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日本の人口が減る、少子化対策を急がねば!
そういった声が大きい現在ですが、
日本の人口が増えすぎる、多子化対策を急がねば!
そういった声が大きかった過去のことは
案外、忘れられがちなものです。

戦後日本では「産児制限」が行われていました。
これは、過去の事実、です。

なぜそんなことを行ったのか?
当時はどんな状況だったのか?
今とはどう違ったのか?

それを踏まえた上で、現在の
少子化対策を行うのが
話の筋ではないか、とも思います。

もちろん、過去のことは変えられない。

過去ではなく、現在、何をすべきか、
未来に向けてどう動くべきか、
それこそが大事、というのはよくわかる。

ただし、過去のことを全く知らないことと、
「過去のことを知った上で、分析し選択し、
あえて行動する」ということは、
天と地ほども違う
、とも思うのです。

本記事は、戦後日本の「産児制限」や
「多子化対策」について書いてみます。

「ベビーブーム」がありましたよね。
「団塊の世代」「団塊ジュニア」がいます。
戦後日本には、出生率がかなり
高くなった時期が、2回ほどあります。

すなわち、戦後まもなくの1945年の後
生まれた人が、多い。
いわゆる「団塊の世代」です。
そしてその方たちが子どもを持った
1970年代に生まれた人も、多い。
これが「団塊ジュニア」。

…他人事のように書きましたが、
私も中年世代で「団塊ジュニア」です。

ただ、色々な要因があって、
「団塊ジュニアジュニア」は多くないですよね。
つまり、1995年~2010年代あたりで
本来なら「もう一つの山」ができるはず
が、
多くはならなかった。

…バブル崩壊後で不景気になった、
生涯未婚率が上昇した、
混沌とした時代の中で子どもを持つ選択が
できにくくなったなど、要因は多いと思います。
ですがこの「もう一つの山」
「第三次ベビーブーム」が
できなかったこと
が、
現在の少子化の根本的な原因の一つ、
のようにも思います。

おっと、これは前置き。先走りました。
本記事では、それ以前の
「ベビーブーム『抑制』」の歴史が本論です。

(ここから引用)

『1947年、日本は
第一次ベビーブームを迎える。

終戦による旧植民地からの引き揚げや、
出征していた夫の帰国によって、
夫婦による「子作り」が一気に進んだ結果だ。

この年以降、日本の出生率は上昇し、
'49年には4.32を記録している。
出生数は、269万6638人にのぼる。
これは2017年の3倍近い数字だ。』

(引用終わり)

1949年の出生率、4.32!?
(2021年の日本の出生率は、1.30)
凄い勢いで人口が増えた時代があったんです。

しかしながら、この「ベビーブーム」は
急激に抑えられていく。
1950年には、上昇が止まる。
出生数が、一気に約36万人も減る。

なぜ?

(ここから引用)

『「複雑な要因がありますが、
GHQが産児制限の普及を誘動したことにより、
爆発的な中絶ブームがおこったことが一番大きい。

食糧難の中で人口が急拡大していた日本が
再び軍国化することを恐れたアメリカは、
中長期的に日本の出生数を抑え、
人口の増加に歯止めをかけるべく、
中絶の合法化や避妊知識の普及などを
陰に陽に働きかけていたのです」(河合氏)

くわえて、当時のアメリカには
「人口の急増は共産化に結びつく」
という考えも根強かった。
アメリカにとって、日本の人口増は
絶対に食い止めなければならない
「課題」だったのだ。

当時の吉田茂内閣は
このGHQによる産児制限の誘導を受け入れ、
「家族計画」を国民へ
広めるべく務めるようになる。』

(引用終わり)

戦後まもなく、第二次世界大戦が終わり、
冷戦構造が固定化していく時代です。
アメリカVSソ連、その最前線の日本。
1950年には「朝鮮戦争」も起こる。
戦後復興も、めどがつかない。
全体的に、貧しかった時代。

GHQとしてはどんどん人口が増えて、
養いきれない家族が増え、
政府への不満が高まって
「軍国化」「革命」などが起きるのを恐れた…。

そういう空気があったのは
容易に想像がつきます。
いつの世も、時代背景があるんです。

…ただ、時代背景という話であれば
日本は「高度経済成長の時代」になりますよね。

再び「ベビーブーム」が起きる。
団塊ジュニアたちの誕生。
1971年には出生数が200万人台に回復!

…ここで、振り子の原理でもあるかのように、
再び「多子化対策」が採られました。

(ここから引用)

『当時アジアを中心に進んでいた
急激な人口増加があった。

このまま人口膨張や環境汚染が進めば、
100年以内に地球上の成長は限界を迎える――。
'72年に民間組織「ローマ・クラブ」が
発表した報告書『成長の限界』は
世界中に衝撃を与えた。

敗戦から奇跡的な経済的復興を遂げ、
'64年の東京オリンピック、
'70年の大阪万博と
世界へのアピールに余念がなかった
「アジアの優等生」日本は、

人口抑制においても、
世界の先陣を切ろうと試みる。

「いまこそ我々が先頭に立って
人口抑制に取り組まなければならない」

1974年に開催された「日本人口会議」で
基調演説をした大来佐武郎海外経済協力基金総裁
(のちの外務大臣)の言葉からは、
並々ならぬ意気込みが滲んでいる。

この会議では「子供は二人まで」という
スローガンが採択され、
新聞各紙も大々的に報じた。』

(引用終わり)

「子供は二人まで」というスローガン!
1970年代には、
そんなスローガンが広められていた。

もちろん私は、引用してきたこれらの政策には、
その時々の「時代背景」があると思っています。

戦後まもなくの時には、複雑な国際状況。
1970年代には、人口爆発問題と環境問題。

それらを踏まえると、産児制限や多子化対策が
行われたのは人為的な政策ではありますが、
むしろ「自然」だったようにも思う。

「当時であれば、妥当な選択だった」
「今の視点で、過去を語るな!」
こういう意見があることも承知しています。

…ただ、繰り返しになりますが、

『過去のことを全く知らないことと、
「過去のことを知った上で、分析し選択し、
あえて行動する」ということは、
天と地ほども違う』
とも思うのです。

恥ずかしながら私は、当事者の
「団塊ジュニア」でありながら
この時代背景を詳しくは知りませんでした。
「過去を知った上で、分析し選択し行動する」
とはとても言えない状態。恥ずかしい…。

だからこそ、ではありませんが

改めて過去のことを踏まえた上で、
現在のこと、未来のことを
考えよう、と努めている
ところです。

最後にまとめます。

本記事では、現在、少子化対策を行っている
日本において、産児制限や多子化対策が
行われていた時期があった、
という内容を紹介しました。

引用元の記事もよろしければ、ぜひ。

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