見出し画像

ブドウ畑で働いているけど葡萄という漢字は書けません。

訳の分からないタイトルで始まったがぶどう畑の仕事の話である。
前回は啓蒙思想のような話を偉そうに書いたが、今回は今の僕を取り巻く環境の話を書く。
仕事は基本的にというか完全に外で行うアウトドアだ。
人間が持つ印象というのは面白いものでアウトドアなどという言葉を使うとオシャレなイメージを思い浮かべるが、なんてことはない『野外活動』、もっと野暮ったく言えば『野良仕事』だ。
若い頃からいろいろな仕事をしてきたが、外での仕事が多かった。
土方、足場組立、モノレール工、畑仕事、スキー場での仕事、ハイキングの仕事も外だ。
仕事によっては雨の中で働くものもあったが、今の仕事は雨はお休みなので気は楽だ。
雨の中の作業は効率は下がるわ滑るわ疲れるわであまり良いことはない。
それでも僕は基本的に外での仕事が好きなのだと思う。
暑い寒いはあるけれど、地球の上で生きている、という感覚を感じられるのだ。

さて夏の盛りを過ぎて葡萄はたわわに実り、気の早いものはぼちぼちと色づき始めた。
仕事は単純作業が多く、作業自体が楽しいというわけではない。
そして作業は主に病気にならない対策である。
逆を返して言えば葡萄はそれぐらい弱い植物ということだ。
放っておけば間違いなく病気になる。
病気になれば収穫をしても旨いワインができない。
不味いワインは売れない。
売れなければやっている意味がない。
農業というものは、農作物に値段がついた瞬間に商業となる。
これは農業に限った話でなく、漁業だろうが林業だろうが製造業だろうが全て同じだ。
現代資本主義経済で回っている社会はそういう構造になっている。
この是非を問う気はさらさらない。
今の自分の立ち位置は、この業界のヒエラルキー構造では最下層であり、そこから眺めるワイン業界というのも興味深い。

葡萄の実が日増しに大きくなり、実の周りの葉っぱを延々とむしる作業をする。
単純作業なので何かしら聴きながらする。
歴史の話が多いが、最近は資本主義の話も聞いたし、哲学的な話も聞く。
そういった話を統合し人文学というようだが、この歳でも学ぶ喜びがあるのが嬉しい。
作業をひと段落して、青空を仰ぎ丘の上から景色を一望する。
周りでは羊がノンビリと草を食み、平和そのものの世界だ。
なだらかな丘が延々と続き、その中を貨物列車がゆっくり通過していく様は、まるでジオラマの世界に飛び込んだようだ。
国立公園のような自然そのもののエネルギーの高さは無いが、牧歌的な風景は心を和ませる。
今回はっきりと気づいたのだが、僕は地形を見るのが好きなようだ。
手前の川はあの山の向こうから流れてきて、ここでべつの小さな谷間と合流して、あっちの丘の端を周り太平洋に流れていくんだなあ。
この平野部は、あの川が長い時間をかけて砂を運んでできたんだろうなあ。
高台に立ち景色を眺め、そんな事を考えるのが好きなのだ。

自分の娘は二十歳になるが、今は大学の夏休みで帰省しており、週に何日かは一緒に働いた。
年頃の娘が、親父を毛嫌いもせず一緒に仕事にいく時間は嬉しくもあった。
「暑い〜』とか「花粉症がひどい〜」などと多少の文句は言うものの、与えられた仕事を手を抜かずきっちりやる様を見て、親として安心である。
暑い日は帰りにアイスを食べながら帰ったり、帰り道の途中でブルーベリー摘みをしたり。
親元を離れ自炊しながら大学生活を送る娘とは、ここ数年は距離を感じていたが、コロナ騒動の後で近しいものとなった。
そして一緒に仕事をすると今まで見えなかった娘の一面も見えたりもした。
もしもこれがずーっと一緒に働くなどとなると、それはそれで軋轢も生まれるだろうが、馴染みの無い環境下で期間限定での関係は良好なものだった。
仕事の最終日は四輪バギーに乗って敷地内をドライブ。
街で生活をしていたら四輪バギーなど乗る機会は無い。
小さな体験だが、普段と違う事をするのは変化という意味で大切だ。
ぶどう畑で働く事自体、娘にとって非日常であり、若い時の体験は全てが財産である。
来年は日本に行って、日本のスキー場で働いてみたいと言っている。
こんなご時世なので、日本に行けるかどうかも分からない。
古今東西、何か大きな事が起こった時に、割りを食うのは女子供だ。
本当に今の子供達は可哀想だと思う。
なんとかならんものかねぇ。

毎日、葡萄を眺めていると明らかに変化がある。
葉っぱは下の方から茶色っぽくなり、実は少しづつ色づき始めた。
色の濃い実を食べるとほんのり甘い味がする。
ワイナリーの周りには様々な果物の樹も植えてある。
イチジク、カリン、りんご、プラム、黒スグリなどなど。
プラムはすでに食べ頃でちょっと触るとボロボロと落ちる。
りんごも日の当たる所から赤く色づき、鳥が喜んでついばんでいる。
季節は間違いなく移り変わり、収穫の秋へ近づいている。
人間社会の事なぞ知らん、と言わんばかりに植物たちは生きている。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?