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【突撃!ナレトーーク】第7回 近藤隆幸さん(前編)

ナレーター界を盛り上げるべく始動したメディアプロジェクト『HITOCOE』。

ナレーターのさかし(坂下純美)とあこ(甘利亜矢子)が、ナレーターの皆さんのライフスタイルや人生観、それぞれの働き方を紹介していきたいと思います!

今回は、深味のある声が魅力的なパパナレーター・近藤隆幸さんです!

近藤隆幸さん
落ち着いた上品なイメージの声を武器に、声優・ナレーションはもちろん、元・理学療法士の経歴も活かしたボイストレーナーなど、各方面で活動中。同時に0歳と4歳(2022年5月現在)のお子さんのパパで、毎日仕事と子育ての両立に奮闘している。
<代表作>
【ナレーション】TNM & TOPPAN ミュージアムシアター『国宝 松林図屛風-乱世を生きた絵師・等伯-』『東博のミイラ デジタル解剖室へようこそ』、エクセルコダイヤモンド など
【声優】ウマ娘 プリティーダービー(アプリ)、約束のネバーランド(アニメ) など
〇Twitter…@Kondo1214
〇Instagram…@takayuki_kondo1214 
(ボイスサンプルは @takayuki_kondo_voicesample で)

声優として生きていく!と走り出すも…

さかし:ナレーターになるまでの経緯を教えてください。

近藤:もともと大学生のときに演劇サークルに入ったのがきっかけですね。卒業後、一度サラリーマンとして就職したものの「俺の人生はここで終わるのは何か違う」とどこかで感じていました。有給休暇を使って舞台をやったりもしました。しかし燃え尽きるほど打ち込むことができず、ストレスを感じていました。
そうこうするうちに就職して一年ぐらい経過した頃、会社の先輩に「お前何やりたいの?」って聞かれたんです。そのときに「お芝居やりたいんです」って答えたら「辞めるんだったら辞める一年前に言ってね」って。それがちょうど一年目の12月末だったんですけど、年明け初日に「もう辞めます」って伝えました(笑)
退社後は声優の専門学校に通いました。
そのときに不二家の勤労学生制度という、働きながら学べるという制度を利用しました。26歳ぐらいのときに始めたんですね。でも専門学校では物足りなくなって「もっと厳しいところに行きたい」と思い声優事務所附属の養成所に入所し学びましたが、そこでは所属に至りませんでした。
それで次に、当時はまっていたアニメ『カウボーイビバップ』に出演されていた石塚運昇さんが養成所を開設するというのを聞いてそちらに入所しました。そこはナレーションに特化していました。
2年間在籍しましたが、その間にいただいたお仕事は2件だけでした。今思うとそりゃそうだな、とてもじゃないけど使えんって僕がマネージャーだったら思います(笑)
その頃はナレーションのサンプルをMDに録って事務所に持っていったりしてましたね。

さかし:MD!

近藤:通じました?(笑)全然使われませんでしたが。
当時アルバイト先にいた、プロ・フィット(声優事務所。2022年3月にプロダクション業務を終了)の養成所に通っている友人の「仕事いっぱいあるからオススメだよ」っていう甘い言葉を思い出して養成所に入りました。
一年通って事務所に所属しました。入った当初はもう31歳か32歳ぐらいだったのかな。
そのときに講師でいらっしゃっていたスタジオ・ドンファンの山田陽さん「お前はナレーションのほうがいい」って言われたんですよ。

さかし:ここで。

近藤:はい。でも当時は「いや、僕はアニメやお芝居がやりたいんです」って言って。
山寺宏一さんが映画『マスク』で吹替をやってるのを見たときに「おもしろい!これがやりたい!」って思ったのが、僕がこの道を行くことにしたきっかけだったので、当時はナレーションにはそこまで興味がわかなくて。
事務所には6年ほど所属していました。その間にナレーションの仕事はほとんどありませんでした。企業VPのようなお仕事は全然なかったです。

事務所退所…「理学療法士」という選択

さかし:でも声優としてはお仕事あったんですよね。なぜ退所されたんですか?

近藤:今の奥さんとの結婚を考えるようになって、社長に相談しました。「付き合ってる彼女と結婚を考えているのですが、今のままだと生活できない。正社員として働きたいので辞めさせてください」って。伝えたら引き止めてくれたし僕も辞めてしまうのはもったいないなと思ったんですが退所しました。
それで36歳か37歳くらいで就職活動を始めることになりました。このとき初めて職業安定所に行ったんですが、そのときに35歳以下はこっち、36歳以上はこっちって分けられて「もうこっちなんだ!」って年齢を実感しました。しかも案内された仕事もやってみたいものがなかなかなくて…。

さかし:年齢で分けられちゃったんですね…。それで結局どうしたんですか?

近藤:大学が数学科で数字を扱うことが好きだったこともあり、いつか役立つだろうと簿記2級を取ってあったので、それを生かして特別養護老人ホームに経理として正社員で入りました。
でも、同期入社の人が簿記1級だったため経理らしい仕事は全部彼に取られてしまって、僕は経理という名前のなんでも屋さんでした。利用者にお金を請求したりとか。しかもブラック企業でお休みはお盆とお正月くらい。仕事が終わるのも夜遅かった。

さかし:いろいろつらかったですね…。

近藤: そんな中、生まれて初めてのスノーボードで転んで肩を骨折しまして(笑)スノーモービルで医務室まで運ばれました。レントゲンを撮ったら、通常レントゲンを撮ると骨は白く写るのに、ヒビが入って骨の中の血管が切れている状態だから真っ黒に写ったんです。
その場では三角巾でぶら下げるだけで「帰ったら病院受診してくださいね」って言われただけでした。でもそのブラック企業があまりにも忙しくて、受診できないまま、そのまま働いてたんですよ。

さかし:え?病院行かずにずっとその状態で仕事してたんですか?

近藤:そうなんです。そうしたら夜に痛んで眠れなくなって、仕事中にも肩も上がらなくてファイルを棚に上げられなくなったりして、さすがにまずいと思ってようやく「病院行かせてください」って伝えて整形外科に行きました。
そこでリハビリを受けるときに理学療法士の先生に会ったんです。そのときふと「そういえば仕事先にも理学療法士の先生来てるなぁ」「うちら経理より全然給料いいんだよな」って。しかも利用者の人はすごく楽しそうでいい仕事だなぁって思っていたので、自分のリハビリも仕事先の理学療法士にお願いしてみることにしました。病院に通うのは難しかったので、自分の施設で合間見はからって「すみません」って。
それで今からでも理学療法士の資格を取れるか相談をしてみたところ「行くんだったら早いほうがいいよ」って教えてもらったんです。全然お金はなかったんですが、このままここにいても結局お金が稼げないと思ったので、会社を辞めて派遣会社に登録していくつか掛け持ちをしながら一年近くお金を貯めました。

さかし:一旦、一年間はひたすら働いたんですね。

近藤:そうですね。でもその間にも事務所に所属していたときにお世話になっていたところからゲームのキャラクターのお仕事いただいたりとかは時々ありました。辞めたときに完全に足を洗おうと思っていたものの洗いきれていない状況でしたね。
派遣社員時代は仕事をしました。例えば法律事務所の電話で催促するとか、携帯料金払えてませんよっていう。

さかし:また請求(笑)

近藤:請求してましたね(笑)
そのほかにも、国立博物館の東洋館にミュージアムシアターという劇場があるんですが、そこでナビゲーターとして働いていました。台本を覚えて画面を操作しながら美術品や文芸品について解説するという仕事。これは少しだけナレーションに近いかな。
そしてやっと理学療法士の専門学校に入ったんです。でも学んでいる間にもやっぱりお金がないからバイトしなきゃいけないってときに、新設されるボイストレーニングの学校の講師をやらないかって友達に誘われたんですよ。
自分の今までの経験が生かせるんだったらと思って引き受けたんですけど、同時に「もしかして理学療法士として学んでいることも使えるんじゃないか」と思って、生徒を使って実験しました(笑)
でもその中で、やっぱり姿勢ってものすごく大事なんだなとか、緊張するとどういうことが良くなくて、逆に緊張をほぐすとどういうことがいいのかとか、演技をする上でそれが何に使えるかとか、自分でコントロールすることでかなり変わるっていうことがわかったんですよ。

自分が以前スタジオでのオーディションに行ったときに、緊張のせいで全然だめで。今も緊張しますけど当時はさらにひどかった。
自分は説明ゼリフが多いキャラクターを振られることが多かったんですね。でも長いセリフなのにブレスまで息がもたないぐらい緊張しちゃって息継ぎができなかったんですよ。終わった後にマネージャーに「誰もお前なんかに期待してないのに何を勝手に緊張してんの?」って言われるくらい(笑)
でもめちゃくちゃ練習して決め打ちしていくと「お前の演技つまらない」って言われる。
そのことがずーっと残っていたんです。当時はどうしようもなかったんですが。

でもそういう経験があったからこそ、マンツーマンで教えるときに生徒の気持ちがよく分かる。試してみて、良くなっていくとすごく喜ばれるし、こちらもすごく楽しくて「あぁいい仕事だなぁ」と思ってやっていました。
でも理学療法士の試験がなんとか通ったので、資格を取ると共に辞めてしまいました。

やっぱり違う…再び声の業界を目指す!

まず病院に就職することになったんですが、現実は厳しかったです。新人研修が本当に大変だった。また昇給制度を確認するとここも希望が持てなくなり…思い切って1年ほどで辞めて、特別養護老人ホームで働きました。
このときにやっと結婚しました。「理学療法士になりました」ってご両親にも挨拶しましたし、特別養護老人ホームの給料もよかったからしばらくは働いてたんですけど…なんかもどかしいというか、やっぱり違う、何かしゃべることをしたいって思い始めました。
練習日程が少ないからって朗読の舞台に応募して出演し始めたのが2017年ぐらいかな?
それで老人ホームを1年ぐらいで辞めて、また派遣社員を始めたんです。今度は営業事務を始めました。

さかし:あ、しゃべりますね今度は!

近藤:でも働きながら、どこかの事務所に入りたいと思っていたんですよ。いろんなところに自分の資料を送りました。でもことごとくダメで。

さかし:年齢もありますもんね。

近藤:その時点で42、3ぐらいだったのかな。そりゃあ扱いづらいですよね。場所によっては「もう一度養成所からお願いします」とか言われることもありました。
それでも所属先を探し続け、昨年度までお世話になっていた事務所に決まったのが45歳のときかな。
その頃に宅録環境を作りました。事務所所属前から「待ってるだけではダメだ。自分でも仕事獲得のためにやれることはやろう」と営業活動開始しました。時期としては2020年の年明け頃でしたね。

さかし:2年前ぐらい。

近藤:もともとオーディオブックを家で収録できるように環境を整えるためでもあったんですけど、子どもが生まれて手がかかる頃でもあったので結局実現しなくて。
ただその当時、収録スタジオを引越しするからと事務所の方から吸音材をいただいたんですよ。反響しまくりの部屋だったんですけど、吸音材を増加できて随分改善されたのでとてもありがたかったです。

ナレーターブランディング会議との出会い

さかし:初めてのお仕事はどういったものでしたか?

近藤:アニメーションの告知みたいな。男のキャラを全部僕がやりましたね。叫んだりとか、テンションが高いものだったんですけど、それを早朝から収録していたのを覚えています(笑)
「近所の人に怪しいって思われるからやめて~!」って奥さんに言われるところからスタート。それで3千円でしたね。
そういった感じで4、5本ぐらいやったときに、結構ハードで、まだ整音もすごく時間がかかるのに3千円はちょっと無理だなと思って辞めて。

その頃ですね、Facebookのナレーターブランディング会議に参加したのは。参加してすぐ、片岡さんが宅録初心者のナレーターに向けて「ボイスサンプルを通して音質をチェックしてみよう」という企画をしてくれたので、そこでチェックしていただいてフィードバックをいただいて、勉強させていただきましたね。

さかし:ここまででナレーションの仕事自体、あまりしていないですよね?

近藤:やってない。全然やってないです。
でもそのころは本当にもう必死だったんで!今もそうですけど。やれるものは何でもやって、ダメだったらしょうがない、とりあえず飛び込もうという感じでした。とりあえずお金を稼がなきゃ、家族を養わなきゃっていう思いがあったので。

さかし:それでナレーターブランディング会議のグループに入ったんですね。

近藤:ナレーションをやってみようと。昔向いているとも言われたし、興味もずっとあったんですけど、ここでようやく。
今はグループ内で案件募集があったりすると、自分には合わないだろうなと思ってもとりあえず送ろうと思って送りまくってますね。

さかし:最近まで事務所にいらっしゃいましたよね。

近藤:はい、2022年3月まで。経歴として書けるゲームやアニメーションに出演させていただけて本当に感謝しています。

フリーになった今は、以前より更にブランディング会議のグループにお世話になっています。そこで知り合った方から「こういうのあるんだけど」って連絡が来ることもあるんですが、今そのご縁で結婚式の司会の仕事もしています。昔から結婚式の司会に憧れていたんでありがたいです。

波はありますし、本当はナレーションだけでというのが理想ではあるんですけど、やっぱり収入源はたくさんあったほうがいいと思うので、いろんなことをやっていこうと思っています。
「困ったときは近藤に頼もう!」みたいな感じになれるのが理想ですよね。
外画の世界では「困ったら山寺宏一さん」っていうのがあったと聞いていたので、そういう存在になれるのが一番理想ですよね。なので今は、ダメでもとりあえず出す(笑)

片岡:僕にとっては結構そういう存在になってますよ、近藤さん。
男性ナレーター自体数が少なくて応募が集まりにくいっていうのもあるなかで、近藤さんが本当に毎回毎回出してくださるのがすごく助かってます。頼りにしているので、期限が短い案件でも近藤さんに直接「サンプルいただけますか?」って声をかけています。すごくありがたいです。

近藤:数そろえたときの何分の一になればいいかなって思って送っています。数がある程度あったほうが絶対片岡さんがいいだろうなって。全然数が集まらないより、2より3がいいかなとか、3より4がいいかなとか思って、それになればいいかなと思って。自分に決まらなくてもとりあえず出そうって。なので何でもやります!

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まずはやってみる、違うと感じたら別の方法を試す、をひたすら繰り返しながらここまで歩んできた近藤さん。経験豊富な上に穏やかで明るい方なので、既に皆に頼られる正に「困ったときは近藤に頼もう」と思わせてしまう面を持っているように感じられました!
後編ではボイストレーナーとしてのお話、またお子さんのお話などいろいろお聞きしていますのでお楽しみに!!by さかし

これからも「HITOCOE」ではナレーターに特化した上質な記事を連載予定です。今回の記事を気に入っていただけたら、スキやフォロー、サポート(投げ銭)を頂けると幸いです。いただいたサポートは、今後の活動費として役立たせていただきます。

【ライター】
さかし(坂下純美)

東京在住のナレーターで一児の母。都内スタジオでの収録を主に活動。1年ほど前に宅録を開始。Twitterで情報を集めながら日々勉強中。
〇HP…https://www.sakashitamasami.com/
〇Twitter…@sak1013

あこ(甘利亜矢子)
静岡在住のナレーター。司会業を中心に伊豆半島全域を走り回る日々。只今育児の為、司会業は育休中。宅録はスタートラインに立ったばかり。
〇note…https://note.com/amariayako〇Twitter…@amariayako



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