<社会人デビュー前夜>霧だらけのクネクネ道からくるっとコピーライターの道へ①

また、カツコンカツコンと背中越しを偉そうな靴音が通りすぎる。

店内でありながら遠慮もなく、
強い整髪料だかコロンだか趣味の悪い匂いを振りまいて足早に闊歩していく。

手には板状に分厚く畳まれたダンボール素材のPOPや店頭ツールを抱えて。

社員に会うたびに大仰に挨拶をするのだが、相手によって様子が違う。

マネージャークラスには慇懃に、
役職のない社員には会釈程度に、見事に使い分けている。

バイトの我々に対しては当たり前のように鷹揚な上から目線で、当然タメ口。

売り場づくりをしているボクらのそばで、
自社のツール類を組み立てはじめたかと思うと・・・

「カッター持ってる?」みたいな。

「ありますよ〜・・・」と応答しつつも出さないわたし。

「借りれる?」

「・・・あー失礼しました」

大げさにボケてたふりして刺しだす勢いで差しだす。

それに対し、特に不振そうな素振りも見せず、
自社の店頭ツールである等身大パネルやPOPなどで売り場を飾り付け、
満足そうに、また偉そうに靴音を鳴らしてバックヤードへ消えていく。

ゴミの片付け方が甘い。必然、我々がケツを拭く。チッ。

当時、わたしがバイトしていた大手流通に来る飲食料品メーカーの営業職は、こんな人種が多かった。
部下たちをつれているときは
特に尊大に振る舞っているようにさえ見えたものだ。

20代前半の2年間ほど、
わたしは地元の流通店舗の食品売り場で
ろくに大学にも行かずバイトしていた。
その2年の間に大学を中退し、フリーターデビューを果たす。
それからは、さらにシフトに入りまくって働いた。

仕事が好きだったからじゃない。
家にいられるワケがないのもあるが、
妙にこの職場の仲間が好きだったからだ。

その職場では、大学生のバイトが一番時給が高く、
パートさんや高校生とは結構な差があった。
少なからず昇給もしていたわたしとパートさんでは
相当な時給の違いがあった。

何が言いたいかというと、
「学生からフリーターへ」超スムーズに肩書きをシフトしていたわたしは、
事実上、大学生ではなくなったため、
そこでバイトを続けるにはパート契約に変更する必要があった。

しかし、そうすると当然時給はガクンと下がる。
さすがに実家にお金を入れる義務が発生しており、
駐車場代、ガソリン代など車の維持費も考えたらとてもじゃないが
大学を辞めたなんて職場に言い出せるはずがない。

そもそもそんな度胸も正義感も、常識もなかった。
まるで大学に通っているかのように振る舞うしかなかった。
今まで以上に、それこそ朝から晩まで、
毎日のようにシフトに入っていながら。

そりゃ怪しまれるのは時間の問題だった。

職場の仲間は好きだったが仕事の内容は少しも好きじゃなかった。
むしろ嫌いだった。
何が面白いのかさっぱり分からなかった。

この先バイトを辞めて社会人になるときは
絶対にこんな仕事にはつかないと誓っていた。
感情の問題だけではなく、自分には接客業は向いていないと
客観的な判断も一応していた。

それは正しいと思っていた。

なのに、じゃあ何の仕事なら向いているんだ?と問われたら
何も返せなかった。
なにひとつ浮かばなかった。
営業はイヤ、それだけは即答できたのだが。

わたしがコピーライターを目指すことになったのは、
もう少しあとの話ですが、
当時は、先の見えない時間を漂っているだけで
少しも進んでいかない自分の人生を、ただ不甲斐なく嘆いていました。

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