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220831 青春18きっぷで1500km大移動⑧(名古屋→近江塩津→亀山→津→伊勢市→津)

 実は先日引っ越して、人生初のタワーマンションに住んでいます。38階の部屋なので炊飯器でご飯が炊けません。水の沸点も下がっているようで麺類を茹でると芯が残ってしまいます。はい、もちろんウソです。別に5階だろうが38階だろうが特に何が違うということはなくて、外を見ない限りは特に違いを意識することはないですね。夜景はなかなかのものだし、家の前を通る線路がジオラマのように見えるのも見ていて面白いものです。
 しかし38階に住むとなると「下界」に降りるのがとてもめんどくさく、必然的に出不精になっていきます。家から出るのにまず100m以上の垂直移動をしなければならないというのは予想以上にめんどくさいのです。しかし、自転車を30分くらい漕げば横浜駅ですから、今のところはそれにつられるように赤レンガだのみなとみらいだの色々とウロウロしています。赤レンガに一人で行ったら周りはいわゆる「パリピ」ばかりでどうも半袖半ズボンの男子大学生が一人で来て良い場所ではなかったらしいということを学ぶことができました。

コンディショナー漏出事件

 さて、旅行記に戻ります。前回記事は最後で事件の予告だけして終わっていたので、今日はその話からです。ぼくが旅行すれば大体事件が起こるものですが、今回ももれなく事件が起こりました。何と、シャワーをすべくバスルームのドアを開けたら浴槽の中にピンク色の液体が流れ込んでいたのです。上を見るとコンディショナーがちょうど同じピンク色でした。ボトルを持ち上げて見てみると見事に底の部分が割れているではありませんか。触ってみるとヌルっとするのでコンディショナー確定です。
 というわけでフロントにお電話します。コンディショナーだけなら自分で片付けてもいいのですが、このような現象が発生していたという事実は伝える必要があるでしょう。いいホテルだと「はい、○○様」と電話に出るものですがもちろんそんなことはなく、部屋番号と現状を伝えるとスタッフが飛んできました。そしてこの問題にどう対処するかの検討が始まり、提示された選択肢は二つ。①浴槽を掃除してこの部屋に泊まる②別部屋へ移動、の二つから選んでほしいと言われたのでぼくは①を選びました。結構荷物を散らかした後だったので片付けるのが面倒だったし、ホテル側ももう一度部屋を清掃することになるので手間がかかると思ったからです。なお、スタッフがコンディショナーのボトルを指さしながら「こちらのボトルは回収します。今夜はお使いになりますか?」と聞かれたので短髪の頭を指さしながら「こんな髪型なので使わないですねえ」と言ったら大笑いされました。この局面でジョークを飛ばされるとは思っていなかったようですが、なかなかいい反応のスタッフだったことを思い出します。掃除してもらった後でシャワーを浴びたら足元が異様にヌルヌルしていましたが、まあそんなもんですよね。特に実害はないのでヨシとします。

何やらピンク色の液体が。

 ちなみに翌日になったら新しいコンディショナーのボトルが補充されていました。せっかくなので頭につけてみましたが、特に何も効果はなかったと思います。知らんけど。

おはようございます

 さて、4日目の朝です。4日目の朝ですでに旅行記が⑧に達しているのはまあまあ絶望的な気がしますが、特に問題はありません。写真ばかり貼って何となくごまかしている軟弱な旅行記は好きではないので、今日も今日とてとにかく重厚長大な文章を書きまくることにします。読む方はたまったものではないかもしれませんが、わざわざ見に来てそんなことを言われてもそれはまさに「当たり屋」に他なりません。Twitterでエゴサして文句を言っている人も見たことがありますが、わざわざ見たくないものを見て文句を言うって何考えてるんですかね。
 コンフォートホテルは朝食が無料というか、朝食が勝手に宿泊料金の中に含まれているので朝食を食べないと損をします。しかし、今朝もまた朝7時半から行動を開始しているため、今朝の朝食は放棄せざるを得ません。朝食<睡眠時間です。朝食は名古屋駅のキオスクで調達し、まずは東海道本線の米原方面行き電車に乗り込みます。そこそこ混んでいましたが無事に座席を確保。ふと前を見ると、ボーイスカウトの四人組を発見しました。この四人組は後で近江塩津でも見かけることになるのですが、名古屋から琵琶湖の北端までずっと同じ行程というのはなかなかレアな気がします。ちなみにぼくは去年くらいまでボーイスカウトとカウボーイの違いがよく分かっていなかったのですが、どうもボーイスカウトは馬に乗って牛を捕まえることはなくて社会奉仕活動に勤しむ人たちのことらしいですね。ボランティアかと思っていたら習い事だというのも意外でした。
 別にボーイスカウトの話はどうでもいいのですが、まずは車内で朝食を食べることにします。これを考えると、朝一発目の列車はクロスシートの方が良いのです。さすがにロングシートでご飯を食べるというのは憚られます。前に両毛線がクロスシートだろうと思って乗ったらロングシートで、仕方ないのでそこで峠の釜めしを食べたことはありますが・・・。

図鑑でしか見たことのない車両が目の前に。

 そうこうしているうちに電車は岐阜を過ぎ、米原に到着しました。ここからは北陸本線に入ります。この日は、敦賀、金沢経由で富山まで行き、高山本線に乗る予定だったのですが、ここで問題が発生。早朝の大雨の影響で北陸本線が大幅に遅延していたのです。乗っていた電車も長浜駅で抑止になり、長浜から先発の電車に乗り換えるように案内がありましたが、この乗り継ぎの電車はなんと「8:00発」。すでに時間は9時半です。結局電車が動いたのはさらに後だったので、ほぼ2時間くらいは遅延しています。
 それを受けてすぐに時刻表とのにらめっこが開始されましたが、どう考えても高山本線に乗っていると名古屋に帰り着くことはできないという結論に達しました。そこでプランを変更し、近江塩津で湖西線に乗り換えて山科(京都の一駅手前)、草津、亀岡、伊勢市、と移動することに決定。伊勢市に行けば昨日食べ損ねた赤福氷が食べられるし、その帰りには近鉄特急「ひのとり」に乗ってみるのが面白いだろうと考えたというわけです。このあたりの臨機応変な対応はお手の物なのであって、今までにっちもさっちもいかなくなったという経験はありません。

琵琶湖のてっぺんに到着

 散々遅延しながら近江塩津に到着したので、今度は湖西線の京都方面のホームへ移動します。ここで列車を降りた人の大半は敦賀方面に向かっていきました。おそらく金沢あたりまで足を延ばそうとしているのだと思いますが、あの遅延具合だと着くのはいつになるのか見当もつきません。ここから電車を乗り換え、湖西線を南下しようという人は数人しかいませんでした。
 待ち時間が20分ほどあったので駅前(何もない)を散歩します。近くの用水路はとんでもない勢いで流れていました。たまに「用水路に落ちて死亡」というニュースを見ることがありますが、確かにここに落ちたら命の保証はなさそうです。今更田んぼを眺めることもないし、小雨が降っていたのでさっさと駅に戻ることにしました。

五月雨を 集めてはやし 用水路

 ここからの電車でも無事にクロスシートを確保し(なお確保とは二席を独占できる状況という意味)、山科まで向かいます。なお、山科とは京都の一つ手前の駅です。普通の人なら京都まで行って観光をし、夜遅くまで走っている東海道本線あるいは新幹線を利用して名古屋に戻ると思いますが、ぼくにとっては赤福>京都なので京都には行きません。一応ダイヤ的には行けなくもないし18きっぷなので特に気にすることもないのですが、これだと京都駅の滞在時間が3分くらいのまさに「行っただけ」になるのでそれだったらゆっくり乗り換えできるように一つ手前で降りておこうというわけです。
 ここからは東海道本線というか琵琶湖線というか、まあつまり東海道本線に乗って草津へ向かいます。もちろん草津温泉の草津ではなくて琵琶湖の南側の草津です。なお、滋賀の草津と群馬の草津には関係があるという説もあって、それはヤマトタケルの時代に遡るのですがもはや神話の世界なので真実は不明です。しかし、草=陸、津=港と考えると淀川(正確には瀬田川か)を船で上って琵琶湖に入ってすぐの場所にある滋賀の草津が本家で、東国征伐の時に群馬に行った人が故郷をしのんで草津という地名を付けた説には説得力があるようにも思います。紀伊半島と房総半島のどちらにも勝浦という地名があったり、中国地方と北海道の両方に広島という地名があったりするのと同じようなものでしょう。

近江塩津の駅舎。こじんまりとした駅。

 そんなことを考えているうちに電車は草津に到着。ここで電車を一本見送り(途中の貴生川止まりなのでどのみち同じ電車)、昼ご飯の調達に向かいました。食べ放題の朝食を詰め込んでくれば昼ごはん代も浮いた可能性がありますが、そこはやはり食事<睡眠なのであって駅から徒歩5分くらいのところにあるミスタードーナツに行って昼ご飯を調達し駅に戻ります。駅前には「浜学園」「馬淵教室」と関西にしかない塾が並んでいてちょっと気分が盛り上がりました。地方に行くと「佐鳴予備校」「駿優予備校」「秀英館」「英進館」などの塾を見つけるたびにテンションが上がりますが、極めつけは「代ゼミサテライン」ですね。東京だと代々木に代ゼミタワーなる豪華絢爛な建物を残すのみになっているはずですが(実はどこかにあったりするのかな?)、地方ではまだまだ代ゼミサテラインが元気に営業中だったりします。ただやはり東進の侵略は気になるのであって、最近はどこの駅前に行っても東進衛星予備校の黄緑色の看板ばかりで代り映えがしなくなっているのです。
 別に予備校談義はどうでもよくて、ここから先は草津線に乗って柘植まで向かいます。なお、「柘植」と書いて読み方は「つげ」です。やってきた電車は渋谷駅前の青ガエルと同じくらいに緑色の車両でした。この車両は相当古いようで、なんと電車が「上下」に大きく揺れるのです。電車が左右に揺れるというのはわかりますが、上下に大きく揺れる電車というのは初めて乗りました。定期的に下から突き上げる感じというか、たまに「ドン」という揺れが伝わってくるのであまり快適とは言えませんが、古い電車なので仕方ないのでしょう。とにかく大揺れする車内でミスドを平らげ、あまりの揺れに寝ることもできずにいるとそのうちに柘植に到着しました。

走る紅芋タルト。

 ここからは関西本線に入り、亀山へと向かいます。亀山から紀勢本線に入り、参宮線に入って伊勢市まで向かえばほとんど今日の目的は達成されたようなものです。この柘植→亀山で乗車した車両はなかなか変わっていて、バスのように片側に畳んで開くドアが付いている、紅芋タルトのような色のディーゼルカーでした。おそらく古さで言うと先ほどの青ガエルよりも古いのですが、こちらは上下に揺れるということはなく(当たり前)、亀山に到着しました。
 ここで紀勢本線に乗り換え、伊勢市の方へ向かいます。○○の方とか言うと「税務署の方から来ました~」という一昔前の詐欺みたいですが、実は津で電車を乗り換えることになったのであえてこういう表現を使っています。どういうことかというと、津で乗れるはずのない快速みえに乗れることが判明したので乗り換えたのです。元々3分くらいのタッチの差で乗り換えができないダイヤであることはわかっていたので「快速みえ、遅れてくれないかな~」と思ってはいたのですが、まさか本当に遅れているとは思いもしませんでした。津に到着する直前に「この先、参宮線の伊勢市・賢島方面へお越しのお客様、本日快速みえが遅延しているため津で快速みえにお乗り換えいただけます」とアナウンスが入った時には車内の乗客の多くが快哉を叫び、みんなでゾロゾロと乗り換え。
 快速みえは、中3の修学旅行で有料特急を使わない縛りをやった時に利用した思い出の列車です。ほかのほとんどの班が近鉄の特急に乗る中、なぜかぼくの班だけがキハ75に乗り込んで旅行していました。ボックスシートで同席した横浜から来たオバチャンたちとの会話も弾み、楽しかった覚えがあります。ちなみに実はぼくはもう4回くらい津に行っていて、修学旅行の時と、大学1年生の時、それから去年の夏にも行きました。去年はセントレアから伊勢湾を横断して津からJRに乗って伊勢市に行って、赤福を食べようと思ったら店が閉まっていたので観光特急しまかぜの展望車でふて寝していた記憶があります。しまかぜでふて寝、これは将来大物の予感ですね。
 快速みえは乗ってしまえば快適です。パワフルなディーゼルカーは三重県を爆走し、あっという間に伊勢市に到着しました。着いてみるとずいぶん観光客が増えていて、駅前の通りにある店もだいぶやる気を出していたのが印象的でした。去年来た時にはもはや「誰もいない」と言っても言い過ぎにはならないくらい人がいなかったのですが、今年はなんと道に人が歩いていました。人がいるだけで驚いているのもいかがなものかと思いますが、去年とおととしの状況は明らかに異常でした。

安心と信頼の快速みえ。

赤福を食べに行く

 今年は赤福も営業中で、店の前には長蛇の列ができていました。ぼくも列に加わって待つこと10分、赤福氷と赤福を注文し席で待ちます。周りを眺めてみると両方注文している人はほとんどいませんでしたが、しかしぼくが伊勢市に来た目的は赤福以外にないので迷うことなく両方注文しました。こういう時に躊躇すると人生がつまらなくなります。しばらくして頼んだものが到着したので早速食べ始めます。かき氷は中に白玉と餡が入っていて絶品でした。赤福がおいしいのは言うまでもありません。

今日ここに来た目的はこれ。

 さて、目標は達成されたのでさっさと名古屋に戻ります。と言いたいところですが、外宮に参拝しないのかという批判が寄せられそうなので一応境内の中を散歩してきました。ぼくはあまり信心深くないので熱心に祈るということはしませんが、明治神宮と伊勢神宮の境内を散歩するのは好きなのです。小さい神社だと木に巻いてある「保存樹木」みたいな札をめくってヤモリを探すくらいしかやることがありませんが、大きな神社だと喧騒を離れて(まあ伊勢市は元々静かですが)散歩ができるのでオススメですよ。
 今回の散歩は電車の時間を調節するための暇つぶしに過ぎないので早めに駅に戻りました。電車の中で食べる赤福を買おうと思ったら二個入りが売り切れだったので我慢することにして、また快速みえに乗って津に向かいます。ここから先は近鉄特急ひのとりに乗り換えて名古屋まで帰ります。

次回予告。

 しかし、すでに文字数が6000字に迫ろうとしているので今日の記事はここまでにして、近鉄特急がどのような車両だったかという点については次回の記事で微に入り細を穿って記録することにして、今日の記事はここでおしまいです。さすがに6000字の記事をスマホで読むのはぼくでも辛いので止めておきます。

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