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歴史には、種類がある。
作者と対象により4種類だ。

①自分(たち)が語る
自分(たち)の歴史
②自分(たち)が語る
他人(たち)の歴史
③他人(たち)が語る
自分(たち)の歴史
④他人(たち)が語る
他人(たち)の歴史

単数と複数で厳密にわけると
多くなり過ぎるので、
あえて(たち)で4つにまとめた。

歴史教科書に載っているのは
③か④である。

歴史教科書を見せながら
『これ、僕が作ったんですよ!』
という学生は、たぶんいない。

というか、①や②を
いわゆる『歴史の授業』で
学んだり作ったりすることは
ほとんどない、と言っていい。

では、①や②は人生で
作ることはないのか?
いや、これがけっこうあるのだ。

まず、就活や転活。
自分が今まで何をしてきて、
どんな人間かを相手に伝える。
これは、歴史を語るに等しい。

次に、婚活。
さすがに自分のことを何も知らせず
プロポーズしてOK、はないだろう。
マッチングアプリならなおさら
自分の歴史を書かなきゃいけない。

あとは結婚式のウェディングムービー
人生を振り返る自分史
なども考えられる。
そうそう、SNSでの自己開示
そうだろう。

そういうものを作るのに、
学校での歴史の授業を
思い出しながら作る人は、
果たして何人いるだろう?
せいぜい、年表の援用や、
◯◯時代、という時代区分の援用
くらいではないか?

つまり、学校で学ぶ③や④は、
①や②とは、また別のことが
多いのである。

そりゃ、そうだ。
学校で歴史を学ばせる目的の中に
『自分で歴史を作れるように
なること』という項目は
含まれにくいから…
(ただし、教員の裁量内において
行われることは考えられる)。

もちろん、③や④を学ぶ
必要性は重々承知している。
ただ、私が勧めたいのは、
①や②のほうである。

なぜなら
『自分(たち)が語る』ことで、
歴史は自分(たち)のものと
深く感じられるから
である。

その上で、他人(たち)が語る
のを自分のものと「比較」して
なぜ違うのか?
どう違うのか?
そもそも正解などないのか?
そういうことを考えていくことこそ
歴史の学びを深めることだと思う。

誰がための、誰の歴史か。
歴史を見るときには、
それを常に考えていきたい。

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