笑顔の葬式
それは、とっても笑顔にあふれていた場だった
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大学3年生の秋、父方の祖父が亡くなった。
がんを患っていたおじいちゃんは、転移が進み蝕まれていた身体の悲鳴を一切孫に悟らせることなく、弱い姿をほぼ見せないまま、あの世へ旅立っていった。
命日となったあの日も、わたしは部活の練習後で、
おじいちゃんの容態が悪いから帰ってくるように連絡を受けながらも、次の日の練習のことを考えながら片道2時間弱の地元への帰路についていた
おじいちゃんが入院している病院の最寄り駅につき、
迎えにきた弟と改札の前で合流してからも、久しぶりの再会への喜びを表す無邪気な兄として、いつものように屈託なく話し続けた
弟のいつもより深刻な顔に兄として本能的に反応した部分もあったのであろう
だがその時すでに
弟は死に目に立ち会ったあとだった
無駄な配慮だったのだと今では思う
気づかないフリをしていたようにも思う
病室に入って、自分だけが違う世界から呼ばれた人のように感じたあの空気は、今でも記憶の深層にこびりついている
三世代住宅だったから、産まれた時からそばに居たおじいちゃんはもう、おかえり、元気にしてたか、といつものように話すことは二度とない姿に変わってしまっていた
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大学入学と同時に実家を出て、部活と授業と、毎日の時間が足りないくらいの20歳の自分のなかには、おじいちゃんのことを考える時間なんて確かになかった
抗がん剤の治療をやめて、家に戻っていたことも、話として知ってはいたが、その先にある終わりについては考えていなかった
そんな中で向き合わされた、唐突な終わり
感情が昂るとすぐ泣くくせに、
びっくりするくらい涙も出ない状況に、
ああ、人は感情に思考が追いつかないと涙すらも出ないんだな
なんて、冷静に自分を見下ろしていた
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そして、葬式
どんな次第で進んだかどうかは覚えていない
ただ、ここまで目すら潤まなかった
渇いた私の涙腺が、一気に機能を取り戻しはじめたのは
寿司を頬張りながら、祖父と数十年以上親交のあったある人から言われた一言と、そこに広がる光景だった
「いい、式だね。みんな、おじいちゃんの話が尽きない。みんな本当に、おじいちゃんが好きだったんだよ。」
葬式は、もっと悲しいものだと思っていた
死を惜しむ、悔やむ
お悔やみ申し上げられた私は、どうしたらいいかなんて知らなかったし
通例的なこの儀式は
なんでする必要があるのだろうとすら思っていた
その場にいた人は、過去の、知らないおじいちゃん、知ってるおじいちゃん、大好きなおじいちゃんをありありと蘇らせて、そしてお別れをしていた
ああ、これが葬式なんだと、
俺にも、お別れはできるんだ、よかった、って
そんときやっと、お別れができた気がした
止まらない涙は、今までのおじいちゃんを甦らせて、一つずつお別れをしていくための涙だった
楽しかったね。たくさん心配かけたね。
学校で熱を出したときは、よく車で迎えに来てくれたのはおじいちゃんだったね。もう熱はあんま出さなくなったよ。今までありがとう。元気で頑張るね。
涙とともに、今までのおじいちゃんに別れを告げていった
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終わりは苦手だった
お別れの仕方を知らないから
でもこうやって、いろいろなことにお別れを告げていって、ちゃんと落ち込んで、そこからみんなは上がっていくんだと
そうやって人は、上を向いて、前を向いて生きていくんだと
だからこんなに、別れのあとはみんな笑顔なんだ
これが、お別れなんだね
今でも思い出すのは
ありがとうの笑顔に溢れたあの場所
みんな目を潤ませながら、おじいちゃんの話をしているあの場所
今でも終わりは苦手だけど、
お別れはできるようになったよ
しっかり落ち込んで、別れを告げて
また歩き出すんだ
もう戻ることはないけれど
その場は、その時は、確かにあったから
その日々を、しっかりと愛して、別れを告げて
また新しい日々を迎える
はじめから何もないことなんてないよ
たしかに、ある
たくさん落ち込むことは、悪いことじゃないよ
新しい世界で、また会おうね
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