見出し画像

「あげそじゃない、うわそ、だ」

と、彼は言った。

私は恥じ入った。それまでずっと
あげそとうげ、と誤読していたからである。

「…この峠はな、冬になると雪が積もり
しばしば、事故が起きた。
ゆえにこの峠の近くの住民たちは、
ずっとこのトンネルができるのを
待ち焦がれている」

彼は、独り言のように言った。
私は、その赤ら顔を見ながら、

ではようやく、峠を登らずに
東西に行き来ができますね。

…人間にも翼があれば、
わざわざ登らずに済むものを」

と言った。
彼はこちらを見て、微笑んだ。

ここは茨城県のほぼ中心、筑波連山
私は彼に頼んで、わざわざここまで
連れてきてもらったのであった。

筑波連山。

北から順に御嶽山、雨引山、燕山、
加波山、丸山、足尾山、
きのこ山、弁天山、そして、筑波山。

真っ平な関東平野に、
にょきっと北の山から
這い出てきたような形の山々である。

加波山事件で有名な「加波山」
言わずと知れた名峰「筑波山」

その二つの山の中間あたりにあるのが、
うわそとうげ、なのであった。

私たちの目の前には、
工事中のトンネルが口を開けている。
令和七年(2025年)開通予定だそうだ。

「…茨城県には、南北問題がある」

彼はまた、独り言のように言った。

私は、脳内で茨城県の地図を開いた。
県都である、北の水戸。
学園都市、南のつくば。

茨城県イコール水戸藩、
と誤解されがちなのだが、
県南の大部分は
水戸藩の領内では、なかった。

南だけではない。

水戸藩以外の、大小、多くの藩が、
県内にはひしめきあっていたのだ。

ゆえに、県内各地域の結びつきは
そこまで歴史あるものでは、ない。
いや結びつきどころか、現代においても
何かと対立しがちなところがある。

私はつい、戦国時代の昔に
脳内で時間旅行をしてしまう。

…戦国時代、
常陸太田・水戸のあたりで
佐竹氏が隆盛した。
南からは関東の覇者、
後北条氏が手を伸ばしてくる。

筑波山の南麓、小田城では
その二つの勢力のはざまで
小田氏が七転八倒しつつ、戦っていた。

鎌倉期の御家人、八田知家が
常陸国守護に任じられ、
居城として構えた「小田城」
小田氏はこの知家を始祖に持つ。

名門であった小田氏は、しかし、
古き名門の佐竹氏に一敗地にまみれ、
小田城を奪われた。

関ケ原の合戦後、
その佐竹氏も、秋田へと去る。
有力大名を作らせまいと謀る
江戸幕府の横槍であった。

水戸には、一門の徳川家が入った。

だが家康もさる者、
一門と言えども、油断はさせない。
親藩、譜代、外様、それぞれを
モザイク状に配置して
気を引き締めさせた。

その色とりどりの藩の土台の上に
作られたのが、今の茨城県だ。

…歴史絵巻を思い浮かべつつ
私はこうつぶやき返す。

東西問題も、あります」

その言葉に彼は、ちょっと
驚いたようである。

「…そう、茨城県はその中心に
筑波連山と霞ヶ浦を抱えている。
言わば、自然の壁だ。

北は東北、南は東京、
東は太平洋、西は北関東。


県内それぞれ
自然は豊か、作物も豊富、
その反面、各地域間のまとまりにかける。
隣の地理環境に、引っ張られる…」

「確かに、東の海沿い、
サッカーで有名な鹿嶋市と、
西の内陸、古河公方の歴史がある
古河市とでは、
同じ県なのか、と思うぐらい
歴史と地理が違いますよね」

彼は、肯定とも否定とも、
慨嘆とも諦観ともつかない表情。
やがて、口を開いた。

「ただ、そんな個性豊かな各地域を、
何とかして結び付けようとして
七転八倒している
のが、今の茨城県だ」

良く言えば個性豊か。
…ありていに言えば、群雄割拠。

「その東西問題に文字通り
突破口を開き、結び付けようというのが
この『上曽トンネル』なんだ」

私は改めて、山の中腹に
開けられた入り口を見た。

東は「石岡市の八郷(やさと)地区」
西は「桜川市の真壁(まかべ)地区」
貫く道である。
このトンネルさえ完成すれば、
住民は峠を越えることなく、
安全に、行き来ができるだろう。

「八郷と、真壁か。
この二つがつながる、というのは、
何というか、こう…」

「意外な気がするだろう?」

彼はにやりと笑った。
どこか嬉しそうであった。

「どちらも主要交通網から外れている。
県内ではともかく、県外では
『知る人ぞ知る地域』だ。
…しかし、これからは違う」

私は、彼の言うことが
よく理解できなかった。

「でも、こんな山奥にトンネルが
たった一つできたからと言って
劇的に変わることはないでしょう?
そりゃあ、八郷と真壁の住民たちは
便利になるかもしれませんが…」

彼は黙った。その代わり、
手に持った団扇を上げ、宙に横線を描く。

「八郷と真壁、そこだけを見ていては
このトンネルの価値は見えぬ」


そう言われて、私は
地図をもう一度、思い浮かべる。
…そういうことか。

「八郷の東には石岡市街地、
さらに東には、茨城空港…!」

「真壁の西には下館市街地、
さらに西には栃木県、小山に宇都宮」

彼はゆっくり振り向き、こう続けた。

「このトンネルは、山だけではない。
空港を通じ、広い空へも広がっていく

そう言うと、彼は一枚の紙を
私に差し出した。

「最近、俳句に凝っていてな。
このトンネルの無事な開通を
祈念して、一句」

そこには、こう記されていた。

『石の郷=バラ咲く街へ
UWASODOU』

…上曽道とは、上曽トンネル。
「=」はトンネルを示しているのか。

石の郷、というのは
真壁石でも名高い「真壁」
バラ咲く街、というのは
「フラワーパーク」のある
「八郷」
のことに違いない。

「ええ、良い句、だと思います」

そう無難に言った私に、彼は、
「なんだ、気づかないのか?」
という表情をした。

もう一度、句を眺める。
ひらがなにばらしてみる。
そうして私は、この句に秘められた
二重の意味に、ようやく気付いた。

「いしのさと」は「石」岡市の八「郷」。
「さくまち」は「桜」川市の「真」壁。
「バラ」は、い「ばら」き県…!


「八郷と真壁はそれぞれ、
尖った個性を持った街である。
その街同士が、トンネルによって
化学反応を起こし、ひいては
混じり合い、一体化していく…。
むろん、個性はそのままでな」

「おみそれしました」

ぺこりと頭を下げた私を見て、
急に彼は赤面し、狼狽した。

「す、すまん。いい句ができたので
つい鼻が高くなった。許せ」

「まあ、私たちは、天狗ですから。
鼻が高いのは良いことです」

「…では、ここはこれぐらいにして、
次のところに行こうか」

私たちは翼を広げ、空へと舞い上がった。

天狗の師匠と弟子。
日本全国の地理を視察し、
考察するのが私たちの仕事である。


私たちの眼下には筑波連山が
古代から変わらぬ姿で広がっていた。

(おわり)

※この短編小説は、実際の地理を
モチーフにしたフィクションです。
実在する団体等とは関係ございません。

◆下記のリンクから
ぜひ「上曽トンネル」の詳細を…。

石岡市のホームページから
『(仮称)上曽トンネル整備事業』↓

茨城新聞から
『上曽トンネル、桜川工区
工事安全祈る 年度内着工へ』

『上曽峠』の
ドライブコースのホームページ↓

手前味噌で恐縮ですが
茨城県市町村擬人化
×ゲームブックの
『イバーランドの県道』の
noteマガジンはこちらから↓

合わせてぜひどうぞ!

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!