耕作と土壌、あの坂をのぼれば
SNS投稿は自分なりに自分だけの田畑を耕す。
世間に、誰かに向けて発信しつつ、
実は自分に向かって問いかけ、深掘りする。
そのような一面があると思われます。
誰かの利益のために耕すのを
「小作農」だと仮定すれば、
自分自身のために耕すのは
「自作農」と、そう言えるでしょう。
一社専従、終身雇用のレールの上で、
一所懸命に、わき目もふらずに、
ある一つの組織の上で、
汗水垂らして日々耕していく。
それはそれで、尊いことです。
ただし、その土壌が、豊かであれば。
ただこの令和時代になりまして、
必ずしも一つの他人の田畑を
一所懸命に耕すことが
唯一の正解とは言いづらくなっています。
土壌自体が、豊かな実りを約束する
ものでなくなってきているのです。
経済界の偉いお方も、
「終身雇用を続けるのは難しい」と
おっしゃっているのが令和時代なのです。
となれば、自分自身の目で、手足で、
「肥沃な土壌を見つけて」
「自分なりの実りを考えて」
「自分なりに耕していく」必要がある。
長嶺 将也 さんの投稿の中で、
このような一節がありました。
『リンクトインを活用するということは
将来の自分を
形成しうる「社会資本」を築く
非常に有用な手段だと感じています』
私は、この部分に非常に共感しました。
SNSも一つの社会と考えますと、
ここでの積み重ねは資本のように
活用できるものだ、そう思います。
同じく、高崎 澄香 さんの投稿の中で
共感した部分を紹介します。
『始めから何でも
できる人なんていない、
分かっているはずなのに、
「好き・得意」を掘り下げて
じっくり深めるきっかけを
親世代がつくれていません』
ここで「掘り下げ」という言葉が
使われているのは、
言い得て妙なことだと思います。
そう、子ども世代や若者に向かって
「キャリア教育」「自分を深掘り」
と言っている親世代、大人世代こそ、
自分なりに「耕す」ことが
できていないのではないでしょうか?
かく書く私も、他の誰かの田畑を
(一所懸命ならぬ多所懸命ですが)
耕してきた人間です。
その時その時では頑張って耕してきた
つもりではありますが、
自分なりに耕してきたわけでは、ない。
「ここ、耕してね、○時から○時まで」
と言われ、粛々と耕してきた。
そんな繰り返しが多かったのです。
中年世代となって、気付きました。
「自分の田畑をこそ耕していくべき」
それで、約三年前、2019年のお正月に
SNSで発信をささやかに始めたのです。
そうして三年たったからこそ、
長嶺さんと高崎さん、このお二人の
言葉が胸に響きます。
そもそもSNS発信を始めていなければ
お二人の言葉に出会うことも
なかったわけですから。
以上、お二人の投稿を紹介しつつ↓
いまSNSで自分なりに耕しておられる
どなたかに届くといいなあと、
そう想いながら書いてみました。
国語の教科書に載っていた
「あの坂をのぼれば」ではないですが、
いま、坂をのぼって苦しいだけで
ちっとも海が見えない、という気分の方。
いま、SNS発信を頑張っているけれど
ちっとも成果が見えない、という気分の方。
日々の発信とは、一歩一歩
坂をのぼるようなものではないでしょうか?
下に掘ることで、実は上にのぼって
いけることなのではないでしょうか?
海は遠くにあります。しかし、
必ず、一歩ずつ、近づいていると思います。
(あの坂をのぼれば、のお話は、
杉みき子さんの『小さな町の風景』に
収録されています)
日々の発信は、他ならぬ自分の資本の積み重ね。
日々の発信は、他ならぬ自分の土壌の深掘り。
お互い頑張って耕し、掘り、のぼりましょう。
さて、読者の皆様にとって、
自分なりの田畑とはどんなものですか?
どう耕していますか?
どんな実りを、期待していますか?
目指す景色は、どのようなものですか?
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