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鬱作品の摂取をやめたら何が好きかわからなくなった

 胸が苦しくなるような作品が好きだった。小説でも漫画でもゲームでも。一番大切な人が惨たらしく死んだりとか。愛する人を殺すことでしか救うことができないとか。そういう胸が痛むやつ。

 心が深く抉られて痛くて死にそうになる感覚を求めていた。死にそうになって、生きてるって感じがした。気持ちが昂って、思い切ったこともできる気がした。日常の苦しさやちょっとした傷付きを麻痺させることができた。こんなの大したことじゃない、と。

 そうして日々を乗り切ってきたのだが、心に負荷のかかる作品を観るのがだんだんしんどくなってきた。というか観た後にちょっと体調が悪くなることに気付いた。どうやら思っていた以上に物語からダメージを受けていたらしいと考え始めた。

 強烈な痛みを自らに与えることで慢性的な痛みを覆い隠すというのは、なんだか自傷的だ。それで救われることもあったし、自分のトラウマを物語に重ねることで乗り越えていこうとする意味もあったと思うが、傷をいじくり回すのももう充分だという気がした。自分を労われるようになりたくて、辛い展開のある作品にあまり触れないようにした。もっと穏やかな作品を楽しめる目を養おうと思った。

 明るい作品にも気に入ったものはあったが、「ふーん、面白いねぇ」程度の気持ちでしかなかった。夢中になれるほどのものは見つからない。少し切ない作品では、焦らされているようで落ち着かない。心を引っ掻かれて悶え、早く刺し貫いてくれと叫びたくなる。情緒を八つ裂きにされる熱狂が恋しい。

 そんな熱狂は病的なもので、面白いねぇ程度で満足しておくべきなのかもしれない。でも一度覚えてしまった快楽は忘れられないもので、普通に面白い程度では物足りなさを感じてしまう。物足りないものをわざわざ観る気もあまり起きない。

 痛くなくても満足できるようになるまでにはまだリハビリが必要なのかもしれない。心穏やかに物語を楽しめるようになりたい。

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