【短編小説】春に輝く少女

――春。
 少女(七歳四ヶ月)はうっすら、輝いて、鼻歌を歌っている。
 練馬区の路傍に、ひとり、輝いている。歌っている。
「紋白蝶を、潰したの。薬指と、親指で。きつねのなりかけで。潰したの。かわいそうな、蝶々さん」
 歌っているだけではなく、その左手には、実際につまみ殺したらしい蝶が――。

 きこ、きこ。

 そこへ、荷車を引いて、女がやってくる。荷車には、主に枯れた植物が積まれている。――満載だ。色はかさぶた。
 何か、タンパク質のような匂いが、少女の鼻先をくすぐる。溢れんばかりに積まれた花や茎の下に、動物の死体でも埋もれているのかも知れない。あるいは荷車を引くこの女自体から発せられる匂いか。
 
 やがて、対峙した。

 輝く少女は、身構えた。命を粗末にしたことを、この大人に咎められるのではないか、と。
 けれども少女には、分かっている。そして、知っている。自分の皮膚が輝いているということ。選ばれた者であるということ。――わたしは全能。光の少女。みんな何でもわたしの言いなりだったし、これからもそうあるべき。虫くらいいくら殺したって、わたしに限っては、赦されるべき。……それにしても、なんてみすぼらしい、くすんだような女だこと。こんな薄汚い女なんかに、わたしが裁かれてたまるか。負けるか!
 と、拳を握りしめる。左手で、蝶が粉になる。両足の指にもきゅうっと力を込めて、光量を上げていく。眉を寄せ、内股になる。光量を上げる。上げる。顎を引き、下から、女の顔をにらみ上げる。
 対して、女は暗い、悲しみの穴ぼこのような、虚無の井戸のような目で、輝く少女を見下ろす。何のポーズもない。表情も、ない。ただ、ヒトが立つ時には、最低限これだけは必要なのだというだけの力で、だらりと、見下ろす。
 輝く少女は唇を引き結んで、その目を見返す。ふぐ! 歯を食いしばり、MAXまで光度を上げた。
 女は黙って、左手を差し伸べる。骨の細いかくかくした手。荒れて、痩せて、少し震えている。目は暗く深いところまで死んでいて、少し首を傾げたようにも見えた。
 少女には、女の余裕ぶりが不気味だった。同時に癪にも障った。その目がどこまでも暗闇であると気取るならば、わたしが照らして、明るくしてやる! 明るみに、晒してやるく、ぐく!  
 ――が、届かない。
 全ての光が吸い込まれていく。
 一帯の景色がむしろ暗闇に飲まれようとしている。
 晴天の春の、真昼というのに。
 少女は初め、耐えた。死ぬ気で輝き、死んだ気で輝いた。が、耐え切れなくなった。不服そうに、屈服した。光度を下げると、蝶の死骸を、女の手の上に、乗せた。
「いいのね」 
 と荷車の女が低く問う。
 輝く少女は曖昧に、頷いた。
「命だから。今後、程々にね」
 と女が言う。
 輝く少女はちょっと口を尖らせた。が、頷いた。
 女は、もう握りつぶされて粉でしかないものを、荷台の全体に、振りまいた。光のこびりついた粉は、ぱらぱらと降りかかり、枯れた茎と葉と動物の死骸の隙間に輝いて、おおむね三日程の期間、荷車の全体は、ほのかに明るかったという。

 
 
 
 
 

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