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暗黒時代と裏切りの罪

 今の私の感じからは想像できないかもしれないが、小学生の頃はどちらかというとお調子者的な面があり、変わり者だったのは確かだが、「愛すべき狂人」くらいのポジションで受け入れられていたように思う。体が大きく成績も良かったから一目置かれていたのかもしれない。家では我慢することも多かったものの、学校では好き勝手に楽しくやっていたのである。

 転機となったのは、私立の中高一貫校への入学だった。入学と同時に引っ越しもしたため、友達もいない、馴染みもない土地で、人間関係をゼロから構築し直さなければならなくなった。中学受験を勝ち抜いてきた子供たちは、田舎の素朴な子供たちとは違っていた。人とどうやって話せばいいのか、自分のどの面ならば見せても大丈夫なのか、何もわからなくなった。

 劇的な環境の変化が第二次性徴の時期と重なっていたのも良くなかった。十一歳で月経が始まり、しばらくしてから原因不明の体調不良に悩まされるようになった。乗り慣れない電車での通学中、血の気が引いて目の前が真っ暗になることもよくあった。今にして思えばパニック障害の症状だったのかもしれない。

 女であることをいい加減に受け入れなければならないと焦っていた。男の子に混じって遊ぶ事はもう許されなかった。男子生徒は、私が廊下を歩いているだけで大声を上げてからかってくる、遠い存在になってしまった。「普通の女の子」にならなければならない重圧を感じていた。常に神経を張り巡らせて、常に疲れていた。

 私の中学入学と同時に一旦単身赴任状態になっていた父が再び同居することになり、家庭は冷戦状態になった。夜中には両親が言い争っている声を聞かないふりをして、ベッドの中で時が過ぎるのを待った。私は中立でいたかったが、最終的には母親に屈して配下についた。

 自分のことが嫌いだった。鏡の中の自分は似合わない女装をしているようにしか見えなくて、心の中では嫌悪感をむき出しにして罵り続けていた。期待されているような振る舞いができなくて、間違ったことばかりしている気がして、人として重大な欠陥があるとしか思えなかった。ちゃんと人間でいられる人たちと同じように扱われる資格があるとは思えなかった。

 生き延びたのは、事故に見せかけて死ぬ方法が思いつかなかったから。欠陥品の自分の死によって正常な人たちに迷惑をかけてはいけないと、そう信じるほどに自分を卑下していたから。それ以上の理由はない。

 そんな自分の苦悩をジェンダー的な面で理解してくれそうな人が、一人だけいた。同級生のYさんである。

 Yさんは女子生徒として生活していたが、短髪で声も低く、それほど親しくはなかった私から見てもトランスジェンダーなのかなと思うような存在だった。Yさんは正しい人だった。中学生にして「人格者」という言葉が似合うような。理想の生徒になることが、Yさんがマイノリティとして生きる上での生存戦略だったのかもしれないが、日陰でじめじめしていた私には眩しかった。

 そんな立派で友達も多いYさんが、私のことを何かと気にかけてくれていた。Yさんは、私がYさんと似たような傾向を持っていると察していた。慧眼である。しかし私は男として生きたいとは思っていなくて、だからYさんとは違う、ただの人間性の落ちこぼれなのだと思っていた。絶え間ない挫折を続けながらも、女になることを諦められなかった。

 「娘」としての自分に課された義務を全うすることが、私にとって何よりも優先すべきことだった。自分の人生を生きることよりも。

 現実から遊離しながら一日一日をやり過ごし、やがて暗黒の中学時代は過ぎ去った。遅まきながら学校生活にも慣れ、両親の離婚によって母の情緒は安定し、義務感の鞭で自分を叩き続けなくとも歩けるようになった。ジェンダーやセクシュアリティの問題は棚上げしたままだった。

 Yさんと私は同じ大学に進学した。学部は違ったが同じキャンパスだった。Yさんはやっぱり正しくて、信念に従って着実に歩みを進めているように見えた。

 そして大学の二年か三年の時、私はYさんにひどい裏切りをしてしまった。それはいわゆるアウティングと呼ばれる行為だった。直接伝えたいからとYさんが話してくれたことを、私は当時付き合っていた同級生の男性に漏らしてしまったのだ。

 彼は大勢の人がいる前でYさんにひどい言葉を投げつけた。私はその場にいたにもかかわらず、曖昧にへらへら笑ってやり過ごしてしまった。

 せめて彼を止めるべきだった。彼に抗議するべきだった。それができないまでも、すぐにYさんに謝るべきだった。私は保身を優先して、Yさんを見殺しにした。最低である。

 それから十年以上経ったが、Yさんには未だ謝れないままだ。連絡が取れるのなら謝りたい。でも謝ることが許されるのかどうかすらわからない。自分が姿を現すことで当時を思い出させて辛い思いをさせるのなら、このまま忘れてもらった方が良いのかもしれない。Yさんに許しの言葉をもらって楽になるよりも、後悔を抱え続けたほうが良いのかもしれない。

 LGBTQ系のイベントやコミュニティにリアルでは顔を出せない。もしかしたらYさんがいるかもしれないと思うからだ。Yさんを最悪な形で裏切った自分が堂々とトランスジェンダーを名乗るなんて許されないように思う。

 罪悪感に閉じこもって、自分の心を封じ込めて、自ら不幸になることが、償いになるのならそれでもいい。でもそうではないだろう。そもそも人の顔色を伺うような自分でいたことが原因なのだから、今のまま立ち止まっていてはまた同じことを繰り返してしまう。

 強くならねばならない。自分の足で立てるように。自分の怒りを持てるように。もう二度としないしさせないと誓えるようになるために、心を押さえ込むことをやめなければならない。

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