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500円映画劇場「イグジスツ 遭遇」

ヤスモノ映画の世界では定番のUMAもの。その中でもこれまたおなじみのビッグフット・ネタです。これまでも本欄で何度かあつかってきたネタですが、今回の作品は決定版のムードを漂わせていますね。

東テキサスの森の中へ遊びにきた男女5人の若者たち。途中の夜道で何かに衝突したことから悪夢が始まる。広大な森のどこかから聞こえてくる謎めいた咆哮、何ものかが闇にまぎれて接近してくる。人里はるかに離れた森のなか、彼らは一人また一人と狩られてゆく……

ビッグフットについては、以前の記事にも書いたように、非常に興味も思い入れも強いので、ビッグフット映画にはどうしても見方が厳しくなるのはご理解ください。

メジャー感ある広告

本作がビッグフット映画の本命感をまとっているのは、いうまでもなく、この作品をリードしたのが、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)の共同監督・共同脚本で名をあげたエドゥアルド・サンチェスだから。

超低予算で作られながら、世界中で大ヒットし、その後のホラー映画界にPOVという手法を一気に定着させた「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」 この歴史的作品をダニエル・マイリックとともに作り上げたのがサンチェスなのです。いわばPOV手法を広めた張本人

というわけで、この「500円映画劇場」では再三登場し、私を苦しめてくれたPOV映画が、またしてもここで牙を剝いてきたのです。オレ、嫌いなんだよね、POV

そもそもPOVとは、「point of view(ポイント・オブ・ビュー)」の略。映画の世界では「一人称視点」で撮影する「主観ショット」といった意味に使われます。カメラの視線と登場人物の視線が一致するわけで、登場人物の視界を観客がそのまま味わうことで、あたかも現場にいるような臨場感あふれる映像効果が得られます。

この手法自体は、部分的には普通に使われますが、それを全編にわたって、ほぼそれだけで撮り上げるのがPOV映画です。

映画の世界では芸術性の高い、ココロザシのある映画で使われてきましたが、昔からイタリア製ホラー映画などでも使われていました。それが「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の成功によって、一気にホラー映画の世界に定着してしまいました。

というか、POVには製作費を安くあげられるという側面があるので、ヤスモノ映画の世界で、とくに多く採用されるようになったというのが実際のところでしょうが。

再三書いているように、私はこの手法が嫌いです。POVは、基本的に見にくい画面になるからです。専門のカメラマンが撮影したものではなく(そう設定しているだけですが)、シロウトの登場人物がテキトーに撮った映像の積み重ねだから当然なんですが。

手ぶれ、ピンボケ、音声の途切れ、撮りそこねなどが頻発します。それが臨場感を高める効果ってことになってます。でも見にくいよね、やっぱり。

そのPOV流行のきっかけを作ったサンチェスが監督とあれば、それはもうPOV手法を使っていないわけがないでしょう。見る前から嫌な予感を抱きつつ見始めました。ところがところが!

もちろんそれなりの見にくい部分もあるにはあるのですが、この「イグジスツ 遭遇」ではそんなに気になりませんでした。意外なことに、見ていてPOVであることを忘れたりしていましたから。

さすがは先駆者・サンチェス監督、POV手法に精通しているんでしょうね。随所にテクニックを織り込んでくれています。

まずは、主人公ともいえる青年を、SNSの動画投稿者に設定していること。プロのカメラマンでこそないけれど、それなりに撮影技術に長けているし、カメラもいいのを使っている。なによりも、その設定なので、POVでよくあるカメラのぶれやピンボケが抑えられていても、そこに説得力があるのです。これだけでも、ずいぶん見やすい画面になってます。

そして、ダメPOVでよく見られる、カメラを据えっぱなしでの長回しが、かなり抑えられています。ちょこちょこと編集され、カメラ位置がスムーズに変更され、自然に「映画」らしく見られるのです。もっとも、これは両刃の剣で、POVらしい緊張感は失われていますが。そういえば、主観カメラでないショットも散見していました。

どうやらサンチェス監督、全面的POV手法にこだわらずに作ったようですね。それはそれで良い目にでたようですね。

基本形とはいえ、悪くない広告

というわけで、POVダイキライの私をなんとか説得した(?)「イグジスツ 遭遇」ですが、では面白かったかというと、じつはPOV以前の問題があった! なのでこの「500円映画劇場」入りとなった次第なのであります。

孤立した環境で、正体のわからない脅威にさらされる。これはホラーサスペンスの基本構造のひとつなわけなんですが、「イグジスツ 遭遇」も基本中の基本なこの構造で作られています。

……作られているんですが、そこから一歩も出ていないんです。というか、まったく上積みがない。まるで基本形だけ

前にも書いたように、ビッグフットを題材にした映画は、これまでにも大量に作られています。もはや、まったく珍しくない。

なのに、なんの工夫もなく、ただビッグフットが出てくるだけの映画をいまさら見せられてもねえ。

ついでにいえば、孤立する犠牲者たちにしても、これといった個性や特徴が与えられているわけでもありません。言ってみれば、ごくフツーの若者ってだけ。おいおい、もうちょっとなんか工夫があるべきじゃない?

彼らが遭遇する危機も、5人の集団から離れて孤立するやつが順に一人ずつ殺されるだけ。ああこう来るだろうなと思いながら見ていると、まったくその予想通りに進みます。これじゃ面白くないでしょ。

そして致命的なのは、最後に登場するビッグフットの造形です。たぶん「ビッグフットの絵を描け」と言われたら、十人中の十人までが描くような、毛むくじゃらの大男。まったく予想通りのビッグフット。そこにはなんの意外性もありません。これじゃダメだろ。

サンチェス監督、POVを上手く使いこなすことに腐心して、その課題はなんとかクリアしたものの、肝心のビッグフット映画としての創意工夫を忘れてしまったようですね。

アマゾンプライムでも見られます

世界的なヒット作を手がけ、それなり以上の評価を得ていた監督が作っただけに、予算的にも技術的にも恵まれた環境で製作された映画であることはうかがえます。ちゃんとした映画なんですよ、ホントは。

なのに、残念ながら映画の出来栄えは500円映画クラスなんだから、罪は深いですよね。

2014年製作。アメリカはじめほとんどの国では劇場未公開。日本では2015年開催の映画祭「カリテ・ファンタスティック・シネマコレクション」で上映されたのみで、すぐにDVD発売でした。無理もないか

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