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言葉には力が宿っている!
そういうことが本気で信じられていた
時代が、日本にはありました
(その一部は、今でも残っていますが)。

例えば、平安時代の「改元」を見てみましょう。
「元」号を「改」めることですね。

明治・大正・昭和・平成・令和と、
一世一元、一人の天皇に一つの元号、
という感覚に慣れた現代人からは
かなり違和感があるのですが、

平安時代あたりでは
なんと90個ほども元号があります。
390年ほどの長い時代とはいえ、多すぎる!
平均すると、1個の元号が約四年くらい。
ほんのちょっとだけ使って、
すぐに変えられた元号もあります。

…別に、約四年で天皇が
交代したわけでは、ありません。
この頃は、同じ天皇であっても
複数の元号を持つことが普通にあったのです。

地震、疫病、天候不順…。
そういう「良くないこと」が起こると、
「言葉の力」で何とかしようとした。
そんな時代です。

例えば、980年から使われた元号「永祚」。

これは「ハレー彗星」が近づいたから
新たにつけられた元号だと言われています。
…当時、彗星は不吉で災いの種だと
思われていたんですね。
その後も、正歴、長徳、長保、寛弘と
どんどん元号が変わっていきますが、
すべて一条天皇の治世。
天変地異が起こるごとに、元号が変わる…。
「源氏物語」ができた頃のお話です。

なお、改元とは「時間を支配する」
という意味合いもありますから、
誰がこの地の支配者なのか、
誰がこの地で偉いのかを、見せる側面もある。

平安時代は、藤原氏を中心に
貴族が栄えていた時代です。
貴族間での権力争いも、盛んだった。
元号を変える(変えさせる)ことにより、
「俺の後ろには天皇がいるぞ」
「俺は元号を変えることができるのだ」と
権力のアピールにも、使われました。
そういうことにも、元号が利用された。

ただ、ご存知の通り、
こうした貴族の政治も終わりを迎えます。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれている
鎌倉幕府の成立、鎌倉時代への突入です。

朝廷とは「別に」武家政権ができる。
これを許さない、と挙兵を促したのが
1221年の「承久の乱」です。
「承久」も、元号ですね。

この承久の乱で、鎌倉幕府側は勝利し、
以後、天皇や朝廷にも口出ししていく。
1225年には「嘉禄」という元号になりますが
これはその前につけられた「元仁」という
元号に、鎌倉幕府が不快感を示したので
朝廷側が「しょうがなく」元号を変えた、
という説があります。

嘉禄(かろく)は、「軽く」に通じる。

「はいはい、勝手に口出さないでくださいね、
でも鎌倉の人たち、何をするかわかんないから
かる~く、こんな元号でいかがでしょう?」

という朝廷側の
精一杯の皮肉と抵抗、にも見えます。

こんな感じで、朝廷と幕府とは二元政治、
微妙な関係を保持していくわけです。
ただ、元号を変える力は幕府ではなく
変わらず天皇・朝廷側が持っていましたので、
(途中、色んな武士から口出しを
されることがあったにせよ)
江戸時代の最後まで、元号はどんどん
変わっていくのでした。

明治時代になり、一世一元と決められて、
ようやく「ころころ元号が変わる」と
いうことはなくなっていきます。
とはいえ、元号が変わると
「時代が変わったなあ…」と感じるのは
今も昔も、変わりません。

元号が変わると、色々な書類の
元号を変えなければいけませんし…。
まさに「改元、言葉には
人を動かす力がある」
ですね。

さて、読者の皆様におかれては、
「昭和」「平成」「令和」という
三つの元号を生きた方もいらっしゃれば、
「平成」「令和」の二つだけです、
という方もいらっしゃると思います
(令和だけ、の若い人はいないと思いますが)。

俳句で有名な中村草田男さんの句の一つに

◆降る雪や明治は遠くなりにけり

というものがあります。
令和も、いずれは、改元されるでしょう。
その時には

◆降る雪や令和は遠くなりにけり

と感じることがあるのでしょうか?
(そこまで私も生きていないかもしれませんが)

令和が遠く感じられる頃に、振り返って、
「いや、自分、頑張った」と
思えるような人生にしていけるかどうか?

情報爆発、SNS隆盛のこの時代は、
平安時代とはまた少し異なった意味で
「言葉には力が宿っている」時代を
迎えているかもしれません。

発信、受信、とても、大事です。
「インフルエンサー」の言葉は、
時代を象徴し、時代を動かす…
そんな力がある、のかもしれません。

いずれにせよ、この激動の
「令和時代」の「現在」、

今この時を「言葉」をうまく活用しながら
頑張って生きていきたいものですね!

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