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メキシコとフィリピンは、元は同じ国でした。

「…は? 何を言っているんですか?
メキシコは、中南米です。でも
フィリピンは、東南アジア、ですよ。
太平洋を挟んで、どれだけ離れているか…。
同じ国だったわけないじゃないですか!」

そう思われるかもしれません。
ですが、疑う方は、検索してみてください。

『ヌエバ・エスパーニャ』というワードで。



「本当だ…。元は同じ国、だと…!?」

本記事は、この恐ろしく離れた地域を
同時に支配していた、
「ヌエバ・エスパーニャ」について。

英語風に言えば『ニュースペイン』です。
「新しいスペイン」

…私たちは、どうしてもスペインと言えば、

闘牛士とか、バルセロナ五輪とか、
ストリートファイターⅡのバルログとか、
パエリアとか、ポルトガルの隣とか、

あのヨーロッパの南西のあたり、
「イベリア半島」にある国、という
イメージがある、と思うのですが、

実はスペイン、大航海時代を経て
16世紀(1501~1600年)あたりでは
海外にもたくさんの土地を持つ
世界最強の「世界帝国」でした。

文字通り「世界征服」に乗り出しており、
世界各地に植民地を持っていたんです。

そもそもスペインとは、
イスラーム世界だったイベリア半島から
キリスト教徒たちがイスラームの人たちを
追い出して建国した国


似たような出来事として、
「十字軍」が中世にありましたが、
スペイン建国は
それの延長上にある、と言ってもいい。

「国土回復運動」(レコンキスタ)
なんて言いましてね。

イベリア半島に、どんどん
キリスト教徒の国ができていくんです。

そのうちのアラゴンという国の王子と
カスティリャという国の王女が結婚して
「スペイン王国」ができたのが、1479年。

1492年には「グラナダ」という
最後のイスラームの拠点が陥落しました。
1492年!と言えば!

◆イヨクニ 燃える コロンブス

ですよね。
そう、この同じ年に、コロンブスという
命知らずの航海者が大西洋を西に渡り、
アメリカ大陸を「発見」している。
(まあ、彼に発見されずとも
大陸はそこにずっと有ったんですが…)

つまり、いわゆる「大航海時代」は、
スペインとポルトガルが中心ですが、
このレコンキスタの延長、とも言える。
外へ向かうパワーによって
生み出された、といってもいい。

折りしもこの頃、1517年~、
西欧で「宗教改革」の嵐が
吹き荒れていました。

カトリックとプロテスタントなどに
キリスト教が分かれていく…。
新興のプロテスタントたちが
ヨーロッパで増えていったために

スペインなどの
カトリックの宣教師たちは
「海外」へと活路を見出します。

世界中に、布教の旅に出ていくのです。

1534年には「イエズス会」という
修道会が結成されました。
その中心はロヨラ。スペインの軍人。
この会の結成メンバーの一人には、
フランシスコ・ザビエルもいた。
そう、日本にキリスト教を伝えた人。

このイエズス会をはじめとした
カトリックの宣教師たちが、
世界中に派遣されていくのでした。

ヨーロッパから西の方向、
「新大陸」のメキシコにも派遣されます。

これより前、コルテスというスペイン人が
1521年に「アステカ帝国」を滅ぼしていた。
次いでピサロというスペイン人が
1532年に「インカ帝国」を滅ぼしていた。

ゆえに、中南米には、
スペインのばかでかい植民地ができていた。
これぞ、ニュー・スペイン。
人呼んで「ヌエバ・エスパーニャ」

さて、この中南米から太平洋を横断して、
東南アジアに行った命知らずが一人います。
アメリカ大陸と東アジアを
貿易で結ぼう!という計画を胸にして。

その名も、レガスピ

彼は1565年に、フィリピンで初めての
入植地、サン・ミゲルを作りました。
(これが、今の「セブ」になります)

このレガスピに同行した修道士の中に
ウルダネータ、という人がいたんです。
レガスピは、フィリピンに残って、
ウルダネータはメキシコに帰ります。

…でも、どうやって帰ればいいのか?

当時の船は帆船。そのため、
いい風を捕まえることができないと
うまく進みません。

普通に東に行っても、風に乗れない。
船が進まない。帰れない。
悩んだ彼は、フィリピンから潮に乗り、
「北」に行くことにします。
日本と同じ北緯38度のあたりまで来た時。

「このあたりから、
大西洋と同じように『貿易風』が
吹いているはずだ、進路を東へ変えろ!」

彼の読みは、ずばり的中!
船は無事、貿易風に乗り、フィリピンから
メキシコへと帰り着いたのです。
「黒潮」と「貿易風」に乗るこの航路は、
「ウルダネータの航路」と呼ばれました。

この航路を通る
メキシコとフィリピンを結ぶ貿易は、
中南米の港の名前にちなみ
「アカプルコ貿易」と呼ばれていきます。
別名「ガレオン貿易」。
(ガレオンとは、貿易船の名前です)

この貿易航路によって、新大陸の「銀」が
アジアに運ばれていく…。
アジアからは「香辛料」や「絹織物」。

新大陸とスペイン本国は
すでに貿易で結ばれていますから、
◆フィリピン~メキシコ~スペイン◆
このルートの貿易によって、莫大な富が
スペインにもたらされたのでした。

コロンブスが「インド」を目指し
大西洋を横断したのが、1492年。
彼の土台の上に、16世紀のスペインは、
1580年にはポルトガルまでも併合し、

「ヌエバ・エスパーニャ」を軸にした
「太陽の沈まぬ国」「世界帝国」
作り上げていったのです。

「フィリピン」の国名は、
この頃の王様、フェリペ二世の名前から
つけられています。

日本で言えば、
信長~秀吉~家康の頃。
そう、この頃に日本に来ていた
スペイン人たちは、実は、
当時、世界最強の人々だったのでした。

最後に、まとめます。

16世紀の世界を牛耳り
キリスト教を世界に広めていった
スペインとヌエバ・エスパーニャ。

しかし徐々に、
その覇権を明け渡していきます。
17世紀はスペインから独立したオランダに。
18世紀からは、イギリス「大英帝国」に。

ですが、スペインの富の生命線とも言える
アカプルコ貿易は、死守されていく。
それが終わるのは、何と19世紀。

19世紀はじめにメキシコ独立、
フィリピンも1899年に独立。

ですが、この二国は独立後も受難続きで、
メキシコもフィリピンもどちらも
どんどんと勢力を伸ばしていく
アメリカ合衆国に圧迫されていきました。

ただ、最近では、メキシコとの国境に
トランプ大統領が「壁」を作る
と言い出したり、

フィリピンのドゥテルテ大統領が
「国名を変えてもいいのでは…?」と
言い出したりもしています。

メキシコと、フィリピン。

太平洋を挟んで、遠く離れた二国。
元ヌエバ・エスパーニャのメンバー。
貿易で結ばれた、一心同体だった国!

21世紀に入り、スペインに馴染みの深い
この二つの国は、

ようやく「新しい歴史の航路」
進む時期に来ているのかもしれません。

◆本記事は以前に書いた記事の
リライトです↓
『メキシコとフィリピンの知られざる関係』

◆なぜイギリスに
強さ(覇権)が移っていったのか?

については、色々な解釈はあるかと思いますが
よろしければ以下の記事を参考までにぜひ。
『スパイス、コットン、世界帝国の覇権争い』↓

合わせてぜひどうぞ!

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