monolog

自分と向き合う ひとりごと

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さいしょの 一歩 を

noteを見始めたのは、6年ほど前。 ここにきて自分もやってみようと。 なぜ、そう思ったのか。 それを紐解きながら、 厚かましくも自己紹介とさせていただきたい。 文章 うまくなりたいずっとおもっていること。 頭ん中を 整頓 して アウトプット する機会数年間、手帳に日記を綴っている。 何をみて、何を感じたのか。毎日綴っている。 「おもっとけ」と 思われるかもしれない。 その日記と並行して、noteを始めようとした。 これは、誰かに見てもらいたいわけではなく。 共感し

    • 相手の苦しみがわかる人より わかろうとする人になりたい

      自分の痛みは自分にしかわからない。 人はいろいろな失敗と挫折を繰り返す。 その失敗と挫折を繰り返して、 きっと、相手の苦しみがわかるようになるのかも。 いや。違う、かも。 所詮、相手の苦しみはわからない。 わかった気を相手に醸し出した瞬間、 相手は不愉快な気持ちすらいだくかもしれない。 大事なこと。 自分が経験した失敗と挫折から、 相手の苦しみを「わかろうとする姿勢」 これが大事だとおもう。 「その苦しみわかる」という偽善な思考より、 「その苦しみを分からせてほし

      • 理由なんてない

        理由なんてない。 しっくりくるから。 いいじゃん。 だめかなぁ。 理由なんてない。 結構多い。 理由なんてないもの。 思い返すと、 理由がないけど永く愛用しているもの。多いかも。 永く愛用するなかで、愛着という基盤ができ、 その上に理由が形成されてくる。 理由なんてない。 大事にしていきたい。 きっと、理由は後からついてくるから。 後で見つけた理由。それを大事にしたい。 では。では。

        • わくわくドキドキな気持ち

          たとえば。 何かをする時にわくわくする気持ち 誰かに会えるからドキドキする気持ち とても大切だと思うし、大切にしてきた。 (ここで言う、わくわくとドキドキの使い方とその対象は若干相違があるが、それは割愛) わたしは、この直感とでも言っていいだろう、 わくわくやドキドキする気持ちが有るか無いかが、 自分の価値基準になっている(た)、節がある。 そんな気持ちのときは、とことん没頭し、 そうでもないときは、無頓着になる。 きっと、ハマればいいのだろうが、 結構失敗もしている。

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        さいしょの 一歩 を

          心地よいこと

          「心地よいこと」 人それぞれだろう。 自分が心地よいと思う時間がどれだけあるか。 きっと、それが、自分の活力となり、 日々戦うためには必要なことだと再認識。 自分にとっての心地よいこと。 自分に無理せず自然体でいれること。 飾りっけなく。 どれだけあるだろうか。 心地よいこと。 探してみよ、っと。 では。では。

          心地よいこと

          結論が先か?背景が先か?

          大事な時こそ、 ここぞと言う時こそ、 風向きを変えたい時こそ、 相手に響く伝え方が重要になる。 今まで、結論づけて、 その後、それに至った背景や理由などを 補足説明するように心がけていた。 しかし、違う場合もあることに気付いた。 そう。 情緒的な話をする人には、 そのロジックが通用しない時がある。 くわえて、結論付けて話を組み立てることは、 無機質で無味無臭な伝わり方になってしまうらしい。 うーん。 背景9割からの結論1割より、 結論からの背景などの状況説明の方が、 結

          結論が先か?背景が先か?

          じぶんのみせかた

          今まで考えたことがなかったが、 ここに来てとても重要だと気づいた。 じぶんのみせかた。 良いも悪いも。 自分以外の人にとって自分がどう写っているか。 考えたことがなかった。 どう写っているかは無頓着のくせに、 人に認められたい、 という、承認欲求は生意気ながら備えている。 自身で捉えている癖として。 最初はハイパワーでシャカリキハッスルする。 で、体力や気力などがemptyになりそうになると、 シャカリキハッスル感はなくなる。 人はこれを、 「長続きしない」または、

          じぶんのみせかた

          品格の華

          「品格がある人」 説明ができそうで、できない。 ネット検索したわけではないが、 しっくりくる内容と出逢えたので残しておくことにする。 この記事は「品がある女性」として女性にフォーカスを当てているが、男性も同様だと思う。 「品がある人」として、心得ておきたい。 (下記は本文を抜粋) 1.誠実さ 品がある女性は、約束をきちんと守り、真摯な態度で人に接します。人や仕事に対して「誠実でいる」ことを念頭に行動するため、ビジネスでも他人からの信頼を得やすいタイプです。相手によ

          品格の華

          時には多くを語らず適度な距離を取ること

          誰しもがいるかもしれない。 どうしても「合わない人」。 わたしもいる。 若かりし頃は、 合わない、苦手と感じる相手こそ、 意図的に距離を縮めて、 その相手の懐に入って行った。 もちろん今でも間違いでなかったと思っている。 しかし、しかしだ。 50歳手前のわたしにとって、 正直そのパワーがでない。 なぜ、合わないのか。 原因を探る術(すべ)はとる。 きっと、自分にも原因があるんだと思うと同時に、 以前みたく意図的に距離を縮めようとは思わなくなっている。 なぜだろう。

          時には多くを語らず適度な距離を取ること

          紙とペン

          「紙」の歴史は長い。 遥か大昔、紀元前3000年の古代エジプト文明。 紙のはじまりは、当時ナイル川流域のカヤツリグサ科の水草パピルスの茎から皮をはぎ、茎の中心部にある髄(芯)を薄く切ったものを材料としていたらしい。 普段、当たり前のように使っている「紙」 どんなにAIが発展し、 人間の脳機能に近い学習能力を得たとしても。 どんなにパソコンが今以上に発展し、 ハイスペックなモンスターマシンになったとしても。 「紙」がなくなることはないだろう。 そう考えると、紙の価値。

          紙とペン

          連呼される「チームとして」

          「チームは大事」とか。 「チームで動く」とか。 「チームとして」とか。 タスクを進めるためには、グループではなくチームが大事。 それは、言うまでもなくわかっている。 けど。なんだろうか。 チーム、チームと連呼されると、 正直どうでもよくなる。 冷める、というか。 その根底には、 わたしは基本集団に苦手意識があるからだろうか。 集団の中に入ると、 どうしても自分の存在価値を見出せなくなり焦り出す。 脱線した。 今まで見てきた良きチームは、 日々「チームとして」を連呼

          連呼される「チームとして」

          にっちも さっちも

          どうしたらいいのだろうか。 にっちもさっちも行かない。 こんな時は、どうすればいいのだろうか。 皆目検討がつかない。 今まで、幾度か困難な状況を乗り越えてきたつもり。 だが、今回ばかりは難しい。 こんな時は、どうすればいいのだろうか。 皆目検討がつかない。 出来ることは、後ろを振り返るのではない。 出来ることは、前を向くこと。 前を向いて考える。どうすればいいかを。 って、必死に自分へ言い聞かせることしかできない。 それには、やっぱ、少しばかりエネルギーが必要。

          にっちも さっちも

          人に認められるって大事

          今まで、特に仕事の場面で。 誰かに認められたり必要とされたい感は、 さほど気にしていなかった。 自分がやらなきゃいけないことをただ進めるだけで。 けど、仕事の境遇が変わって思う。 誰かに認められたり必要とされることは重要だと。 思えば。以前は、 あなたが必要。あなたのその力が必要。 というメッセージをよく意図的に発信していた。 自分が必要とされている感。 仕事をすすめるうえで、とても大切だと。 今になって強く感じる。 いろいろな理論があるが。 仕事で成長するためには

          人に認められるって大事

          自然は心の鏡

          東山魁夷の墓所にある石碑の一句。 「自然は心の鏡」 朝夕の陽に焼ける山々の稜線。 いつも通りの風景だが、 心が落ち着いている時と荒々しい時とでは、 その風景が違って見える、というか。 落ち着きがある時ほど、 空をよく見上げていることに気づいた。 「自然は心の鏡」 解釈はちょっと違うと思うけど。 気持ちが荒々しいと感じる時こそ、 空や稜線を眺めてみたい。 では。では。

          自然は心の鏡

          必然と偶然

          タイミングは、大事だと思った日。 タイミングは、 時として、人生を変えるチカラがある。 タイミングは、 時として、人間関係を左右させるチカラがある。 このタイミングで、これが起きるか? このタイミングで、連絡してくれるか? 必然的なタイミングも大事だけど、 偶然的なタイミングも大事にしたい。 そう思った日だった。 では。では。

          必然と偶然

          さぁ。考えよう。

          さぁ。考えよう。 意気込んで考えても、 何かいい案が出る質(たち)じゃないのは、 自分でも分かっている。 結構前から。 わたしは、結構な率で、 脱力している時に、最適解っぽい案が舞い降りてくる。 緊張から解き放たれた時こそ。 脳細胞がつながりやすいのだろうか。 けど、最近はそれすらない。 まずいなぁ。 それすらないと思うのは、 最近、「さぁ。考えよう。」 という姿勢がないからだろう。 現状の苛立ちとまだ見ぬ未来への不安に苛まれ、 考えをやめることを、最近覚えてしまっ

          さぁ。考えよう。