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1、ドカベ二スト認定

セブンでサイダーとポテチを買い込むと、僕は奴のアパートへと向かった。19歳。大学に入ったばかり。ゴールデンウィークも終わり、新しい環境にもやっと馴染んだ頃。同じ授業を取ることが多く、顔を合わせる機会が多い僕たちは、出身地こそ遠く離れていたが、その趣味嗜好は近かった。酒席の雰囲気は好きだが酒に弱いところも共通していた。

僕たちは漫画を読むのが一番の趣味で、漫画についてはお互い一家言を持つ。蔵書の大部分は実家に置いてきたが、何度も読み返した漫画のストーリーは、すでにお互いの頭に入っていた。特に野球漫画が好きだということが、僕たちの仲をより近づけた。

選択の体育の授業で、偶然、同じソフトボールを選択した。まだ親しくなかった頃。奴が秘打「白鳥の湖」を試みて壮大に横転、周囲の爆笑を誘った後、僕は秘打「円舞曲・別れ」を敢行。結果はライトフライに終わったが、「あ、あのバットの長さはなんだ~」と犬飼小次郎のセリフを寸分たがわぬ雰囲気で言ってくれたので、僕は奴を「ドカベニスト」(水島新司さんの『ドカベン』を全巻読破した剛の者)と認定したのだった。

(なお、秘打「円舞曲・別れ」については、こちらの前田隆弘さんの記事をご参照ください。私も31巻は最高だと思います!↓)

2、心の闇と悪漢の配球

「早かったな」と奴は出迎えた。僕は部屋にあがった。引っ越しの段ボールはだいぶ片付いていたが、真新しい段ボール箱が一つ。

「夏の前にもう一度読み返したいと、実家から送ってもらったんだ」奴は先回りして言う。何が入っているかはすぐわかった。なぜなら、特徴的な青系の背表紙が、ちらりと目に入ったからだ。ひぐちアサさんの『おおきくふりかぶって』。通称「おおぶり」は、僕たちの教養科目の1つだった。

「やはり阿部は性格悪いよな~」

そう言う彼の口調は、隠そうとしても隠せぬ阿部への愛にあふれていた。阿部。「おおぶり」の主人公のチームの捕手である。彼がどのように(特に初期の)ヘボピー主人公をリードするかが、この漫画のキモの1つである。

「『ヤサシイワタシ』を描いた作者でないと、この心の闇は書けないよね」

僕はそう応じる。『ドカベン』の捕手山田太郎が「気は優しくて力持ち」を地で行く「いいひと」ならば、『おおきくふりかぶって』の捕手阿部隆也は「わるいひと」である。そこがいい。「おおぶり」は捕手阿部の「ピカレスクロマン(悪漢小説)」である、と僕は捉えていた。異様なまでに配球にこだわり(配球オタクともチームメイトに言われる)、漫画の構成も異様なまでに配球にページが割かれる。心理野球漫画といっていい。「小さな巨人」も「秘打」も出てこないけれど、読者はその壮大な心理戦に惹かれる。

野球は頭のスポーツである、と言われる。いかに打者の裏をかくか。捕手は極論をすれば、常に打者を欺く悪漢でなければならない。捕手阿部は、それを体現する選手である。補足すると、「いいひと」のドカベン山田太郎も、配球に関しては悪魔的な「わるいひと」になる。しかし表には出さない。阿部は、表ににじみ出ている。わざと主人公に危険な球を投げさせて、監督に叱られたりしている。

「『ヤサシイワタシ』を読んでから「おおぶり」を読むと、捉え方が一変するぜ」

と奴に言われたとき、即日、僕は古本屋に走った。こと漫画に関しては、奴の言うことには一理ある。逆に僕は奴に、「『カイジ』をもっと深く読みたければ『銀と金』を読め」と喝破したこともある。翌日、奴の部屋の本棚には『銀と金』が端座していた。お互いが影響し合う漫画読みである。

ネタバレを防ぐためにここでは詳細は記さないが、全2冊の『ヤサシイワタシ』はかなりの衝撃作である。人間のダークゾーンをここまで(一見ヤサシイ絵柄で)鮮やかに描き切った作品を、僕は知らない。これを読んでから「おおぶり」を読むと、「爽やかなサイダーにひとつまみのクレイジーソルトが混ぜられているような感覚」を味わうことができる。

(なお、『ヤサシイワタシ』については、以下のonさんの記事をご参照ください。ネタバレ防止で、できれば漫画を読んでから…)

3、猛禽系野球狂漫画

「で、最近のイチオシは何?」

きたきた。サイダーで乾杯したあと、奴は僕に聞いてきた。お互いがいま、どの漫画に注目しているか。漫画読み同士の、知ったかぶりの見栄と生きた情報収集。そのせめぎあいが今はひたすらに楽しかった。高校時代までには味わえなかった、自分と同等のレベルの者との、趣味で追いつけ追い越せのチキンレース。

「『BUNGO』かな」

僕はそう答える。奴もヤンジャンで読んでいたらしい。大きくうなずく。

「コマ割りが天才すぎやしないか」

奴は短く吐き出す。炭酸が効きすぎているのかもしれない。

「なんだろう、あのページをめくるのを促すコマ間の魔力は…」

僕はそう応じる。これは実際に作品を読んでいただくしかないが、とにかく「読ませる」漫画なのである。漫画はコマ割りが重要だ、ということは、知られていると思う。二宮裕次さんの『BUNGO』は、コマ割りに魔力を帯びている。

もちろん、キャラも立っている。実は中学野球の話なのだが、野球をしているキャラたちは、どう見ても高校生、いや大学生っぽい。メジャーのスカウトに間違えられるキャラもいるほどだ(確信犯であろうが)。どのキャラもギラギラしている。「猛禽系野球狂漫画」の異名は伊達じゃない。イヌワシが生肉に喰らいつくような迫力と、真面目なんだけど笑える秀逸なギャグセンスがないまぜになって、独特な作風を生み出している。

その背骨が、コマ割りである。巨匠横山光輝さんの『三国志』を思い起こさせる(「甘寧一番乗り!」的な)。

…僕たちの漫画談義は朝まで続いた。朝日が目に痛かった。しかし僕は、得体のしれない奇妙な満足感に浸って、帰路についたのであった。

(なお、「甘寧一番乗り!」がよくわからない方は、こちらをご参照ください。「イヌワシが生肉に喰らいつくような迫力と、真面目なんだけど笑える秀逸なギャグセンス」と言えば、横山光輝さんの右に出る方はいないと思います↓)

4、まとめにかえて

いかがでしたでしょうか? 今回は、「19歳の漫画好き大学生2人」を設定して、3つの野球漫画について語らせてみました。

暑くなると夏の高校野球が思い浮かびます。甲子園だけでなく、各都道府県の予選なども、負ければ3年生は引退のサドンデス、これほどリアルで青春の詰まった劇場空間はありません。良質な野球漫画を読んでから球場に行くと、なお一層面白いと思いますので、ぜひおすすめします。

今回、主に取り上げた野球漫画はこちらの3つです。

水島新司さんの『ドカベン』(最初は柔道漫画…)↓

ひぐちアサさんの『おおきくふりかぶって』(選手の保護者たちがしっかり描かれている点も、等身大でリアルで良いです!)↓

二宮裕次さんの『BUNGO』(猛禽系…河村くん食べすぎ…)↓

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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