしかなかったのも頷ける。

最後に③について。
《処置》には米原実次と稲垣乙の他に、少なくとも3名の男性と撮影者1名の計4名が協力者として関わっていることが映像からわかる(彼らに関する考察は[Q.12]参照)。米原たちは《処理チーム》とでも呼ぶべき一団を組織し、18年に渡ってキクエと対峙してきたことになる。

……以上を踏まえた上で、イシナガキクエの発生から処理までの流れを記すと、以下のようになる。

【イシナガキクエ《処置》の流れ】

①イシナガキクエの目撃情報を募る。
②寄せられた目撃情報をを吟味。
③目撃現場の写真を撮影、後に確認。(※1)
 キクエが写らなかった場合→②に戻る。
 キクエが写った場合→④に進む。
④稲垣乙、《代理人》を手配し搬送。
⑤何らかの手段で稲垣乙がキクエを《代理人》に憑依させる。(※2)
⑥キクエ、代理人の肉体を介して蘇生。(以下《蘇生体》と記す)
⑦蘇生体を殺害する。
⑧死体を布で巻き【星鬼急急如律令】の呪文(※3)を描く。(以下《処置体》と記す)
⑨撮影した写真を引き伸ばした【遺影】に発生番号を記し、胸元に固定する。
⑩米原実次と稲垣乙の随伴の下、協力者が《処置体》を運搬する。
⑪山林、池などに《処置体》を埋葬する。
⑫《処理》完了。①に戻る。

(※1)キクエが居るであろう場所を狙って撮影するため、35枚の写真は風景とキクエの姿のみを映している。
(※2)③で撮影されたキクエの写真を介して何らかの術を施し、キクエを依代に移すのかもしれない。《不気味な写真》改め《キクエの写真》は言わば正真正銘の心霊写真であり、それ自体が霊的/呪的な力を有していても不思議ではない。尤も、それらを具体的に示す描写は本編中に一切存在せず、上記はあくまで憶測に過ぎない。
(※3)【星鬼】の出自は不明。陰陽道的に捉えるなら星=星宿(星座)、鬼=鬼神または式神か。
星鬼急急如律令=『星宿と鬼神の力を以て直ちに封魔せよ』の意?


[Q.09] 《代理人》を誰が、どのように用意していたのか?

[A.09]  少なくとも1987年までは稲垣家が、儀式用の死体を調達する特殊なルートを使って調達していた。

後に発掘される《留守電のテープ②》の内容などから、キクエ【35】を処理する1987年頃までは、稲垣サイドが《代理人》となる死体を用意していたと読み取れる。問題は、その入手経路である。

可能性①……代理人に適した一般人を拉致、殺害してきた。
かつての稲垣家や米原家の力を考えれば、不可能ではないかもしれない。しかしキクエ【1】~【35】まで一般人を拉致殺害してきたとしたら、半年に1度のペースで不可解な失踪事件が起こっている計算になる(同年代の若い女性ばかりが連続失踪したら、猶更訝しまれるだろう)。発覚と法的なリスクを冒してまで、上記の手段で用意するだろうか?

可能性②……特殊な経路で代理人に適した死体を調達してきた。
稲垣家が旧くから呪術用の死体を秘密裏に調達するルートを持っていたとしたら、①よりも低リスクでスムーズな《代理人》の調達が可能であろうと予想できる(例えば病院等に太いパイプがあり、検体用の死体を秘密裏に回してもらう……等々)。もしかしたら、そういった目的に使用する死体を取引する闇マーケットが存在するのかもしれない。

考えられるとしたら後者であろう。以降、②と仮定した上で考察を進めていく。


[Q.10] 何故《処置》の一部始終を撮影して、記録を残したのか?

[A.10]【キクエの死】という事象を創るため。

いくら呪術的な目的があるとは言え、《処置》と《処理》は死体損壊や遺棄に問われるであろう立派な犯罪行為である。その動かぬ証拠になるであろう映像をわざわざ記録、保存しなくてはならなかった理由があるとすれば、それ自体が《処置》の工程に必要だったと考えるより他ない。
映像は言わばキクエの死から埋葬までの葬儀の記録である。それを処分せずに残すことが「キクエが死んだ」という事象を創り、それを以て《処理》が完了するのではないかと推理する(それにしてはフィルムの保管方法が雑な気もするが……)。
また《キクエの写真》を引き伸ばしてナンバーを記し、額に入れた【遺影】を処置体の胸元に置いたのも、フィルムと同様に事象造りの小道具という意味があるのかもしれない。


[Q.11] 米原家とはどんな一族なのか?

[A.11] 代々林業を営んできた、地元の有力者。

米原実次の両親が林業を営み、広大な土地を有していた事は本編でも語られている。所有する山林から樹木を伐採して利益を得ていたこと、その事業を行うための林業経営体(林業会社)を組織していたことは想像に難くない。規模は語られていないが、大なり小なりの従業員も抱えていたであろう。
つまり米原家は言わば地元の有力者であり、五人兄弟の次男坊である米原実次は内外に影響力があっておかしくない存在なのである。
しかし、取材時の米原家にかつての権力を感じさせる要素はない。実次を除く四人の兄弟、実次自身の家族も仏壇の中の遺影に確認できるのみである。


[Q.12] 《処理チーム》の協力者は何者だったのか?

[A.12] 米原家が営んでいた林業会社の従業員(に偽装した稲垣家の関係者)。

《遺品の8mm/VHS》から判断すると協力者は皆、米原実次と同世代かそれよりやや若いように見える。そしていずれも土木作業着、何人かは米原実次と揃いの物を着用している。これを素直に取れば、米原家が過去に営んでいたであろう林業会社に所属する社員と見るのが妥当だろう。しかし(儀式的&模擬的とは言え)人を殺め、その死体を担いで運搬して埋葬する行為に素人を加担させるというのも考えにくい。稲垣家サイドの人間が怪しまれないように変装している可能性が高い。


[Q.13] 《処置体》は何処に、どういった基準で埋葬されていたのか?

[A.13] 米原家が所有/管理する山林に、風水に基づいた法則の下で埋葬された。

《処置》を行うのにおいて、米原家が所有する山林は打ってつけの場所だったのだろう。映像内に山仕事用の倉庫と思しき場所も映り込んでいるので、《代理人》の搬送→施術→加工→運搬→埋葬までの一連の作業が、米原の私有地内で秘密裏に完了していると考えると色々と合点が行く。
とは言え、さすがに闇雲に埋めたり沈めたりしているとも思えない。稲垣家の扱う術が陰陽道と道教をベースにしているのであれば、【風水】に関するノウハウも備わっていると考えるべきだろう。術者である稲垣乙の指示の下、山や林だけでなく【池】なども選んで埋葬することで、キクエを完全に封じるための結界のような物を構築していたのだろう。35(体)という数字はその結界の完成に必要な聖数だったのかもしれない。


[Q.14] 何故、米原実次は『THE ワイドSHOW』に出演したのか?

[A.14] 35体を以てイシナガキクエの処理が終了、永続的な無効化に成功したことを確認するため。

「もうこの世にはいない」尋ね人の捜索を番組に依頼しただけでなく、その姿を目撃した際の連絡先を掲示する……『THE ワイドSHOW』生放送中に米原実次が起こした放送事故は、誰の目にも気の触れた者の所業にしか映らなかったであろう。司会者の引き攣った顔、スタジオ観覧者の悲鳴がそれを物語っている。しかし、この一連の行動には意味があったのである。

1987年は、一連の事件において大きな節目となる年である。
キクエ【35】までの処理が完了していることを伺わせる『THE ワイドSHOW』での発言以降、少なくとも3年は新たなキクエが発生しなかったことがわかる(※)。それ以前は半年に1度のペースでリスポーンしていた事を踏まえると、35体の処理を以て20年近くに及ぶイシナガキクエとの戦いは一応の決着を見せたと取るべきだろう。

米原実次にとって『THE ワイドSHOW』への出演は、処理の完遂を確認するための最終テストであり、同時に保険を用意する場でもあった。短期間で広範囲かつ集中的な目撃情報(正確には「見かけない」という情報)を得たい米原実次にとって、テレビ番組の人探しコーナーは打ってつけの手段だったのである。そして番組スタッフが総力を挙げたにも関わらず、カーテンの向こうが無人だったことも予想&期待通りの結果だった。しかし、新たなキクエの出現という万が一の事態に備えていた米原実次は更なる行動を起こす。テレビという当時最も影響力の強いメディアを使って、なおかつ第三者に編集されることなく【稲垣乙の住所】を衆目に晒すためには、生放送中のゲリラ的行為より他無かったのである。

(※)『THE ワイドSHOW』放送(1987年)から、新たなキクエの発生を匂わせる《留守電のテープ②》が録音された1990年代まで。3年という年数は1987年~1990年=最短として見た場合であり、長く見積もれば10年前後キクエが封じられていたことになる。


(その3)へ続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?