【小説】Lonely葉奈with学10

 
 茶番である。
 
 と学には分かっていた。
 犬なんて本気で殺すわけがないし、天井を突き破るつもりもない、脚が細っただの腹が太った顔が太っただのも嘘で事実は全部太っていた。とはいえ百貫デブになったわけではなく、垂れこもる前に比べて一回りぽちゃっとしたに過ぎないが少なくとも脚が萎え細ってというような話は「全部太ってるだろう」と言わせたいがための特有の挑発であり、返信がないことを責めるのも本気ではなく、メンタルに支障が出始めているよヤバいよという女を演じて遊んでいるのだ。学をおちょくって根比べをしかけているのだ。今更返信などは興醒めもいい所。しかしじゃあ返信しないことが興醒めでないかと言えばそれはそれで興醒めなのではあって、もっと言えばそもそも醒める程の興なんてものがない。いやいやこの長期の自粛生活の中にほんの少しでも面白いことをと思って葉奈がやっていることを醒める程の興もないと切り捨てるのは学とて心苦しく、そう言うのであれば学の方で興の乗るような気の利いた返信をすぱんとすれば良いのにそれができないのは学の方の力不足で葉奈を責めるべきではないとも思う。それでちょっと何かいい返信はないものかと考えてはみたがやっぱり思い浮かばない。実際、学もそろそろ精神が鈍磨していた。身体の深いところが疲れていた。物事に筋道つけて考えられなくなっている感じ。まぶたに鉛の紐が混入されていて、思うように開かない感じ。そもそもが無謀な戦いだった。豪邸ならまだしも引きこもるには狭すぎるし犬の鳴きすぎる部屋だった。いびきの聞こえる部屋だった、よく耐えた、ここまでよくやったものだ、とてもかなわない。かないません。どうしようもない。どうしたいもない。
2021年4月30日
『お願い! なんか無視されてる気分になって来てる!』簡単に鬱などと言って済ましてしまうのもどうかと思うが確かにその傾向にはあるのだろう、俺はこんなふぬけになっているが、葉奈は頑張って面白メールを送ってくれてるわけだよね、それを興がないなんてね。違うんだ。興がないわけがないのだ、あるのに俺が感じられていないだけなんだ、葉奈は才能の塊、才能のジャングル、受け取れてない俺の問題、というような気持ちを送れば許されるだろうか? 
 いや、だめだと学は思う。400通、無視して来たのだ。今更そんなとってつけたようなおだて方では収まらない。それで、ふざけるしかないと決め、更に精神的に追い詰められている男という態で行こうとして結局次のように返信した。
『心中、ということの意味が今少し分かるけど、俺と葉奈にはとうてい当てはまらない、信じているから。万一俺が死ぬ理由があったとして死んで後、葉奈は俺を裏切らないから生きてくれと切に感じられる。生きていて欲しい。生きて夢、叶えて欲しい。生きている内は裏切るかも知れないと思うから心中するんだね、裏切れないようにするために二人して死んじゃうんだろうね、そんな程度の絆しかないから相手が忘れてしまうことを恐れてもろともに死んで行くんだね、生きている内は忘れてしまうから、忘れられてしまうことが悔しいので相手を殺すんだね、そして自分が忘れてしまうことが悔しいから自分を殺すんだね。でも葉奈は忘れてもいいよ。好きになっていい、いい人でも悪い人でもいいよ、もし守護霊になれたらその人ごと守って上げよう。逆に誰のことも好きにならなくてもいいよ、葉奈は葉奈の人生を好きに謳歌して欲しいと今切に々々感じられる。謳歌なんてしなくたっていい。生きていてくれるだけで、違う、くれるじゃない、生きてるだけでいい、違う、死んでくれても、違う、くれてもじゃない、死んでもいい、葉奈がどんな風に生きてもどんな風に死んでも葉奈の全部を応援する、応えなくていい、聞こえなくていい、見てる、思ってる、だから心中なんて俺らにはあり得ないよね。でもそういう全部を踏まえた上で、心中ということが少しだけ、今分かるんだよね。』

     ※

お? とうとう返信して来たぞどれどれと読み進める内に腹から脇のあたりにかけて泡の浮いてくる感覚に見舞われて、なるほどキモ過ぎる、病んだ女よりも更に病んだ男とでもいうことか、やっていやがると葉奈は身体を掻いて、それにしても心中だの誰かを好きになるだのあまりにも突拍子なさ過ぎていかれ方がわざとらしいぞとにやついていたが、ふと、まさかこれは白川のことを言っているのだろうかという思いが胸中によぎった。実はこの数日前、メールと電話で何度か葉奈と白川との間にやり取りがあった。去年四月に白川の主催する劇団の公演が中止になった時以来の、約一年ぶりの連絡だった。最初はメールで、この夏に行う公演に都合が合うようであればまた出演しないか、という打診であったが葉奈としてはもう芝居の方はほとんどやる気がなくなっていたのと、自粛中であるということと、夏と言えばちょうど司法書士の試験と重なってしまうというのもあって、パスだな、と即決、白川には、芝居はやる気がなくなったとか自粛中とかいう理由は省いて、その時期には別の予定があるのでと丁重に断りのメールを返したところ、残念だが仕方がない、諦めよう、ところで今から少しだけ電話で話すことはできるか、と返って来たので、できると返信するとすぐに白川は電話をかけてきて、しばらく互いの近況やコロナに対する通り一遍の所感など言い合った後で、「そおかー。ところで出演の方は諦めるけど、チラシとチケットのデザインだけでも頼めないかな? もちろん忙しいようであれば無理はしなくていいんだけれど」
 と白川が言った。それくらいであれば勉強の合間に、というかそもそも勉強もやらなければやらなければと思いつつどうしても集中できずにいたのだし、具体的にいくらと金額は分からないが割の良い小遣い稼ぎにはなりそうであるし、おいしい、と思って、
「それなら喜んでやらせて頂きます」
「ありがとう、じゃあ近いうちに一度会って、打ち合わせしたいんだけど」
 葉奈としてはてっきりメールか電話で済ましてしまうつもりだったが、言われてみればこういう場合直に会って打ち合わせするのが当たり前なような気もして、今更自粛中だから会うのはちょっと・・・・・・と言うのも気が引けた。直前の会話で「こんなに長引いたのではいつまでもいつまでも自粛自粛と言っていられるわけがない」というような方向性のことを白川が言うのに葉奈も適当に同調していた流れもあって、言い出しにくかったのだ。
 それで、
「分かりました」
 と声を潜めて答えた。
「ありがとう。ええと、じゃあ来週の水木金の夜の内でどこか都合付けられそうな日はある?」
「ええと・・・・・・、だいたい大丈夫だと思うんですけど、・・・・・・ちょっと正確に確認して、後でメールしても大丈夫ですか?」
「OK.あ、もし良かったらだけどついでにさ、打ち合わせの後、ちょっとどこかで飲まない? どうかな?」
「ああ・・・・・・」
「全然無理しなくていいんだけどさ、久しぶりにどう?」
「ええ、と・・・・・・、いい、ですね。あ、でも確か今、お店でお酒って飲めないんじゃ・・・・・・」
「あーそうだったような気もするなぁ。・・・・・・もし嫌じゃなければ僕の自宅に来てもらってもいいんだけど」
「・・・・・・」
「学君も一緒に」
「はあ。・・・・・・」
「ごめん、無理言ったかな」
「いえいえ、そんな、行きます行きます。学と一緒に、多分一緒に行けると思います」
「よし、それじゃあ決まりだ! いやあ楽しみだなぁ。葉奈ちゃんとはもう一年ぶりだし、学君とは確か――どれくらいかなぁ――あ、ごめん、電話かかってきちゃった、切るね、あとで都合付きそうな日メールしといてね。それじゃ」
「はい、失礼します」
 というような会話は全部、下の学にも聞こえていた可能性はあった。もしかすると学は音楽なりゲームなりでヘッドフォン乃至イヤフォンをしていて聞こえていない可能性もあった。が、本来そんなことはどちらでも良いことで、気にするまでもないことの筈なのだ、だからこそ電話できるかと聞かれてできると答えたのだ、学に聞かれてまずい話をするつもりなどなかったのだ。しかし白川と会話を進める間葉奈の頭の中では例の、
 ・友人知人親族との接触については原則NG、都度相談し合って正当な理由があると認められる場合に限り、時間と場所を限定して許可される。
 という約束が黄色の文字で点滅していた。
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