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真を写す、信を発する ~撮影者なりの世界~

写真の歴史と発信の歴史とを合わせて考える。
これが本記事のテーマです。

この世の中の「風景」「事物」などを
平面に写して残す! 残したい!

そういう欲求は、
人類が進化しつつある太古の昔から
すでに生まれていました。

フランスのラスコーや
スペインのアルタミラという洞窟では、
クロマニョン人が描いた「壁画」が残されています。
人や犬や牛、猪や鹿などが生き生きと描かれ、
この壁画によって、私たちは
古代の生活を「想像」することができます。

『絵画』の誕生です。

アナログな手法によって、
炭(墨)や筆や絵の具などで絵を描いていく…。

現実世界を平面に写しとる
「絵描き」=「芸術家」、
専門技術を持った人たちが
各文明・各文化で、様々な作品を残しています。

…アナログの絵画は「専門性」が高くて、
「上手に描く」技術も必要なため、
誰もが平等に描ける、というものでは
ありませんよね。

「風景や人物を『ありのままに』『自然のままに』
平面に残すことはできないだろうか?」

そう考えた人がいたとしても、自然です。
どうやったらそれができるのか?

ヒントは、ありました。

「窓のない真っ暗い小さな部屋」、
ラテン語で「カメラ・オブ・スキュラ」
(カメラの語源になった言葉)です。
ピンホールと呼ばれる穴を開けると、
そこから光が差し込んで、入ってきた光が
反対側の壁に像になって映し出される…。

「ピンホール現象」と呼ばれるもの。

これが紀元前にはすでに知られていたのです。
哲学者のアリストテレスや墨子も知っていた。
これを利用して、イタリアの「万能の天才」
レオナルド・ダ・ヴィンチや
オランダの画家フェルメールが
絵を描いていた、という説もあります。

…ですが、これはあくまで、
「アナログに描くための資料、補助的なもの」
に過ぎませんよね。

この世のものをそのままで写し出す
「写真」が生まれるのは19世紀に入ってから。

「…光で画像が映し出されるのなら、
何とかして『光の部分を化学的に変化』させれば、
『ありのまま』の風景を残せるのではないか?」

こう考えた人たちがいた。
いわゆる「感光材料」の発明が進む。
これに初めて成功した、と言われるのが、
ニエプスという人です。

彼は、道路の材料、アスファルトに着目しました。
アスファルトは、光に当たると、固くなります。
これを銀メッキした板に塗って光を当てる。
固くなったところで洗い流す。

すると、あら不思議、
風景が映し出されるではありませんか!
現存する最古の写真の一つは、彼が作り出した
「ル・グラの窓からの眺め」というもの。
1826年のことでした。
「太陽(の光)で描く」という意味の言葉、
『ヘリオグラフィー』の誕生でした。

ただ、この写真は
八時間以上も光に当てる必要があり、
実用できるものではなかった。

それを何とかしたのが、ダゲールという人です。

彼はニエプスと契約を結び、
「感光技術」の研究を進めていきます。
彼が使ったのは、アスファルトではなかった。
銀メッキを施した銅板を磨き上げ、
ヨウ素蒸気にさらすと、
表面にヨウ化銀の膜が形成されます。

これを「暗い箱」カメラへ取り付け、光に当てる。

八時間もかからず、数分(下手すると数秒)で
ヨウ化銀が化学反応を起こして像を作ります。
これを水銀蒸気にさらせば、
目に見える像へと変わっていく(現像です)…。
食塩水などで定着させれば、写真の完成!

1839年に公開されたこの技術は、
彼の名前にちなんで
『ダゲレオタイプ』と呼ばれます。

ただし、重大な欠点がありました。
「複製ができない」という点です。
たったひとつしか、写真ができない…。

それをクリアしたのが、
イギリスのタルボットという人でした。

彼は紙に硝酸銀溶液をしみこませた
「感光紙」を作った。
黒白の反転した「陰画」(ネガ)を固定し、
印画紙に「陽画」(ポジ)を焼き付ける。
『カロタイプ』とも呼ばれました。
(1841年に特許を取得)

これにより、複製や拡大が可能になる。

ニエプスからのダゲール、そしてタルボット!
ヘリオグラフィーからの
ダゲレオタイプ、カロタイプ!

彼らの発明と技術開発のおかげで、
19世紀半ばに「写真」が誕生したのです。
これは瞬く間に世界中に広がって、
江戸末期(幕末)の日本にも入ります。
日本人による最古の写真は1857年のもの。
薩摩藩藩主、島津斉彬を撮ったものだそうです。
(有名な坂本龍馬や土方歳三も、撮ってますよね)

その後、どんどん、技術改良が進みます。

19世紀後半には「フィルム」が誕生し、
カラーフィルムも生まれていく。
カメラも「ライカ」と呼ばれる
小型カメラが開発され、爆発的に売れる。

初期は専門家でないと
とても扱えなかった「写真撮影」の技術が
普及していって、
誰でも撮影できるものへと変わっていったんです。
いわば、写真撮影の「民主化」。

…今ではアナログからデジタルカメラに変わって、
ケータイやスマホに搭載され、
「写メ」を誰でも撮影することができますよね。

一枚を撮るのに八時間もかかった
ニエプスの時代から考えると、
何とも便利に、手軽になったものです。
以上が、写真の簡単な歴史でした。

では、まとめとして、これを
「発信の歴史」とからめて書いてみます。

「発信」は、初期の写真がそうだったように、
最初は、とても手間がかかるものでした。
新聞社や出版社などの「専門家集団」が
じっくり吟味して出すもの。

それが今ではSNSなどが発達し、
誰でも『ありのままで』発信できる。
「発信の民主化」が進んでいます。
容易に発信できるようになった。

「マスコミ」から「個人の発信」へ!

それはあたかも「写メ」が普及し、
誰でもパシャパシャと撮れるようになった
写真の歴史にも似ていると思いませんか?

一億総写真家、一億総発信家の時代です。

ただだからこそ、逆説的にはなりますが、
個人、一人ひとりが、
自分なりの論理と感性と取捨選択を元にして
自分が感じている世界を「現像」し、なおかつ、
他人が抱くであろう反応を「想像」した上で、
この世の一部を切り取り、表現する。

そんな姿勢が求められているのではないでしょうか?

「どんな写真を撮るか」=「どんな発信をするか」?

それは、「どのように自分の世界を表現して、
世の中に問いかけるか」ということに
つながっていく。
ひいては、自身の生き様にも
つながるように思うのです。

最後に、読者の皆様におうかがいします。

あなたはどのように「発信」していますか?
どのような「化学反応」を起こしていますか?
どのように「ネガからポジ」に切り替えていますか?
どれを「現像」して「想像」していますか?

※本記事は以前に書いた記事の
リライトです↓
『写真と発信、現像と想像』

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