【連載小説】2-Gのフラミンゴ⑧【最終話】

 傘なんて、ない。
 涙を防ぐ傘なんて。
「スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・」
 と川島が壊れたように繰り返す。
 私は静かに泣きながら教室の中をぐるりと見渡してみた。どこかにカメラがある筈だった。必ずある筈だった。だってそうじゃん、文部省じゃん。
 今、教師が間違ったことをしている。されている生徒は俯いて顔を真っ赤にして屈辱に耐えながら今にも貧血か過呼吸になりそうだ。おかしい。こんなことがあっていいわけがない。だから文部省でしょ。元締めが助けるべきでしょ。でもこんなことが起きていると言うことが分からなければさすがの文部省だって動けない。それじゃやばいよね。いじめ抜かれて死んでからやっと動くとか、それじゃ遅すぎるでしょ。ということは、カメラ。カメラで、ちゃんと文部省が様子を見ていてくれる筈。どこだろうカメラ。文部省カメラどこどこどこどこどこ。
 なかった。
 一台もカメラはなく、今文部省の人は、誰もこの教室で一人の幸の薄い女の子が、鬱憤のはけ口として、正式な教員免許を持っている筈の教師から名前を不当に連呼され、真っ赤になって俯いていることを、知らない。知らないのなら、助けられない。誰も、助けてくれない。
 教師に反抗できる筈の民子もケンタウロスも動かない。無論私も動かない。だから一人で、死んでくれ。
 吐きそうだ。私は動けない。だってこんな刈り上げだし、色も白くて、線も細くて、頭の中では色々考えているけど、いざ口にしようとしたらしどろもどろになっちゃいそうだし、微笑はブラフだし、目立ったことをして教師に目を付けられるのも不良に目を付けられるのも嫌だから。スズキさんは好みのタイプの女子ではないから。私も結構赤くなるタイプで赤くなるのが恥ずかしいのか恥ずかしいから赤くなるのか分からない域にまで達しているから。無力、だから。
 とこの時、このように言い訳を続ける自我を冷静に観察していたメタ自我としては次のような疑問を抱いていた。
【所で俺は何故、さっきから泣いているのだろうか。】
 と。
【自分の無力さに、私は泣いている・・・・・・。違う、・・・・・・、無力であることを理由に手を差し伸べることすらしない自分に、泣いている・・・・・・。筋トレとか座禅しまくれば力はいずれ身に宿るかも知れない。けれども今日、無力であることを言い訳に手を差し伸べる素振りすらしなかったら、どんなに力を宿したところで、意味ないんじゃないだろうか。さっきからずっと人にばかり色々言って批難して助けを求めて、結局自分では何もしようとしていない自分というものが、悲しいのだ。】
 ここでメタ自我は、自我に対し、極めて素朴に問うたのである。
【そんな世界、要る?】
 そんな世界って、・・・・・・。
【ひとりぼっちで、耳まで真っ赤になって俯いている女の子を、助けようとしなかった沼越弘樹が呼吸をしている、そんな世界】
「スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・」 
「スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・」  
「スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・。スズキ・・・・・・」 
 要らなかった。要らない、と思ったその要らなさがサイヤ人の血流に乗り卑弥呼の遺伝子と手足を四点に携え全身を巡った。
「レジスタンス」
 と私は震える喉で呟いた。周りより遅かった変声期が明けている事にこの時初めて気が付いた。レジスタンス、低音で呻かれたその言葉の意味を私は知らなかった。知らぬまま、二度、呟いた。近くの生徒が二、三振り向いたとき、そこには金色・・・・・・【こんじき】と読むべき金色一色に染め抜かれた髪の私の姿があった。
 私は敢えて静かな所作で、言葉の真の意味において静かな所作で、立ち上がった。
 刈り上げ部分を含めて、髪の毛が全体的に伸びて、炎のように逆立っていた。あり得ないくらい力が漲って、何でも滅ぼせるという感触に私は支配されていた、否、この時私が全てを支配していた、世界は、私のためにあり金色は、【こんじき】と読――
 ――その時、
「お前の授業がつまんねーからだよ!」
 という声が左斜め前から発せられた。 
 ……?
 見れば、民子だ。皆が民子に注目する中、突然金髪になりごうごうと何やらオーラのようなものをまとっている私に気付いた数名の生徒だけが、私と民子、どちらに注目すれば良いのか迷っていた。何より私自身が自分の取るべき振る舞いについて分かりかねていた。
 しかし民子には迷いがない。
「お前マジでやってること気持ちわりーから」
 と言いながら、民子はスズキさんの席へずんずん歩いて行き、その際に通り道の机にガンガン当たったりもしながら、今それは何の問題もなく、民子、スズキさんの手を取って、
「外行こう。こんな授業受けることないよ」
 民子に手を掴まれた瞬間に、スズキさんの目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。真壁さんがそんなスズキさんにハンカチを渡し、スズキさんが嗚咽して自分で涙を拭けないものだから、民子が代わりに拭いてやりながら、教室を出て行く。赤特攻服の健太君が、
「ひゃーっはーーーーー!」
 奇声を上げながら教卓にドロップキック、「先生の車、白のカローラだよね」と謎の確認をして、真っ先に教室を出て行く。健太君の取り巻きが五名それに続き、それから民子の取り巻きがきっかり六名教室を出て行く。何となく空気を読んだ他の生徒らも結局皆、出て行った。
 教室には川島と金色(こんじき)だけが残っていた。今更どうでもいいのだが、目は、エメラルド・グリーン。何故さっきから鏡もないのに自己の髪の様子や目の色合いを言い得るのかと言うと、これを観察しているのは自我と完全に分離して浮遊するメタ自我だから。
 川島がため息をつきながら、散らばったプリントを拾い集める。それを眺めながら私はもう一度だけ、
「レジスタンス」
 と呟いてみた。呟きながら、民子はやっぱりいざという時には友達を助ける子だったのだ、好きかも知れない、と思った。
 やがてプリントを集め終わった川島は私の方を見て、
「お前、その髪、どうした」
 と聞いた。
「・・・・・・地毛・・・・・・です・・・・・・だよ!」
 と私は真実を答えた。
「だろうよ。お前、行かなくていいのか」
「あ、いや、、・・・・・・、」
「いいよ、行けよ」
「あ、はい、」

 その後やり場のないレジスタンスの収拾のしかたも、金色の戻し方も分からぬまま、私は中学2年の後半を過ごし、結局3月終業式の日に告白した。それは、
「好きだったんだけど……、知ってた?」
 という過去形の、しかも相手が知っていたかどうかを確認するという風変わりな告白だった。民子は、
「知らなかった。……なんていうか、沼越とは世界観が近いと思うから、何ていうか、友達で」
 という、泥みたいに煮え切らないふられ方をした拍子に、髪は黒に戻り目も薄茶色に戻ったがこの中学二年の一連を通して消化され切れなかったレジスタンスの火種だけはその後も長い間残り続け、私の中、今日も矛先を求めてくすぶっている。

 大人になって、民子は熱帯の途上国で井戸か学校を作る半分ボランティアのような仕事をしているらしいというような噂を一度だけ聞いた。真偽の程は分からない。興味もない。
 
 おわり

     ※※※あとがき※※※
 2−Gのフラミンゴを読んで頂き、ありがとうございました。煮え切らなさ、不完全燃焼感、これを踏み越えていくことが、今後の沼越の、そして卑太郎の課題なのだろうと思います。
 ブルドーザーみたいに。
 
 (今後は数週、140字小説まとめ記事を更新した後、またしばらく掌編・短編小説の投稿をしていきたいと思います。)

 最後に、――最終話においてスーパーサイヤ人のイメージをお借りしました。既に2週ほど前からドラゴンボール展開にすると小説内において伏線、というよりは明確に宣言していたこともあり、また、小説の主人公としての設定としてのみではなく、卑太郎本人としても鳥山作品が大好きでした。今も。きっとこの先も。
 敬意を持って、この形を取らせて頂きました。
 鳥山明先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

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