【連載小説】2-Gのフラミンゴ④

 プリント、……、
 始業式後一発目のホームルームのことだったからクラス名簿的なものだったか、年間予定表的なものだったか、まあそんな所だろう、重要なのはその内容ではなく、その紙質でもなく、配られ方だ。
 いわゆる「プリント回し」。教師がプリントを最前列の席の生徒にその列の人数分だけ渡し、渡された最前列の生徒は一枚を自分の分として手元に残し、余りを二列目の生徒に渡す。そうすると渡された二列目の生徒も一枚を自分の分として取り置き、余った分を更に一つ後ろの席の生徒つまり三列目に渡す。これを順繰りに繰り返し、繰り返し、やがてクラスの生徒全員にプリントが行き渡るというシステムだ。「一枚足りません」「一枚余りました」というようなイレギュラーは時折発生するものの四十人分を一枚ずつ教師が配って回るよりは格段に効率的なこのシステムは小学校の時からあったもので、今更何のことはない、私は微笑をたたえてプリントが自分の所に回ってくるのを待っていた。
 私の席は廊下(右)から三番目の後ろから二番目だったと既に述べたと思う。そして私のすぐ前の席が例のピンク髪の女、富良民子であることも。ということは私は民子から二枚のプリントを受け取り一枚を自分の分として取り置いた上、最後の一枚を後ろの席の生徒に渡すということになる。後ろの生徒というのは真壁さんという小柄で黒髪のおとなしそうな女子生徒であったことも既に述べた。……この時私が考えていたのは、「どんな具合に渡そうかな?」ということだった。両手で渡すべきだろうか? それとも片手? 手から手に渡す? それとも机の上にすっと置く? その時目は見る? 恥ずかしい? 見ない? 会釈はする? 目配せは? するとしたらその時の眉はどうする? 口角は? 「プリント、だよ」って、言う? 「はい、プリント」って、言う? 言わない? 言わないよね? 言わなくても見れば分かるもんね? なら無言? 無言は無愛想? じゃあ「はい」って、「はーい」って感じだろうか? 「はいー」?
 が、この時、真に問題だったのは「渡し方」ではなく「渡され方」だった。真壁さんにプリントを渡すことばかりに頭が行っていたが、その前に、私は富良民子からプリントを渡される立場にあった。その渡され方というのが、・・・・・・ノールックだったのだ。
 民子は振り返りもせず、二枚のプリントの端っこを右手の人差し指(爪、緑)と中指(爪、紫)に挟んで、自らのうなじから背中にかけて垂らしたのである。前を、というか、左斜め前辺りを見たまま、なんか全体的にちょっと傾いた感じのまま、だるそうに。
 ――「取れ」――、と言っている。――「お前が身を乗り出して、腕を伸ばして取れ」――、と言っている。いや言っていない。言ってすらいない。言うまでもなくお前の方が動けと言っている。言っていない。
 淡く輝くようなピンク色の髪の毛の前で揺れる二枚のプリント(A4、私と真壁さんの分)を見つめながら私はかろうじて微笑を保っていた。そして微笑の裏で次のように考えていた。
 ……、例えば初対面の県知事にプリントを渡す機会があったとして、こんな渡し方、するだろうか? 県知事ではなく、中東の王様だったらどうだろう? 仏陀だったら? ・・・・・・、こんな渡し方、しない。していいわけがない。失礼だから。じゃあ何故今民子はこんな渡し方をしているのだろうか。それは失礼で構わない相手に渡そうとしているから。後ろの席が県知事でも中東の王様でも仏陀でもなく俺だから。なめている相手だから。
 なるほどそりゃそうだろう。民子の髪はピンクで俺の髪は黒い。校則を破って教師や親なんかにちょっとやそっと何か言われたくらいでは屈服しないような生き方を選んだ女が、教師の言うことを忠実に守りいや言われるまでもなく進んで校則に従い世の中のルールにもマナーにもなんとなくの圧力やら空気感みたいなものやらにも常に屈して生きるこんな色白のどこまでも刈り上がったおぼっちゃんに、敬意なんてあるわけない。OK。悔しいけれど、それはしょうがない。うん、なめられてる。当たり前に下に見られてる。OKOK〜。でもさ、これ、二者関係で済まないんだわ。もし今ここにいるのが俺と民子の二人だけだったら、心の中で舌打ちくらいはしながらも、身体をふにゃふにゃ前にのめらせて、腕を伸ばしてプリントを取っただろうね。民子が俺をなめるのは仕方ないと思うから。なめて然るべきとさえ思うから。でも今、他にも人、いるんだわ。クラスじゅう、生徒がたくさんいるんだわ。こんななめ切った渡され方をされて、それを何の文句もなく受け取ったら、「ああ、あいつはああいう渡され方をする人間なんだな」と思われる。「あんなブサイクな渡され方をされても、黙して受け取るやつなんだな」「いつも謎に微笑して得体の知れない奴と思って一定の敬意を払って接してきたけど、本質的に下と見て差し支えない奴なんだな」という所に評価が定まってしまう。それでは王になれない。
 何より真後ろで、真壁さんが見ている。「沼越くんて、ああいう渡され方されて、平気な人なんだ。ふーん。ちょっといいなって思ってたけど、こんな渡され方するんなら、ちょっとなし、かな」という目で以後見られることになる。王になれない。なれる、わけが、ない。
 瀬戸際……なんだ、
 と、思った。
 世界線の大きな変わり目……なんだ、
 とも、思った。
 ――これを甘んじて受け取った後の世界に生き延びるよりは、これを受け取ることを拒絶した世界に滅びたい。こんな渡され方、断じて、拒絶するnoever!死ぬことと見つけたり。
 と頭では考えながら、何故なんだろう、いつの間にか身体が勝手に動いて受け取っていた。民子の、無言の圧に負けたのだと言えばそうなのかも知れない。屈辱という言葉の意味を知った日だった。
 流れるように、不思議な中腰になって前のめりに震える右腕を差し伸ばしながら、しかし、それでもなお、私はかろうじて微笑だけは崩さなかった。何故なら、どうせ受け取ってしまうからには、プリントって別にこういう感じで回すものだよねという感じにしておきたかったから。わざわざ振り向いて渡されなきゃ嫌だって、なにそれ、どうでもよくない? 非効率じゃない? 俺さ、もっと大っきな所を見てるんだよね。という感じにしておきたかったから。他の生徒はともかく、後ろの真壁さんにだけでもそう思って欲しかったのだが、恐らく真壁さんは何も思っていなかっただろう。
 これが民子にまつわる初日の思い出だ。つまり私の民子に対する第一印象は「嫌い」の一言に尽き、その後数ヶ月に渡りこの印象は持続することになる。

 ※ちなみにだが、私は、ねじ切れるんじゃないかというくらいに腰を後ろにひねり、真壁さんに正対し、両手でそっと、……母親が赤ちゃんに毛布をかける時のようにそっと……、真壁さんの机にプリントを置いた。もちろん微笑も忘れなかった。真壁さんは微笑を返さなかった。それで構わなかった。たまたま後ろの席になっただけの女の目先の笑顔など私は求めておらず、未来を、もっと大きな未来を、見ていたからだ。

つづく
(次回は2/21水曜更新予定です)


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