外出自粛映画野郎「サブウェイ・パニック」
「サブウェイ・パニック」は1974年にアメリカで公開され、年を越した1975年の2月に日本で公開されました。俗に「正月第2弾」といわれる形態。
原題「ペラム123の乗っ取り(The Taking of Pelham One Two Three)」がなんでこんな邦題になったかというと、この前の正月映画で「大地震」「エアポート’75」が公開されてパニック映画ブームが起きそうだったから。
これはブルーレイ版のジャケットですが、このイラストは初公開時の日本製ポスターのイラストを使用しています。ね、パニック映画っぽいでしょ。
同時期に公開されたロジャー・ムーア主演のサスペンス映画「ゴールド」も鉱山の落盤がクライマックスだったせいでパニック映画っぽく宣伝されたもんです。もちろんパニック映画ブームはちゃんと到来し、翌月には「ジャガーノート」(ほんとは時限爆弾サスペンス)が続き、夏には本命の「タワーリング・インフェルノ」がブームの真打ちとして登場したんですね。
そんなことはともかく、その素晴らしい出来栄えに魅了された私にとって、いまでもこの映画はオールタイムベストの最上位近辺に位置する傑作なのです。
この映画の最大の魅力は、いっさいのムダがないこと。
映画がはじまってメインタイトルが終わるとすぐに事件が起きる。開始後5分くらいで、ペラム123は乗っ取られるのです。素早い!
そこから事件解決まで、1時間44分のあいだ、映画の視点は事件そのものから一瞬たりとも離れません。余分なドラマも、過剰な描写も、無駄なセリフもまったくなし。
ずいぶん数多くの映画を観てきましたが、ここまでストイックに刈り込み絞り込まれた作品をほかに知りません。
この映画が「地下鉄を乗っ取る」という一点に集約されるのは間違いのないことだし、そのアイデアが原作小説(1973年)のものなのは間違いないです。この手柄は原作者であるジョン・ゴーディのものですね。
でも、原作小説を読んでみると、アチラにはけっこういろいろな要素が盛りこまれています。犯人たちのキャラクターや、人質になる乗客一人一人の背景などなど。事件解決にあたる警察の面々も相当に描きこまれています。映画では大して活躍しない登場人物にもけっこうなページが割かれていたり(人質の一人になってしまう私服刑事の話とか)
映画と小説はメディアが違うので、そのことをムダとはいいません。実際、原作『サブウェイ・パニック』(新訳刊行時に『サブウェイ123』に改題)は非常に面白い小説であります。
でも、この小説を映画化するにあたって大ナタを振るい、こうした細部を全部削ぎ落とした脚色の腕前は、素晴らしいとしか言いようがありません。
脚本担当はピーター・ストーン。あのミステリ映画の名作「シャレード」(1963年)の原案・脚本を手がけた御仁です。ほかにもミステリ映画の佳作をいくつも書いています。ああ、なるほど、納得ですね。
もちろん削ぎ落とすばかりではなく、たとえば原作では複数の警察官が乗っ取り犯と対峙するのを、原作ではたった一カ所しか登場しない地下鉄公安のガーヴァー警部補(ウォルター・マッソ―)に集約したりと、見事なテクニックも見せています。
映画へのアダプテーションとはこうやるんだという見本のようなシナリオなんですよ。
むろん、そのシナリオを活かしきった、ジョセフ・サージェント監督の演出も秀逸なのはいうまでもありませんし、さらにはクセモノぞろいの俳優陣の名演、デヴィッド・シャイアの絶妙の音楽などなど、要するにすべての要素が見事に揃って、この名作が出来上がっているのですが、そのすべての基礎を築いたシナリオはもっと評価されるべきでしょう。
「サブウェイ・パニック」は2度にわたって再映画化されています。
最初の1998年版はTVムービーですが、オリジナルのピーター・ストーンのシナリオをほぼ踏襲しています(脚本担当はエイプリル・スミス) そのことが、オリジナルの優秀さを証明しているのではないかしら。まあ、演出や演技の差が映画の出来栄えには如実にあらわれていましたが(日本放送時の邦題は「サブウェイ・パニック/戦慄の地下鉄ジャック」ビデオ邦題は「サブウェイ・パニック1:23PM」)
そして、すべてをリニューアルしようとした2009年版の「サブウェイ123/激突」が、そのことをネガティヴに証明してしまっていましたね(むろん個人の見解です)
『サブウェイ・パニック』/ジョン・ゴーディ著/村上博基・訳/早川書房(単行本、文庫)
『サブウェイ123 激突』(上記の新訳)ジョン・ゴーディ著/伏見威蕃・訳/小学館文庫
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