ヤスモノ映画大社長
アガサ・クリスティーの名作ミステリ『そして誰もいなくなった』を三度にわたって映画化し、どれも見事にB級映画にした大プロデューサー、ハリー・アラン・タワーズ(Harry Alan Towers) その後「未発売映画劇場」で「ああ月旅行」「ドラゴン捜査網」と相次いでこの親父さんの作った映画に行き当たったことから、たぶん相当の本数を作ったんだろうなと思い、調べてみたわけです。結果は以下のとおり。(見づらいのはご勘弁)
まあ、想像通りというよりは、想像以上の大物でした、タワーズ親父は。
タワーズは1920年ロンドンの生まれ。父親は演劇エージェントで、彼自身も子役として舞台に上がっていたそうです。
第2次大戦中は、空軍向けラジオ番組の製作を率い、戦後すぐに自分の会社「Towers of London」を設立して、数多くのラジオ番組を制作しました。そのころのヒット番組には「海の男ホーンブロワ―」シリーズやシャーロック・ホームズのラジオドラマがあります(ホームズがジョン・ギールガット、ワトスンがラルフ・リチャードソン、モリアーティ教授にオーソン・ウェルズを配したいまから見るとずいぶんな豪華版)
オーソン・ウェルズとは結びつきが強かったのか、かの名作「第三の男」(1949年)でウェルズが演じた悪党ハリー・ライムを主役に据えたドラマ「The Adventures of Harry Lime」というヒット作があるそうです。
ラジオの成功をバックに、1950年代半ばから、タワーズは草創期のテレビに進出していくつものテレビシリーズを製作。英米両国で成功をおさめ、いよいよ劇場映画に進出します。1963年の「Death Drums Along the River」(クレジットはなし)から製作をスタートし、さまざまな種類の映画を作りました。
そのほとんど(いやすべてか)は、俗にいう「低予算映画」
その後、2009年に88歳で亡くなるまで現役で映画を作りつづけ、手がけた映画はじつに104本!(IMDBによる) そのうちの半分以上で、自ら脚本を手がけていて、そのほとんどがピーター・ウェルベック名義でクレジットされています。
ね、「イギリスのロジャー・コーマン」でしょ。
コーマン同様にその作品は多彩で、ミステリーやサスペンス系、ホラーなどから文芸作品まで、およそ何でもあります。
主なところをあげれば、前記したクリスティーのほか、怪人フー・マンチューもの、ジュール・ヴェルヌのSF、吸血鬼ドラキュラもの、オペラ座の怪人、ジキルとハイド、エドガー・アラン・ポオ原作、シャーロック・ホームズ、国際諜報員ハリー・パーマー、ミイラもの、コナン・ドイルの「ロスト・ワールド」、マカロニウェスタンからソフトコアポルノまで。そうかと思えばジャック・ロンドンの「野性の叫び」みたいな文芸ものもあり。
基本的に節操はなかったようで、「ハウリング」シリーズの第4作「ハウリング IV」だけ製作するとか、デルタフォース・シリーズは「デルタフォース3」だけだし、アメリカン忍者シリーズの第3作「レッドコブラ」とか、他人の企画に丸乗りするのもしばしば。
考えてみれば、前記した企画のほとんども、リメイクとか続編とか、キャラクター拝借もの。基本的にはオリジナリティなし。外国の映画を買い取って改造するのもやっていたようで、その多くでは自ら筆を執って英語のセリフを作っています。
それでも半世紀近くにわたって活動し続けたんですから、たぶんこの人も「100本の映画を作って1セントも損しなかった」くちなんでしょう。
で、それほどの人なのにほとんど日本で知られていない(たぶん)のは、公開された作品が少ない(104本のうち日本での劇場公開作は16本だけ、テレビ放送やソフト発売等があるのも31本のみ)せいでしょう。
ではせめてもの供養(笑)に、日本で劇場公開した作品だけでもざっくりと紹介しておきましょう。見たことある人は少ないでしょうが。
「指令7で5人消せ」(1964)Victim Five(Code 7 Victim 5) タワーズ最初期の作品。ケープタウンを舞台にした本格的なミステリ映画。
「零(ゼロ)線突破」(1964)City of Fear 巻き込まれ型のスパイスリラー。主人公はアメリカの新聞記者。
「怪人フー・マンチュー」(1964)The Face of Fu Manchu 無声映画時代にも製作されているサックス・ローマー原作の冒険スリラーをクリストファー・リー主演で再映画化。この後シリーズ化し4本の続編が作られた。
「姿なき殺人者」(1965)Ten Little Indians ご存じ『そして誰もいなくなった』第1回目のタワーズ版。ヒュー・オブライアン、シャーリー・イートン、フェビアンら俳優は揃えているが、なぜ舞台を原作の孤島からわざわざ雪山の山荘に変更したのかは不明。
「女奴隷の復讐」(1968)The Blood of Fu Manchu クリストファー・リー主演のフー・マンチュー・シリーズ第4作。続編群のうち、なぜか中途半端にここだけ公開された。邦題もすごい。クリストファー・リーもタワーズ親父とは懇意だったのか、しばしばタワーズ映画に登場し、1991年と92年のタワーズ版「新シャーロック・ホームズ」ではホームズを演じている。
「野性の叫び」(1972)The Call of the Wild ジャック・ロンドンの原作をチャールトン・ヘストン主演、ケン・アナキン監督で、わりとちゃんとした映画にした。タワーズ親父にしてはまっとうな映画だな。すぐに同じくロンドン原作の『白い牙』も映画化している(こっちは劇場未公開)
「そして誰もいなくなった」(1974)Ein Unbekannter rechnet ab タワーズ版第2弾。西ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどの外国資本を導入したところがタワーズ親父らしい。なぜか舞台は中東の砂漠に変更。
「プレイボーイ・コレクション PART I フランシス/PART II ビーナス」(1984)Christina y la reconversión sexual/Black Venus プレイボーイ誌創刊30周年記念のエロティック作品。欧米では別々に売られた作品を一本に束ねたものらしい。
「ジキルとハイド」(1988)Edge of Sanity あの「ジキルとハイド」も手がけているのだ。脚色を自分でやらなかったのが良かったのか悪かったのか、切り裂きジャックと絡めたストーリーはやや興味を惹く。アンソニー・パーキンス主演。
「レッドコブラ」(1990)American Ninja 3: Blood Hunt 世界的ブームを巻き起こしたショー・コスギの「ニンジャ」シリーズを後追いした「アメリカン忍者」シリーズの第3作。もともとのシリーズを作ったのも、イスラエルのヤスモノ王ことメナヘム・ゴラン。
「デス・リバー/失なわれた帝国」(1989)River of Death 原作はアリステア・マクリーンの『死の激流』 南米のアマゾンを舞台にした冒険スリラー。
「アガサ・クリスティー/サファリ殺人事件」(1989)Ten Little Indians 『そして誰もいなくなった』第3弾。性懲りもなく舞台はアフリカの密林に変更されているし、邦題もひどいね。
「オペラ座の怪人」(1989)The Phantom of the Opera ガストン・ルルーの原作の何度目かの映画化。主演に「エルム街の悪夢」で人気の出たロバート・イングランドを持ってきたのがミソ。この時期の作品では、なぜか脚本をほとんど担当していないのは、どうしたわけだタワーズ親父。
「エドガー・アラン・ポー/早すぎた埋葬」(1989)Buried Alive 「ジキルとハイド」の布陣を再起用して、今度はポオの原作を映画化。舞台は現代に置き換えられた。これも脚本はタワーズではない。
「デルタフォース3」(1991)Delta Force 3: The Killing Game へっぽこ映画マニアには妙な人気のあるシリーズの第3作。あ、前の2作はやっぱり「アメリカン忍者」のメナヘム・ゴランだ。ヤスモノ映画仲間なのかな(笑)
これだけなのです。テレビ放送、ソフト発売のものは、メンドクサイのでご自分でお調べください(笑)
日本での知名度の低さは、この公開率の低さと、それ以上にタワーズ親父の仕事のほとんどが、プロデューサー業なせいもあるでしょう。
前に紹介した香港の「ヤスモノ映画大先生」バリー・ウォン(王晶)や、帝王ロジャー・コーマンが、日本の映画ファンにも、まあ知られているのは、彼らの膨大なフィルモグラフィのなかに、自ら監督した作品がいくつもあるからでしょう。彼らは日本では、まず映画監督として認知され、そこから知名度を上げていったのです。
ところがこのタワーズ親父は、これだけの作品を手がけながら、自らメガフォンをとった映画は一本もないのです。
日本の映画ファンや評論家は、どうしても映画の作り手としては「監督」を重視し過ぎる傾向があるようです。だからこうした偉人が見落とされがちなんですね。
前にも書いたように、映画(に限らず)のジャンルは、底辺ほどデカいもの。底辺により近い、こうした映画人を見ずして、映画は語れないと思いますよ(というほど大したもんじゃないけどね)
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