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発掘お宝チケット

先日わが家で発掘された映画の特別鑑賞券を披露いたしましたが、同時にこんなものも発見されました。

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大相撲のチケット半券ですね。国技館(蔵前です)の二階席。

昭和48年というから1973年の初場所千秋楽。これは思い出深いです。

この日、当時大関だった琴桜が2場所連続の優勝を果たし、横綱昇進を決めたのです。当日は雪が降り出して、国技館を出たあと、いっしょに行った祖父が蔵前警察署の前の歩道で雪で滑って物の見事に転倒したのをよく覚えています。

琴桜って、いま期待の若手である琴の若の祖父ですね。いやはや時代を感じますねえ。

大相撲のはこれしかなかったんですが、ほかにプロレスのチケット半券がごそっと出てきました。

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これはたぶん1983年のもの。新日本プロレスの新春黄金シリーズですね。メンバーがやたらに懐かしいですね。中央でアントニオ猪木と並んでいるタイガーマスクは初代の佐山サトルです。ブラックタイガーも初代で正体はマーク・ロッコ。アニマル浜口もこのころはバリバリの武闘派。

このうちディック・マードック、マサ斎藤、ラッシャー木村はすでに故人。右上のジェシー・ベンチュラはこのあとアメリカで人気が出て映画にも出たりして、ジョージア州知事にまでなりましたね。

なんで会場が戸田市スポーツセンターかというと、当時私は戸田市にあった会社の倉庫で勤務していて、会社の仲間といっしょに見にいったからです。ノーTVの地方大会、メインは6人タッグで、ショボく終わった記憶があります。

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これは歴史的価値がありそうなジャパン女子のチケット。旗揚げ2シリーズ目ですから1986年ですかね。中央の4人が当時のエース格。ジャッキー佐藤はすでに故人、ナンシー久美は引退、風間ルミはまだ現役なのかな。神取しのぶ(忍)はその後ミスター女子プロレスから参議院議員にまで成りあがりました。

当時の女子プロレスは全日本女子プロレスの独占市場だったのですが、そこにこのジャパン女子が旗揚げして殴りこんだわけです。これが現在の女子プロ多団体への導火線になったんですね。ジャパン女子は、1992年に解散しJWPLLPWに分裂、その後さらに細分化しています。

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こちらは全日本プロレスの1987年の日本武道館大会のチケット。右端の輪島大士が総帥のジャイアント馬場さんよりも大きいのが当時を感じさせます。ロード・ウォリアーズが看板外人だったころですね。

でも、最大のお宝はこちらですね。

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1983年8月31日に蔵前国技館で開催された、テリー・ファンク引退記念大試合のチケットです。当時人気絶頂のテリーが引退するというので、全日本プロレスが総力を結集したビッグマッチ。そうそうたるメンバーが参戦しています。

私はこの年の春に入社したばかりのペイペイでしたが、こればかりは見逃せないと、初年度は3日しかなかった有給休暇を使って観戦に駆けつけました。メインの引退試合を終えたテリーがスポットライトを浴びて「Forever!」を連呼した感動の光景は忘れられません。

その後1年足らずでテリーが復帰し、37年後のいまでも現役っぽいのは言わないお約束(笑)

最後は、謎

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長州力を中心に旗揚げしたジャパンプロレスの独自興行(ほとんど全日本プロレスのスピンオフだった)に何度か足を運んだのは間違いありませんが、このチケットは相模原市立総合体育館のもの。

なんでそんな場所にまで行ったのか、どんなカードだったのか、さっぱり記憶にございません。

ジャパンプロレスは1984年秋から1987年春までしか稼働しなかったので、85年か86年の9月20日なのかな(調べたら1986年9月20日が土曜なのでその年でしょう)

謎が深まるのはチケットに「タイガーマスク猛虎7番勝負」の文字があること。三沢光晴の2代目タイガーマスクが行なった猛虎7番勝負は、1986年10月20日に行なわれた谷津嘉章戦(岡崎市体育館)からのはず。この日に行なわれたはずはないんですが、うーん、謎だ。

ま、「お宝」にはなりようもない紙きれですが、見ただけでこれだけいろいろ思い出せるのですから、やはり捨てられませんねぇ(笑)

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