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いつも笑顔と喜びにあふれ、多くの人びとが引きつけられる魅力的な場所

1、青森で会おうか

青森駅前に「アウガ」という施設があります。地下1階・地上9階。

アウガ=会うがとは、津軽弁で「会おうか」の意味。正式名称は「Festival City AUGA(フェスティバルシティ・アウガ)」。Attraction(引きつける力)、Upbeat(上昇、陽気)、Gusto(心からの喜び)、Amusement(娯楽、楽しみ)の四つの英単語の頭文字からつけられたそうです。「いつも笑顔と喜びにあふれ、多くの人びとが引きつけられる魅力的な場所」をイメージしたとのこと。

ところが、このアウガを検索してみたところ、「アウガ 失敗」に関係する記事が次々と出てきます。例えば↓。

2001年に約185億円のお金をかけて、鳴り物入りで開館したアウガ。しかし、徐々に経営が悪化、たびたび融資が行われましたが再建のめどは立たず、ついに2017年2月には、1階から4階の商業施設を閉鎖することになりました。2019年8月現在、地階の新鮮市場とレストランなどの他は、市役所の窓口や公的施設として主に使われています。

開館から約19年。

「コンパクトシティの模範例」として、開業当初は全国から視察団が訪れたアウガ。現在は皮肉にも「コンパクトシティの失敗例」として、全国的に有名になってしまっています。

命名されたような「魅力的な場所」とは、言えない。

今回は、このアウガについての記事です。

2、郊外化VSコンパクトシティ化

そもそも「コンパクトシティ」とは何でしょうか?

この政策を、この記事を取り上げて、簡単に説明します↓。

コンパクト=小さい。シティ=町。都市機能や居住地域をコンパクトにまとめる行政効率の良いまちづくり。これを「コンパクトシティ」と呼びます。

戦後日本では、経済成長にともない人口が増えていって、住宅地などがどんどん増えていきました。都市は郊外へと広がっていく。「モータリゼーション」という自動車の普及が、その後押しをします。逆に、都市の中心地、鉄道駅の周辺などは地価も上がり、人口が減っていく。穴が空いたように見える。そう、地理の授業などで取り上げられる「ドーナツ化現象」ですね。

簡単に言うと、コンパクトシティは、このドーナツ化現象・行き過ぎた郊外化に対する、「中心市街地の活性化」を目指して取られる都市政策です。

人口が増えているうちは良かったけれど、これからは少子高齢化がますます進んで、人口が減っていく。分散していては街が維持できない…。どうしよう? コンパクトにまとめればいいのでは?という発想ですね。

◆ドーナツ化現象(郊外化)→中心市街地衰退→コンパクトシティ化政策

これは、青森だけではなく、全国各地に共通する都市問題です。多くの自治体で、このコンパクトシティ政策が行われていきます。いまも行われています。記事から引用してみましょう↓。

都市をコンパクト化すれば、郊外に広がった商業・居住エリアから空洞化した中心街に活気を取り戻せる上、インフラ維持管理などの行政サービスも効率化できる。そのためコンパクトシティ政策は、秋田県秋田市、栃木県宇都宮市、新潟県長岡市など多くの自治体で再開発のテーマに掲げられていった。
背景には、政府による強力な後押しがある。国は2006年、自治体が定める「中心市街地活性化基本計画」のうち、認定した計画に交付金や税の特例を適用する形で、自治体のコンパクトシティ化を支援し始めた。認定数は累計136市200計画に上っている。

何と、136市で200もの計画が、このコンパクトシティを目指して認定されたと言います。2001年に開館したアウガが日本全国から視察されたのも、なるほどなあというところですね。

記事では、富山市が「成功例」(まだ成否の判断はできないとしつつ)として取り上げられ、青森市は「失敗例」として取り上げられています。

開館以降、多くの来館者を集めたアウガだが、売上げは初年度から赤字を記録。その後も慢性的な赤字経営が続き、ついに今年2016年、運営母体の第三セクターが事実上の経営破綻。ハコモノ行政の典型的な失敗プロセスをたどり、責任を巡って副市長と市長が相次いで辞任するなど、市政を巻き込む大問題となっている。中心街活性化の象徴だったアウガの失敗は、コンパクトシティ政策そのものを失敗と見なす根拠となった。

ちなみに、この期間中に、青森市では市長が交代しています。

◆佐々木誠造氏(1989年5月~2009年4月)約20年
◆鹿内博氏(2009年4月~2016年10月31日)約7年半
 →青森駅前再開発ビルの経営破綻の責任をとり辞職
 →(福井正樹氏)2016年11月1日~11月27日 市長職務代理者
◆小野寺晃彦氏(2016年11月~現職)

記事では、コンパクトシティ政策を推進した佐々木氏と、商業支援ベンチャー会社代表の加藤博代表への取材が書かれています。少し長いですが、なぜコンパクトシティを目指したかの大事な部分ですので、引用してみます(太字部分は引用者)↓。

約30万人の人口を擁する青森市は、富山市と同じく郊外化の問題に悩まされてきた。中でも大きな課題だったのが除雪問題だ。青森市は年間降雪量6.8m(過去30年間の平均値)に達する世界有数の豪雪都市だ。積雪による交通網の麻痺や住宅損壊を防ぐには、効率的に除雪ができる「集住」が合理的だ。佐々木氏が言う。
「青森市の除雪コストは年間30〜40億円にも上り、財政を圧迫していました。しかも郊外化によって年々、増加傾向にあったのです」
危機感を覚えた佐々木氏は市長時代、いち早くコンパクトシティに注目。早くも1999年からその考えをまちづくりに活かしてきた。
まず、市域を「インナー」「ミッド」「アウター」の3エリアに区分。インナーに商業・行政・居住機能を集め、ミッドには居住・近隣商業機能、アウターには農地・自然を配して宅地開発や大型店の出店を規制する計画を立てた。
インナーの中心となる青森駅前には、公共投資によってシニア向け分譲マンションやホテルなどが次々と誕生。老朽化した駅前生鮮市場の再生事業として1980年代から計画が進んでいたアウガも、コンパクトシティ化の一端を担う形で185億円をかけて2001年に開業。来館者数は年間600万人を超えるなど活況を呈した。だが、売上げは予想の半分以下に留まった。
「景気の低迷で開業前にキーテナントが撤退したのは大きな痛手でしたが、他にも要因はある。そもそも当初はアウガ単体ではなく、駅前の複数の再開発プロジェクトと連携して街全体を活性化する計画だったんです」(佐々木氏)

「アウガを含む駅前の再開発エリアを中心にまずインナーの暮らしやすさを向上させ、除雪が困難になった郊外のお年寄りには街中へ住み替えていただく。そして、お年寄りが移住して空き家になったミッドエリアの住宅には、ファミリー世代の居住を促す。そうやって少しずつ街を小さくしていく、まさにコンパクトシティのイメージを描いていたのです」
だが、計画は思惑通りには進まなかった。佐々木氏は2009年、道半ばで市長選に落選。次期市長の下で再開発計画は白紙撤回され、青森市のコンパクトシティ構想は暗礁に乗り上げた。
「コンパクトシティの本質は、中心街の活性化という小さい話じゃなく、いかに人々が暮らしやすい街をつくるかということ。それは将来的な雇用の創出も視野に入れた長期的な取り組みなのです。それが中断してしまったことは残念でなりません」(加藤氏)
都市計画は、首長の交代といった政治的要因にも影響を受けやすい。アウガを巡る迷走は、その典型だろう。数十年という長い時間を要するまちづくりの難しさがそこにある。

まとめると、
◆除雪問題のコスト→郊外化により増加→コンパクトシティを目指す
◆実はアウガだけでなく複数の再開発と連携するつもりだった
◆郊外のお年寄りを街中へ住み替えていただく
◆長期的な街づくりが、首長(市長)の交代で中断してしまった

というところです。

記事では、このように結んでいます(太字引用者)。

都市のコンパクトシティ化はすでに国策的な色を強めている。政府は2014年、都市を「都市機能誘導区域」と「居住誘導区域」に分け、区域外の開発を抑制する「立地適正化計画」の導入を決めた。財政が逼迫する中、国が「理論としては完璧」なコンパクトシティ政策を急ぐのは、将来的な「居住制限」への布石と捉えることもできる。
こうした流れが一段と進めば、先祖代々からの土地や住み慣れた家から離れざるをえない人も出てくるだろう。自ら高いインフラコストを払ってでも愛着のある土地に住み続ける「居住の自由」を取るか、行政サービスの行き届く居住推奨地区で集住するか。選ばなければならない時代がすぐそこまで迫っている。

◆行政:将来的な「居住制限」に向かう(コンパクトシティ化)
◆住民:「居住の自由」がある(これまでは郊外化が進んできた)
ここにも、郊外化VSコンパクトシティ化の構図があります。

アウガだけを見て、ただ「失敗だ」と断じるのは簡単なのですが、その裏には様々な背景があるのです。そこを見逃してはいけない。

◆郊外化VSコンパクトシティ化(拡大する郊外、小さくまとめる政策)
◆行政VS民間(行政の思うようには、経済や住民は動かない)
◆行政の方針もずっとは一貫しない(首長交代による都市政策の中断)

3、成功を装う失敗を見抜くために

では、少し視点を変えてみましょう。

『凡人のための地域再生入門』という本があります↓。

この本の作者、木下斉さんは「行政や補助金に頼った地域再生は良くない」と主張します。アウガが最初は「模範例」「成功事例」として取り上げられていたこと、官製の事例で「失敗例」として紹介されることが少ないこと、そのものに警鐘を鳴らすべく、このような記事も書かれています。2015年時点での記事ですが、引用します↓。

この記事では、「偽物の官製成功事例」を見抜くための、5つのポイントが紹介されています。なぜ失敗を失敗として公表しないのかなどの理由など、詳しくはお読みいただきたいのですが、一部だけ引用します↓。

(1)初期投資が交付金・補助金のような財政中心ではなく、投資・融資を活用しているか
(2)取り組みの中核事業が、商品やサービスを通じて売上げをたて、黒字決算となっているか
(3)始まってから5年以上、継続的に成果を出せているか
(4)トップがきれいなストーリーだけでなく、数字について語っているか
(5)現地に行ってみて1日定点観測して、自分の実感としても変化を感じるか


例えば上記の(1)(2)を徹底していれば、今回紹介した2事例が成功事例と言われていた段階から、財政出動で開発され、さらに赤字経営を余儀なくされていたことから、問題は見破れたわけです。これらは一見成功事例としてまかり通っている「危険な事例」を今すぐ見抜くことができる、一つの方法です。

◆(1)行政(財政)が主体となっていないか。
◆(2)売り上げがきちんと立って黒字決算となっているか。

さて、2001年に開館したアウガを視察にきた全国の市町村の担当者は、どう思ったのでしょうか。「こりゃすごい! 未来のコンパクトシティ、かくあるべし! よし、うちの町にもこういうのを駅前に建てるぞ!」と思ったのでしょうでしょうか。それとも、木下さんの挙げたポイントを踏まえて「うーん、行政が主体となって建てていて、投資や融資が少ないなあ…。売り上げも見込み通りではなく、黒字になっていないなあ…。大丈夫かなあ」と慎重になったのでしょうか。

もちろん、結果が見えてきてからの後付けではなく、結果が見えていない段階での(しかも新築ぴかぴかの施設を見ての)予測は、とても難しいものです。しかし、だからこそ教訓として、これまでの「失敗例」を参考にして未来を予測する判断軸をこそ、私たちは身につけていくべきだと思います。

アウガを参考にして建設された、コンパクトシティの中心として期待された全国各地の施設は、いま、どうなっているのでしょうか?

4、交通史観からの判断軸

いかがでしたでしょうか? 今回の記事は、青森駅前にあるアウガを取り上げました。

「ドーナツ化現象」や「モータリゼーション」につきましては、手前味噌ではありますが、以前にこのような記事を書きましたので、ご参考まで↓。

交通史観の観点からアウガをとらえた記事も、1つご紹介します。鈴木文彦さんの記事です↓。

この記事によると、街や商業の中心地は
1:「旧街道・河川沿い」
2:「駅前」
3:「バイパス道路沿い」
4:「高速道路のインターチェンジ付近」

へと遷移していきます。

街づくりには、いまこの街がどの段階にあるのかを見極め、30年後にどの段階になるのかを考える必要があります。実用的な「地理」と「歴史」の知識と考察が必須です。3・4の段階、すなわち「郊外化」が進んでいる段階で、2の「駅前」が街や商業の中心地であるという前提で活性化を行うのは、とても困難を伴うということです。

そう考えると、駅前をかつてのような「商業の中心地」としてではなく、むしろこれまでは郊外が主に担ってきた「住宅地」として駅前をとらえ直した活性化のほうが、より効果が上がるのではないでしょうか?

鈴木さんの記事のまとめの部分を引用します(太字引用者)。

伝統的な中心地はこのまま衰退していくのか。それも違うと思う。時代にあった新しい生かし方がある。地方都市においては、旧中心地は「住まう街」としての再生の可能性が大いにあることだ。旧城下町は元々歩く人のサイズにあった街だった。車道が狭く、駐車場が少なく市街地に車が入りにくいという「弱み」も、住むための街と発想を転換すれば強みになる。
冒頭の青森市の中心市街地でも「住まう街」として見れば、再開発ビルと同じようにまちづくりの失敗事例と評価するのは早計である。2003年に閉店した松木屋百貨店の跡地に2005年には15階建てのマンションが建った。かつて賑わっていた商店街の通りに面してマンションが目立つようになり、周辺は住宅街の印象さえ漂う。2007年には高齢者対応型マンションを核とした複合ビル「ミッドライフタワー」が完成した。
地方都市の“市街地活性化”が失敗する理由は何か。それは交通史観を真っ向から否定し、時代に逆行したやり方で活性化策を進めているからではないだろうか。シャッター街は見た目ほどマイナスではない。元々の中心市街地の生かし方によっては、歩くサイズにふさわしい、インフラも充実した住みやすい街になる。

街は地理や歴史によって千差万別です。しかも、時代によって、経済状況によって、住民によって、絶えず変化していきます。

となれば、過去の栄光や他地域の「成功事例」を安直にコピペすることなく、現在と未来に合った街づくりを行う必要があります。

木下さんの記事から、2つ引用して、このnote記事の締めとします。

都市機能の集約、地方都市の再生など、いずれも「ストーリー」としては大間違いではありません。しかし、結局やっていることが「中心部での財政出動型の巨大開発」であれば、それは昭和時代のような、拡大経済期にしか通用しない方法を現代に焼きなおしてやっているに過ぎません。

今、持続可能な地方をつくるうえで大切な考え方は、大成功よりも大失敗をしないことです。他の地域の成功事例に踊らされず、自分のまちでの地道な取り組みを、外からの評価を気にせずに、小さく産んで少しずつ育てることに注力することこそ、重要なのです。

「ストーリーではなく具体的な数字で」。
「大成功よりも大失敗をしないこと、小さく産んで少しずつ育てる」。

苦味をおびつつも、心に響く言葉ではないでしょうか。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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